文化リゾートホテルの先駆けとして知られた「二期倶楽部」は昨年、約30年にわたる歴史に幕を下ろした。元親会社で学習塾運営の栄光との関係悪化が、施設の売却につながった。創業者の北山ひとみ氏は「自分の脇が甘かった」と自省しつつ、売却に至る経緯に疑問を投げかける。
(日経ビジネス2018年10月15日号より転載)
[二期リゾート社長]
北山ひとみ氏
元夫の北山雅史氏が立ち上げた学習塾「栄光ゼミナール」の運営に携わるも、1998年に退任し、二期リゾートを設立。文化リゾートホテルの運営に専念する。2018年から、雅史氏が新たに創業した教育事業会社、エデュリンクの社長も兼任。
SUMMARY
二期倶楽部の売却の概要
東日本大震災で傷ついた二期倶楽部の修繕をめぐり、運営会社の二期リゾートと家主である栄光の対立に発展。家賃の支払いを拒否する二期リゾートに対し、栄光は立ち退きを求めて提訴した。訴訟の最中に栄光は星野リゾートグループへ施設を売却することを決定。昨年8月に二期倶楽部は閉鎖し、星野側に引き渡された。
二期倶楽部(栃木県那須町)は1986年、元夫の北山雅史氏が創業した学習塾「栄光ゼミナール」運営の栄光(東京・千代田)が、文化事業の象徴として始めました。私は二期倶楽部の運営に専念することを決め、当時はまだ栄光の子会社だった二期リゾート(那須町)の社長に就きました。
以来、建築や庭園のディレクションを建築家の渡辺明氏ら多くのクリエーターと共に手掛けてきました。食や建材に地産の資源を使い、その土地の文化、美しさを具現化するブティックリゾート。そんな私の構想を30年をかけて徐々に形にしてきました。雅史氏が2008年に栄光を離れ、栄光と二期リゾートの親子関係がなくなった後も、私は同社の社長を続けていました。
契約書を精査していれば……
しかし昨年、施設を引き払う事態に陥りました。我々は二期倶楽部の運営は手掛けていましたが、大半の土地や建物は栄光が所有していました。その栄光が、星野リゾートグループに二期倶楽部を売却したのです。「二期」は自分の子供のように育ててきた大切なブランドです。それを失ったことは、生木を裂かれるような経験でした。
高級文化リゾートの先駆けとして知られた二期倶楽部。建築関連の受賞も多く、皇族も利用するホテルとして知られていた
なぜこんなことになってしまったのか。我々は栄光から二期倶楽部を20年間賃借する契約を交わしていました。20年の間に我々が資金を準備し、栄光から施設を買い取ることが前提の「つなぎの契約」。これが当時の私の認識でした。買い取りの意思は栄光に伝え、了承を得たと思っていましたが、確約する書面を交わしてはいませんでした。私や雅史氏の元教え子でもあった栄光の経営陣を信じ、提示された契約書にそのままサインしたことが失敗でした。
11年の東日本大震災の後、我々は傷ついた施設の修繕を栄光側に求めましたが、修繕範囲に関する意見の食い違いもあり、要望は受け入れられませんでした。本館は震災から13カ月間営業ができず、二期倶楽部の稼働率は3割まで落ち込みました。
このため、栄光への対抗措置として家賃の支払いを拒否しました。ただ、賃貸借契約書には3カ月以上の家賃滞納が退去を要求できる条件として記されていたため、栄光は施設の引き渡しを求めて二期リゾートを提訴しました。
裁判闘争の最中の13年11月、栄光は施設の星野側への売却を通知。その翌日に星野は二期倶楽部の買収について公表しました。突然の売却話は私にとって青天のへきれきでした。
その後、二期リゾートが星野側から施設を買い戻す和解案を提示。私は自宅を売却してまで資金を準備しましたが、星野側は「運営する目的で施設を買った。転売の意図はない」と回答。和解協議は不調に終わりました。
私の脇の甘さ、社会経験のなさがこの事態を招いたと思っています。賃借契約を結んだ時点で、賃料の一部を将来の買い取り費用に充当したり、二期リゾートが営業面でのリスクを負わない形の受託契約を結んだりする方法もありました。後になって、弁護士からなぜもっと有利な契約を結ばなかったのかと指摘されました。
雅史氏も株式の取得争いに巻き込まれ、自身の意向とは全く違う形で栄光の経営から退きました。雅史氏の対応にも稚拙なところはあったのだと思います。契約社会とはそうした備えを怠ったものが負ける世界なのでしょう。 しかし近年、こうした合理性を重視しすぎるきらいがあるのではないかとも思っています。人と人との信頼関係に基づいた予定調和の商習慣は、本当に必要のないものでしょうか。企業は経済的成功だけではなく、固有の倫理観、価値観を忘れてはならないと思います。
思想家としても知られる数学者の岡潔氏は、情緒こそ人の中心にあるものと唱えていました。情緒を失えば、行き着く先は、ぺんぺん草も生えない修羅の世界です。餓鬼やロボットのような人しか生き残れません。
この数年間、本当に悩みました。雅史氏とは、お互い因縁の相手の前で油をかぶって火をつけて死のうかと話していたこともあります。しかし、思えば二期倶楽部は平凡な一人の女にすぎなかった私に天が与えてくれたギフトでした。この事業を通じて得た多くの経営資源を生かし、新たな資本を生み出していくことが、私に残された最後の仕事だと思い直しました。
教育事業で再出発
合理性の行き過ぎた追求は、教育から文化が失われつつあることの象徴だと考えています。地域社会全体で子供を見守る場が崩壊しているためではないでしょうか。この問題を解決するため、新たな文化教育事業を立ち上げました。栄光での教育事業、30年超の文化リゾート事業を通じて学んできたこととも親和性が高い事業だと思います。
その舞台がエデュリンク(東京・千代田)という会社です。雅史氏が栄光から離れた後、新たな学習塾の形を模索するため、15年に立ち上げました。設立直後、雅史氏は脳梗塞で倒れてしまい、私が経営を引き継ぎました。
エデュリンクでは、子供の主体性を重視した教科指導を行う学習塾と、学習だけでなく子供の生活全般をケアする学童クラブを運営します。特に学童クラブは遊休地を活用し、地域教育に参画したい住民を中心に運営するボランタリーチェーン方式を採用しています。夜10時まで安価な値段設定で子供を預かり、日本を支える共働きの中間層の家族形成を支援します。
那須町での文化リゾート事業もライフワークとして続けていきます。二期リゾートが所有していたガラス工房などの関連施設は我々の元に残りました。マンション分譲のタカラレーベンが、社会貢献事業の一環として、周辺の開発に協力もしてくれています。30年かけて造り上げたリゾートを5年ほどで新たな形で再建する計画です。物質的価値を重視するバブル期に誕生した二期倶楽部と比べ、心の豊かさ、体験する時間の豊かさといった感性価値を重視した施設になる予定です。
二期倶楽部はもともと、一期一会の出会いに終わらず2度3度とお客様が訪れてくださる第2の故郷を目指して名付けられました。その理念は変わらず持ち続け、お客様が再び那須に戻ってきていただけるようたゆまず努力を重ねてまいります。
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