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 加えて、あの場所には海保も船を留めていました。台風21号の時は宝運丸が先に確保しましたが、台風20号の時は海保の船も3マイル内にいかりを打っていました。事故前までは、あの場所を選ぶ合理性があったのです。

側面や居住部を破損したタンカー「宝運丸」。衝突後も暴風にさらされたが乗組員は全員無事だった

 「錨泊場所から移動せよという警告を無視して居座り続けたために事故が起こった」との報道もありましたが、これは事実ではありません。

 宝運丸がやり取りしていたのは淡路島にある大阪湾海上交通センターです。まず、船が走り出す前に「大丈夫ですか」と連絡がありました。「大丈夫です」と返した後、少しして、走錨が始まりました。船長はすぐエンジンをかけ一度は船を安定させました。しかし、また走錨が始まり、センターから「動いているみたいですよ」と連絡がきました。それには「エンジンを使って、頑張って踏ん張っています」と返事しています。

 このように、センターとのやり取りは、走錨回避のための協力動作的なものでした。いつのまにか当局の警告を無視したとなっているのは心外です。

 船長は最善を尽くしてくれたと思います。「エンジンを動かしていない」という報道もありましたが、既にお話しした通り、最初からエンジンを使って、逆方向に動こうとしています。

 そして、乗組員の安全性を考え、まず操縦をする最上階に集めました。視界がほぼゼロとなる中で突如、橋が現れ、居住部への直撃が避けられないと判断すると、即座に「下の階におりろ!」と叫び、全員を避難させました。

 衝突後は船が橋の下に押し込まれ、潰されて圧死する可能性がありました。その後、海保のヘリコプターで2人を救出していただきましたが、ガス臭がするとの理由で作業は打ち切られました。それで運航会社と弊社の手配した民間業者が残りの9人を助けたのです。

 その間も、爆発や火災を起こす危険性がありました。電源喪失で真っ暗闇の恐怖の中から全員を無事に生還させてくれたことに対し、経営者として、船長に感謝をしています。

 当日、大阪湾には約50隻が停泊し、30隻以上が流されていたようです。宝運丸は積み荷が空だったため、船体が浮き、風を受けやすい状態になっていました。タンクには上限満杯(1260トン)の海水を入れて対処していましたが、燃料積載時に比べるとやはり浮きます。

 居住部が横幅いっぱいを占めている船の構造も影響しました。さらに、ジェット燃料の専用船は甲板上に雨よけを張るため、これが帆の役割をして走錨を加速させた側面もあります。

宝運丸は修理せずスクラップに

 宝運丸は事故後、広島県にある造船所に運びましたが、スクラップにすることを決めました。修理はしません。どう弁解しても結果として、社会的に強い影響を与えてしまったことは事実です。やむを得ないと思っています。

 損害賠償については、一般の方からの請求が100件ほど来ています。多いのが飛行機代など旅費関連ですが、連絡橋は船の衝突前から通行不可能になっていました。構造上の問題で空港の一部が地盤沈下を起こし水没したことが、飛行機の発着機能をまひさせた直接的な原因と思われるのですが……。

 会社などの組織からはまだ具体的には損害賠償を頂いていませんが、恐らく保険の対象になると考えています。

 宝運丸は常識を覆す暴風で流されてしまいましたが、できる限りの措置を実施し、事故を防ごうとしました。弊社としては望みませんが、賠償元と裁判に至ってしまった時には、不可抗力を強く主張していきます。

 それでもなお、この事故により関空から出ることができなかった方々をはじめ、多くの皆様に多大なるご迷惑をおかけしたことに、深く謝罪の意を表します。また、せんえつではありますが、連絡橋の復旧に向けた業務に従事され、日夜ご苦労されている多くの方々に、心より感謝いたします。