9月4日、保有するタンカー「宝運丸」が台風21号の影響で流され関西国際空港の連絡橋に衝突した。空港と対岸をつなぐ唯一の道は一時通行ができなくなり、完全復旧には半年近くを要する見込みだ。大阪府内で新たに燃料を積み込むため近隣で停泊していたが、猛烈な台風の威力を予測できなかった。
(日経ビジネス2018年10月1日号より転載)

清水 満雄氏
1969年福岡県生まれ。91年日本大学法学部卒、日本鉱業(現JXTGグループ)に入社。98年に同社を退職し、祖父が興した日之出海運に入社した。2009年から社長。外航海運業をスタートさせ、14年にはJXTGから安全優秀賞を授与。
タンカーの連絡橋衝突の概要
9月4日、関西地方を直撃した台風21号の猛烈な風で、関空沖に停泊していたタンカー「宝運丸」(全長89m、2591トン)が流され、連絡橋に衝突した。橋げたが損傷し、道路がずれたことで、関空は一時、対岸と行き来することができなくなった。船の乗組員11人は全員無事だった。関空は7日から運用を一部再開。18日には、止まっていた鉄道も運転を再開した。
9月4日、関西国際空港と対岸を結ぶ連絡橋に、弊社所有タンカーの「宝運丸」が衝突し、甚大な被害を与えてしまいました。多くの方々にご迷惑をおかけしましたこと、申し訳なく思っております。心よりおわびいたします。
様々なご指摘があることは存じています。結果として宝運丸は常識では考えられない台風21号の暴風にあおられ、走錨(そうびょう、いかりが海底から離れて流されること)してしまいました。私の知る限りで、当時の状況や船長の対応について説明したいと思います。
宝運丸は飛行機のジェット燃料を運ぶ専用船です。岡山県の製油所で燃料を積んで関空に納入するのがお決まりのルートで、月に12~13航海していました。この海域はホームグラウンドのようなものです。にもかかわらず、なぜ事故が起きたのか。その経緯は次のようなものでした。
台風21号が接近する中、宝運丸が関空に荷揚げしたのは3日朝のことです。翌4日、大阪府内で新たに燃料を積む予定でしたが、作業が台風で1日延びたため、関空島と陸地、連絡橋の中間地点で停泊を続けることになりました。
その場所は台風の時に各社の船が停泊する定番のポイントでした。三方が囲まれ、防波と防風に優れています。海底は粘土質でいかりが効き、台風をしのぐ最適な場所とみられていました。
常識では考えられない暴風
「岸壁につないでおけば事故は防げた」との意見がありますが、それでは岸壁を破損します。「沖に出るべきだった」とも言われますが、水深が深いといかりが効かなくなります。今となっては言葉が難しいですが、「船長は最善の策を取ったものの、規定を超過する暴風が吹いてしまった」という認識です。
宝運丸の風速計は秒速60mまでですが、今回はそれを振り切っていました。90mくらいまでいったのでは、との証言もあります。不可抗力と言えるレベルの暴風だったのです。
事故の後、「関空島の周囲3マイルに錨泊(びょうはく)してはいけない」とする海上保安庁の推奨文が出てきましたが、これについては青天のへきれきでした。そんなくだりがあったのか、と驚いたのが実感です。当日も1日前から停泊しています。それ以前にも、注意喚起されたことはありませんでした。
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