創業80年を超える滋賀県の老舗企業で起こったお家騒動。 おいっ子に追い出された元会長は3年以上の抗争を経て、競合会社を立ち上げた。 無念さをにじませるが「切磋琢磨(せっさたくま)していきたい」とも語る、複雑な心境とは。

(日経ビジネス2018年6月25日号より転載)

[黒田紙業元会長、北斗グリーン社長]
黒田忠男氏

1939年生まれ。66年に黒田紙業に入社し、75年に専務、88年に社長、2004年に会長に就任。14年に退任するまでに、5つの営業所を持つ古紙問屋に成長させた。17年4月に北斗グリーンを設立し、18年春から事業を再開した。

SUMMARY

会社の経営を巡る衝突の概要

会社の株式の5割超を持つ4代目社長が、3代目社長だった会長(当時)を経営から追い出した。その後、元会長側は復権を目指して、2018年にかけて民事・刑事で訴訟を実施。株式の勝手な名義書き換えの是非、土地所有権の取引書類の信ぴょう性などを争った。今年3月に裁判は終了。元会長は滋賀県内に同じ業務を担う企業を立ち上げた。

 黒田紙業は関西ではそれなりに名の知れた古紙リサイクルの会社です。1933年創業で、私は3代目の社長・会長として経営してきました。4年前、4代目社長に突如、会社を追い出されました。その後、社長による勝手な株式名義の書き換えなどを訴えてきましたが、復帰はかないませんでした。昔の仲間と新たな会社を興し、今春から事業を始めています。関係者にはご迷惑をおかけしました。情けないと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 親父が初代社長で、2代目社長は兄でした。4代目の現社長は兄の息子、私にとってはおいっ子に当たります。私は1988年の社長就任時から、2人いた弟には「会社を大きくして本家に返すんだ」と言っていました。2004年、社長の座を譲り、私は会長に就きました。

いつからか生まれた距離

 会長─社長の関係が始まった頃、4代目は従順な青年でした。業界の会合で「黒田紙業にはいい跡取りがいて安泰だ」と羨ましがられたくらいです。だが、いつからか歯車が狂ってしまった。営業部長らの言いなりになり、私を遠ざけるようになっていきました。

 12年ごろ「自分1人で経営させてほしい」と言ってきたことがありました。一度は任せましたが、経営方針の作成を部下に任せるなど責任感が欠けていたため、少しして元の体制に戻しました。あのとき、我慢すればよかったのかもしれません。

 14年2月、裁判所から1通の内容証明郵便が来ました。「経営に口を出さない、営業所に行かない、従業員と接触しない、得意先に行かないという4点を守らなければ解雇通知を出す」といった内容でした。弁護士に相談しましたが、分が悪いということになりました。社長が会社の株式の70%近くを持っていることが分かったからです。

 「クビ宣言」に思い当たる節はありました。同年1月に170坪ほどの保有地を売却する際、銀行での決済に社長が行かなかったのです。会計担当の常務に聞くと「営業部長を連れて営業所回りに行きました」とのこと。社長に電話で銀行に向かうように言いましたが、かたくなに聞き入れませんでした。あまりに腹が立ち「お前は社長の値打ちがない、辞表を出せ」と怒鳴りました。

 翌日の会議の場で社長は辞表を出し、営業部長と出ていってしまいました。その日の夕方、社長は大津市内のホテルに営業所の幹部らを集め、全員に辞表を書けと迫ったそうです。社員側の抵抗に遭ってこれは実現せず、社長の辞表ものちに撤回となりました。