国際政治の現実は厳しく油断のならないものです。ロシアは震災直後の3月17日、Su-27などの戦闘機を日本の間近まで飛ばし、放射能を収集する作業をしていました。中国も3月26日、海監のヘリコプターや航空機を海上自衛隊の護衛艦「いそゆき」に異常接近させました。

笠松:トモダチ作戦による一連の動きは、こうした国々に対して、日米の紐帯の強さ、日米同盟が非常に強固であることを周辺国に伝えるメッセージになったと思います。災害時の支援はもちろん人道支援の一環ですが、それにとどまらず、安全保障上の意義も持っています。以前は対テロ戦での協力がその役割を果していましたが、今は災害支援が取って代わっています。

トモダチ作戦の基盤となった日米災害救護・復旧支援協力

笠松さんは2013年にフィリピンで台風被害が起きた時に日米が共同で行った支援を「第2のトモダチ作戦」と位置づけていますね。

笠松:おっしゃる通りです。実はトモダチ作戦は、それだけが独立して存在しているわけではありません。その基礎となる、日米間の様々な協力がそれまでにありました。そして、トモダチ作戦を踏まえて出来上がった新たな協力が今、育っているところです。

 まず、トモダチ作戦の基礎となった協力からお話ししましょう。嚆矢となったのは、「日米防衛協力のための指針」(いわゆるガイドライン)が1997年に改訂されたことです。この時、「大規模災害の発生を受け、日米いずれかの政府又は両国政府が関係政府又は国際機関の要請に応じて緊急援助活動を行う場合には、日米両国政府は、必要に応じて緊密に協力する」という文言が加えられました。

 具体的な協力の第一弾は、中米のホンジュラスが1998年にハリケーンに襲われた時に行った国際緊急援助活動です。自衛隊は被災民を援助するため、初めて国際緊急援助活動隊を派遣しました。これに伴い、太平洋をまたいで1万2600キロメートル先の同地まで援助隊の装備品を運ぶ必要がありました。輸送機C-130の航続距離は4000キロなので、途中で幾度か燃料を補給しなければなりません。この時、米軍が基地を提供してくれたのです。グアムのアンダーセン空軍基地、ハワイのヒッカム空軍基地、カリフォルニアのトラビス空軍基地などで給油することができました。ここから、日米の協力が「間接的」ながら、始まったわけです。

 その次は2005年にパキスタンで大地震が起きた時に行なった「パキスタン国際緊急援助活動」です。この地震で、7万人の市民が亡くなりました。パキスタン軍はテロとの戦争の真っ最中であるにもかかわらず、相当の人員を救援・復旧活動に割かなければならない。しかし、それでは、対テロ戦の勢いをそいでしまうことになりかねません。それを避けるため、日米が協力して救援・復旧活動を支援しました。日米の協力が、対テロ戦の維持という政策で協調する「戦略的」な性格を帯びるようになったのです。

 次のステップになったのは、2010年に中米ハイチで起きた地震に対応した「ハイチ国際緊急援助活動」です。この時は、ハイチに居た34人の米国民を、ポルトプランス空港から米マイアミのホームステッド空軍基地まで自衛隊が輸送機C-130で運びました。また、腹膜炎と腰椎骨折で苦しむレオガン市在住の女の子を、米海兵隊の部隊がいる3キロ離れた地点まで、自衛隊が車両で運びました。ここからは海兵隊がヘリを使い、米軍の病院船「コンフォート」まで運んでいます。このプロジェクトでは日米がついに現場で「直接的」に協力する段階に達したのです。

 こうした積み重ねがあったからこそ、トモダチ作戦で協力することができたのです。

フィリピンでの災害支援は第2のトモダチ作戦

トモダチ作戦が元となっている、その後の協力というのはどういうものですか。

笠松:一つは、「海図」の整備です。トモダチ作戦は「海図なき航海」と呼ばれていました。日米がどのような役割を分担するのかなど、事前には何も決まっていなかったからです。しかしトモダチ作戦を受けて、我々はこの「海図」を整備しました。その成果の一つが「自衛隊南海トラフ対処計画」です。南海トラフ地震が起きた場合を想定して、日米調整所の設置要領や、調整メカニズムの作り方、日米が共同して行う活動の概要をまとめています。

 もう一つが、2013年にフィリピンを襲った台風への対処でした。レイテ島のタクロバンなどで洪水や土砂崩れが発生し、多数の死者や避難民が発生しました。トモダチ作戦を含むこれまでの活動で培った日米の協力体制を第三国に対して提供したのです。日米同盟がまさに「地域を安定させるための公共財」としての役割を果しました。

 この活動では三つの大きな進展がありました。一つは、日米間の情報共有がいっそう緊密になったことです。陸上自衛隊はこの年、米太平洋海兵隊司令部に常設の連絡将校を初めて配置しました。米太平洋海兵隊はフィリピンの救助活動を担当した部隊の上部組織です。

 この時、同司令官のロブリング中将(当時)がこの連絡将校に作戦室に入ることを特別に許可しました。おかげで陸上自衛隊は、米軍がどのように動こうとしているか、すべての詳細情報を得ることができ、緊密な連携をすることができました。

 二つめは国際緊急援助活動において、日米物品役務相互提供協定(ACSA)を初めて適用したことです。ACSAは、自衛隊と米軍の間で、物品・役務(サービス)を相互に提供する枠組みを定めた協定です。防衛省は2012年に自衛隊法を改正し、国際緊急援助活動についても適用できることを明記しました。フィリピンにおいて、これを初めて実行することになったのです。

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