まさにトモダチ作戦の名前通り、米軍は友達として振る舞ったんですね。

笠松:はい。幹部学校の教官としてうれしいこともありました。教え子だった米陸軍からの留学生が偶然、仙台空港の復旧プロジェクトに配属されていました。ある時、彼女が「教官、たいへんです」と言って私のところに飛び込んできたのです。

 聞いてみると、米軍が業者に発注して設置した簡易式トイレに黄と黒のトラテープが張り巡らされていて、「US ONLY」という張り紙が貼られているというのです。簡易式トイレの業者が、契約者である米軍に配慮して張り紙を張ったのでしょう。彼女は、「もし被災者がこれを見たら、誤ったメッセージが伝わってしまう。早く取りはずすよう調整してください」と私に要請したのです。

 私は2005年に防衛駐在官としてパキスタンに赴任していました。この時、大地震が起きた。救助・救援のためにいちばんに駆けつけたのは米軍でした。しかし、彼らはパキスタンの人々の気持ちを慮ることができませんでした。パキスタンはイスラムの国であるにもかかわらず米軍は土日に休み、上半身裸になってキャッチボールをしていた。あれでは、むしろ行かないほうがよかったくらいでした。

 米軍は3月31日、仙台空港でのプロジェクトを終えて去っていきました。その最後に何をしたか。彼らはなんとゴミ拾いをして帰ったのです。あれだけの瓦礫を撤去した後です、チューインガムの一つくらい落としていったとしてもバチは当たりません。そして、4月13日、念願だった民航機の運航が再開されました。

瓦礫を撤去し稼働が可能になった仙台空港(笠松誠・西部方面総監部情報部長提供)

まさに立つ鳥後を濁さずですね。トモダチ作戦で米軍は、どうしてパキスタンの時とは全く違う行動を取ったのでしょう。

笠松:やはり長年にわたって日本に駐留していることが大きかったのだと思います。コゼニスキー大佐がこんなことを言っていました。彼がキャンプ・フジの周辺でふだん接しているおじいさん、おばあさんと被災者の像が重なるのだと。おじいさん、おばあさんと同じような人が東北の地にもいる。その人たちを助けたいのだと。

ゴミとなったクルマにもオーナーがいる

キャンプ・フジ周辺のおじいさん、おばあさんが東北のおじいさん、おばあさんを救ったのだと言えますね。

 米軍がまさに友達として被災民の気持ちを汲み取り、行動してくれたのは本当に有り難いことです。しかし、ご苦労も多かったのではないでしょうか。仙台空港復旧プロジェクトは事前にシナリオを決めていたわけでもなく、訓練をしていたわけでもありません。突然、起こった大災害に対して、いきなり集められた日米の部隊や空港関係者が協力するのです。順調に進む方が不思議です。

笠松:そうですね。しかし、正直な話、大きな問題になることはありませんでした。先ほどお話ししたパキスタンのプロジェクトでは多くの国から部隊が集まり、調整に難渋することがありました。それに比べると仙台空港でのプロジェクトで起きたことは何でもありません。

 ただし、こんなことはありました。津波によって空港敷地内に流されてきた山となっているクルマの撤去作業をしていた時のことです。これらのクルマは破損しており、もう走ることのできない事実上のゴミです。このため米軍のある兵士がゴミとして取り扱おうとしました。それをコゼニスキー大佐が止めたのです。そして、「それぞれのクルマにはオーナーがいる。その気持ちを考えて取り扱うように」と指示しました。

 また、あるチームが事前の調整をすることなく、ある小学校にヘリコプターで訪れ物資を配付したことがありました。困っている子供たちを早く助けたい一心で取った行動だったと思います。しかし、日本には日本の事情があります。被災した県の知事や、市町村の首長は、全体を見渡して、最も被害の大きいところから支援したい。そのためには、いろいろな調整が必要で、調整には時間がかかる。そういう配慮をする必要のない米軍から見ると、日本側の動きは遅く、「やる気があるのか」と思うところもあったと思います。

事実上の日米安保条約発動

トモダチ作戦は安全保障上も大きな意義を持っていますね。適切な部隊を選んで任務を与え、現地に急行させる。最後の“撃ち合い”こそないものの、それ以外は有事の部隊展開と同じです。「日米安全保障条約の事実上の発動」と言われました。米軍は1万6000人の人員のほか、約20隻の艦艇、約40機の航空機を動員しました。

笠松:おっしゃる通りです。米国の各部隊は極めて短期間で展開しました。

 米揚陸艦「トートゥガ」が佐世保から北海道に急行。3月16日、苫小牧にいる陸上自衛隊第5旅団の人員約300人を青森県の大湊に運んだ。これは津波警報が出ている真っ只中での協力だった。

 強襲揚陸艦「エセックス」はアジア諸国との関係強化のためマレーシアを訪問していた。しかし、3月11日夜には同地を出航し日本に向かった。同艦はこの後、気仙沼大島の港復旧作業に加わった。

 米海軍のシンボルである空母もトモダチ作戦に加わった。3月13日にはロナルド・レーガンが到着し、洋上のハブ空港としての役割を果たした。厚木基地から空輸した援助物資を降ろし、ヘリコプターに積み替えて被災地に運んだ。

笠松:この機動力の高さは周辺の国々を驚かせたと思います。

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