わりと知られた事実だけに、言及しているページはいくつも見つかる。それどころか、福島第一事故の事故調査の過程で、なぜ貞観地震に基づいて検討しなかったかを東電が弁明した文書(要するに、2011年の時点で貞観地震の津波に関する知見はそんなに確定したものではなかった……と主張している。彼らに平井弥之助の「技術者には法令に定める基準や指針を超えて、結果責任が問われる」という信条を教えてあげたい)まで見つかる。

 しかしオリジナルは見つからない。

 幸い私は、元の文書の「http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/107/3/032/gijiroku32.pdf」というURLをメモしてあった。これを使い、世界にいくつかあるインターネットアーカイブを探した。

 そこに、この文書はあった。

隠蔽とは言わない。だが公表して当然の資料だ

 これは一体どういうことか。日本の運命を決めたと言っても過言ではない意志決定のプロセスを記録した文書が、所管の官庁で公式に保管されておらず、海外のインターネット・アーカイブで見つけるハメになるとは。

 今、霞が関は文書の改ざん(彼ら曰く改ざんではなく「書き直し」だそうだが)で揺れている。が、それ以前にこの公文書保管と公開に対する意識の低さはどうしたことだろう。

 公文書は国の記憶である。保管と公開を徹底しなければ、国は記憶喪失症となり、一貫性と継続性を失う。それは国の死を意味するのだが……。

 前編で書いたとおり、私は、日本にとって少なくともしばらくの間は原子力発電が必要だし、研究開発への投資も行うべきだと考えている。だが、それを管理・運営する組織について、前向きな提言をする気力が失せてしまった。いずれ、この話を続けさせていただく機会があることを祈って、今回はこれで〆させていただく。

追記:国会図書館のアーカイブにはありました

 Twitterで、「国会図書館アーカイブの中にもないと言っていたが、これではないか」とのご連絡を頂いた。その通り、これである。

 ということで、お詫びしたい。私は国会図書館アーカイブの中の原子力安全・保安院の起点ページ(こちら)から当該文書を探していて、経済産業省のアーカイブにあることに気が付かなかった。

 ちなみにこの議事録、正式名称は「総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG (第32回)議事録 」である。

 ではもしかすると、経済産業省のサイト(http://www.meti.go.jp/)で公表されているのだろうか。こちらで検索すると、「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会」にたどりつく。そこで「耐震・構造設計小委員会地震・津波、地質・地盤」で検索を行うと、アーカイブがあった。ただし、「Aサブグループ」は第37回(平成22年11月26日)から。「Bサブグループ」は第20回(平成23年1月21日)からで、該当の議事録はやはり見当たらない。

 ……と思って長い長いページの最後までいくと、「各審議会・研究会等の審議記録(配布資料、議事録、議事要旨)は概ね過去5年度分を掲載しています。上記以前のものは国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(Web Archiving Project)」ホームページ外部リンクでご覧になることができます。」という注意書きが用意されている。結局のところ、この議事録はやはり、官庁では(庁内のルールに則って)公開されていないようだ。

 ページの最後から国会図書館の詳細検索ページに飛べるが、使いやすい民間の検索システムに慣れていると絶句すると思う。ちなみに「検索技術の稚拙なお前が、何を偉そうに言い訳するか」なのだが、国会図書館アーカイブの検索性もよくはない。トップから「総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG (第32回)議事録 」と文書の正式名称で検索をかけた場合、同議事録が表示されるのは10件表示で、4ページ目からである。「データを消しはしない。だが、探しやすくする気はない」という雰囲気を感じるのは、被害妄想なのだろうか。



3月11日で東日本大震災から7年を迎えました。被災地の復興が進む一方、関心や支援の熱が冷めたという話もあちこちから聞こえてきます。記憶の風化が進みつつある今だからこそ、大震災の発生したあの時、そして被災地の今について、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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