東京電力と原子力発電を巡る歴史的な経緯は非常に興味深い。官の支配に抵抗する民、なんとか民を権限下に置きたい官、その間で、原発は互いの新しい領地として、技術的に最善を追求するのとは別のやり方で支配されてきた。――なんでこんなことを言っているかといえば、私は3.11のあと、今は「日経 xTECH(クロステック)」に吸収された「日経PCオンライン」で、原子力発電関連の技術や歴史を調べ、書きまくっていたのである。物好きな方は、探してみていただきたい(※編注:探しました。初回はこちら→松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」原子力発電を考える (第1回) 初歩の初歩から説明する原子力と原子炉)。

 さてここで、今後の原子力発電を司る組織とそのための改革案を展開すべきところだが、残念ながら今の私にはその力はない。

 編集者からは「何か、ほら話でも理想論でもいいので、『かくあるべき』を書いていただけませんか。そうでないと、読んだ方が『原発は必要だけど運営する組織は信用できない』という迷路の中に、置いていかれてしまいます」と泣きつかれた。

 それは自分でも思ったし、すこしは明るい話でコラムを終えたい。だが、そんな気持ちを吹き飛ばすようなことを見つけてしまったのだ。

議事録がホームページから消えている

 今回の記事を書くにあたって、以前閲覧した原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会の地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループの第32回会合の議事録を探した。ところが、これが見つからない。

 議事録は以前、原子力・安全保安院のホームページで公開されていた。

 しかし、原子力・安全保安院は東日本大震災後の2012年9月に原子力行政の改革と共に廃止され、その機能は環境省の下に設置された原子力規制委員会へ移行した。では、と原子力規制委員会にデータが継承されていないか、と探す。こちらにもない。

 では、と、国会図書館が行っている行政ホームページのアーカイブサービスで検索する。第32回会合に提出された資料は見つかった。だが、なぜか議事録は残っていなかった。

 それでは誰かが非公式にファイルを公開していないだろうか、と、検索キーワードを変え、検索エンジンもとっかえひっかえして、ファイルを探す。どこにもない。