ここで、貞観地震を前提にして耐震性を検討すべきとなっていれば、福島第一の抱える低い海抜という問題点が露呈し、なんらかの対策を打つことができたろう。しかしそのチャンスは、東電の小さな地震を前提とした報告書と、原子力・安全保安院の指摘の検証を先送りする態度により、潰れてしまった。

2009年7月に原子力・安全保安院が出した、福島第一原子力発電所の耐震性検証の結論(原子力・安全保安院資料より)。検証作業そのものは東電が行っている。

自らが「官」になっていった東電

 なぜこのような違いが生まれてしまったのか。

 東京電力の出自を遡ると、そこには、意外かもしれないが「官への不信」に基づく経営の系譜がある。

 戦争のためにすべての電力会社を統合して設立された「日本発送電」という国策会社があった。戦後もこれを温存しようとする動きに対し、「そんなバカな話があるか」と徹底抗戦し、最終的にGHQまで巻き込んで現在に続く東京電力をはじめとする「九電力体制」(その後沖縄復帰に伴い沖縄電力が加わる)を確立した男、「電力の鬼」こと松永安左エ門 (1875~1971)。そんな彼の信条は「官は信用ならん」だった。

 平井が最初に就職した東邦電力は、松永が興した会社である。資料にあたった限り、その思いは、少なくとも松永の経営面での弟子であった木川田一隆(1899~1977、1961~71まで東京電力社長)には引き継がれていたように見える。

 東京電力は、高度経済成長による電力需要の伸びと共に巨大化し、あたかも「小さな国、小さな官」のようになって、松永が蛇蝎の如くに嫌った「官の無責任」を抱え込むようになってしまった、ということなのだろう。