(前編はこちら「考え続けている。原子力発電は本当に危険か?」)

 一体なぜあのような事故が起きたのか。事故後、様々な意見が世間に溢れたが、実のところ責任は明確だ。「東京電力」の責任だ。一義にこれである。その上で、東電に安全性を高めるように指導できなかった経済産業省や文部科学省、さらには歴代政権の責任ということになる。

 なぜか。福島と同レベルの地震振動と津波に直面した、東北電力・女川原子力発電所は事故を起こさなかったからである。つまり、施設としての原子力発電所はあれだけの地震と津波に耐えるように設計することが十分に可能だった。前回のタイトルを引いて言えば「ちゃんと設計・運用されていれば、原子力発電は大地震に対しても危険とは言えない」のである。

東日本大震災に耐えた東北電力・女川原子力発電所(写真:ロイター/アフロ)

 東京電力はしていなかった地震・津波対策を、東北電力はなぜ行うことができたのだろうか。

女川原発を設計した技術者、平井弥之助

 原子力が日本に入ってきた1960年代、東北電力には平井弥之助(1902~1986)という技術系の副社長がいた。女川原発が建設された1970年代、すでに退任していた彼は東北電力の社内委員会委員として女川の安全設計に携わった。

 当初女川原発は海抜12mのところに建設されることになっていた。それを平井は14.8mまで上げさせた。原発は海水をポンプで汲み上げて冷却を行う。より海抜の高いところに建設すれば、それだけ強力なポンプが必要になり、建設にも運用にもコストがかさむ。しかし平井は頑として引かず、海抜14.8mを実現した。

 東日本大震災時、女川は高さ13mの津波に襲われた。しかも地震による地盤沈下で、女川原発は1mも地盤が低下していた。しかし14.8mで建設していたので13mの津波にも1mの地盤沈下にも80cmの余裕を残して耐え、事故を起こすことなく安全に停止した。

 平井弥之助は、 宮城県の沿岸に位置する柴田町の出身だ。東北の海沿いで、津波の怖さを実感しつつ育ったのである。東京帝国大学工学部土木工学科を卒業して東邦電力という電力会社に技術者として就職。その結果、彼の使命感は発電所の地震・津波対策へと向かった。新潟火力発電所の建設にあたっては地震時の地盤液状化対策に力を注ぎ、1964年の新潟地震では、地下10mにまで及ぶ液状化にも同発電所の施設は持ちこたえた。