兵站で力を発揮した民の力
兵站の面では民間企業が協力してくれましたね。
火箱:そうですね。
北海道に居る北部方面隊が東北に駆けつけるには海を渡る必要があります。「船は自分がなんとかする。小樽でも苫小牧でも、港に部隊を集結させておけ」と北部方面隊の総監に命じ、海自の杉本正彦・海上幕僚長(当時)に北部方面隊を輸送艦で運んでくれるよう依頼しました。
しかし、不運なことに輸送艦は1隻は海外、2隻は修理のためドックに入っており出航に2日かかるという。これでは72時間に間に合いません。結局、新日本海フェリー、商船三井フェリー、太平洋フェリーの協力を得て運んでもらいました。
陸上では日本通運の協力を得ました。自衛隊の部隊内の兵站は自分たちで賄うことができます。しかし、避難者も支援しなければならない。しかも、その数は30数万に上りました。避難者の支援は本来、自衛隊の役割ではありませんが、放り出すわけにはいきません。せっかく救助しても、避難所で飢えたり凍えたりするようでは元も子もありませんから。
そこで陸・海・空自衛隊で「民生支援物資輸送」の仕組みを作り、陸上輸送は日本通運に避難者向けの物資輸送を依頼しました。岩手・宮城・福島にある同社の倉庫を借り、そこまで物資を運んでもらう。その先の輸送は陸自が担当しました。
日通のトラックには帰りのガソリンを現物で渡しました。実はこの前に、政府が食料と油を整えて被災地に送ろうとしたのですが、トラック協会は送れないとしていました。往きはよいが、帰りのガソリンを調達できないからです。日通との協力ではこの点を解決しました。
先ほど説明した施設団はこうした支援物資を運ぶトラックが行き来するための道を切り開くのに活躍しました。
シャワーの水をちょろちょろ出しつつご遺体をお清め
震災から1週間たった3月19日から、火箱さんは現場への視察に出ました。現場はどういう状況だったのですか。

火箱:海岸線は瓦礫の山。三陸のすべての海岸はまるで艦砲射撃を受けた後のように茶色に染まっていました。私はそれまでにイラクとアフガニスタンの戦場の映像を見たことがありました。しかし、あの時の東北の状況が最もひどかった。
そんな中でも陸自の各部隊は頑張ってくれました。
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