北海道の北部方面隊からは旭川の第2師団と第1特科団等直轄部隊、東千歳の第7師団の一部を現場に送り、第5師団は帯広で待機、第11旅団は真駒内に残しました。

 第7師団は機甲部隊*で災害派遣には向かないので、隊員だけを出動させました。

*:戦車などを中心とする部隊

 第5師団を待機させたのは、震源地が三陸沖であることを考えると、釧路・帯広に影響して津波が襲う懸念があったからです。第11師団は中心都市・札幌を守ると共に、第2師団の留守をカバーするため。

被災地を視察する火箱芳文陸幕長(当時)(写真=陸上自衛隊幕僚監部)

 関東甲信越を担当する東部方面隊からは第12旅団(群馬・相馬原)を派遣しました。中心をなす第1師団(東京・朝霞)は動かしづらい。首都・東京の防衛を疎かにするわけにはいきません。加えて、茨城と千葉は被災している。なので、関東以西から駆けつける他の部隊の兵站を担うよう命じました。

 普通科連隊だけでなく、福岡・小郡の第5施設団をはじめとする施設団も派遣しました。廃材を撤去するための重機を持っているし、道路補修もできる。彼らが保有しているボートは水上から救出もでき、川に並べれば橋を仮設することもできます。

 一連の指示は作戦基本部隊である師団もしくは旅団の単位で行いました。現場を偵察して、即、行動に移すことができるからです。師団には情報部隊や飛行隊があります。彼らがどこにどんな支援が必要かの情報を集め、各連隊が実行する。連隊単位で動かすと、連隊は飛行機を持っていないので、十分な情報を集めることができない可能性があります。

 一連の指示の甲斐があって、72時間後には3万人の部隊が被災地で活動していました。

火箱さんはこれだけの“作戦”をわずか30分で決めたのですね。事前に予感があってシミュレーションをしていたのですか。

火箱:いえ、そんなことはありません。会議をしていた11階の次官室から4階の自室に向かうため、階段を駆け下りながら考えました。エレベーターはとまっていましたから。