PROFILE
1955年生まれ。慶応義塾大学卒業後、城南信用金庫に入社。企画畑を歩み、懸賞金付き定期預金など独自の商品を開発。2010年から現職。東日本大震災後には脱原発を宣言した。

(写真=的野 弘路 )

「原発再稼働は暴挙。
 経済合理性欠いた議論は
 地方創生の芽まで摘む」

 政府はこの6月に、2030年の電源構成(ベストミックス)案をまとめる。先に公表された経済産業省の素案によると、原子力発電の比率は20~22%と、東日本大震災前の28.6%より低い。太陽光などの再生可能エネルギーは最大24%を掲げ、原発を上回る普及を目指すという。しかし原発を再稼働すること自体、私には暴挙としか見えない。

 何よりも原発は経済合理性を欠いているからだ。実際、私の勤める城南信用金庫では東京電力から特定規模電気事業者のエネットに切り替えたところ、年間億単位の電力コストが1000万円も下がった。原発に依存しない電力の方が安いということを実証してみせた。

 もし日本が昭和30年代から原発をやってこなければ、その方が社会全体で負担するコストも低かったのではないか。使用済み核燃料の保管・廃棄も問題になる。そもそも保管も廃棄もできる場所が見当たらないこと自体、コストが無限大に膨らむことにつながる。

 精神医学の世界では、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意を抱くことを「ストックホルム症候群」と言うそうだ。原発も同じだろう。私たち日本人は原発が理不尽だと分かりながら、それをあえて合理化することで自らの社会基盤や経済発展を正当化しようとしてきたのではないか。

 それは今の日本人が陥りがちな思考回路であり、国の経済発展を著しく阻害してしまう。真実や正義、経済合理性よりも単に多数派を重んじる発想だ。私が震災後、「脱原発」を宣言して以降も、多くの人は原発は間違っているとは知りながら声を上げようとはしない。

 経産省案では、稼働から40年以上経った危険な老朽原発の運転延長も検討するという。ならば効率の良い火力発電を増やしたり、再生可能エネルギーを定着させたりすべきだ。

 むしろ、原発に再び力を入れたいならば、政府と電力各社は霞が関・永田町界隈に原発を新設するくらいの気概を持てと申し上げたい。国会議員も官僚も自分たちの仕事、生活に必要な電力は原発で100%賄えばいい。

 現実はどうか。原発が追いやられているのは過疎の地方だ。これが、安倍晋三政権の掲げる地方創生と逆行していることは自明の理だろう。それどころか、原発が地方経済の自立を断ち切っている。

 原発を持つ自治体には国から多額の補助金が落ちている。人口数千人の町、村にプールを備えた体育館や立派なコンサートホールがいくつもあったり、農道の脇道まで舗装されていたりする例は多い。お金をもらって目先の消費を楽しむことだけが、人間の経済活動と言えるだろうか。新たな価値を生み出し、それらを人と人、企業と企業、地域と地域が交換し合うことが強い経済を創り出す。

 今、私がひそかに関心を持っているのはデンマーク、ドイツの地方活性化策だ。各地域が太陽光や植物由来原料(バイオマス)など、地産地消型のエネルギーを工夫してキャッシュフローを確保している。そのエネルギーとお金で産業を回し、地域に移り住む人も増えている。いずれも国のグランドデザインを押し付けられているのではない。地域ごとに競い合う自発的な経済だ。金融も地域を支える、協同組合の機能を強めていくことになる。

 そう考えると、責任は国にあるというよりも、地方、そして私たち一人ひとりが責任を持つべきだという結論にたどり着く。経済合理性を欠いたエネルギーのベストミックス議論は地方創生の芽まで摘み取りかねない。

日経ビジネス2015年6月1日号 114ページより目次

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