2014年12月29日号
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特集 日本の未来へ 遺言
未来の経営者へ
未来への遺言ですか。僕にとっては「会社が潰れないように」。それだけだな(笑)。でもね。今回話そうと思ったのは、やっぱり、僕の話がこれからの時代を担う皆さんの参考に少しでもなるのならと思ったからです。
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特集 日本の未来へ 遺言
終戦、その時
1945年8月15日正午。国民はラジオから流れる天皇の声に直立し、そしてゆっくりと頭を垂れた。日本が戦争に負けたその時。後にリーダーとなる若者たちは、何を感じたのか。
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特集 日本の未来へ 遺言
未来の創造者へ
もう、これが最後と思って、遺言として皆様に伝えておきたいことをお話しします。真空管の専門家だった私は戦争中、陸軍の登戸研究所で殺人光線の研究に動員されていました。大本営はマイクロウエーブを人間に向けて照射すれば兵器になると考えたんですね。実際、犬や猿の頭や肛門に寒暖計を刺して、どの温度まで上がったら死ぬかと実験していました。
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特集 日本の未来へ 遺言
復興から熱狂へ
敗戦をバネに、日本は「奇跡」と呼ばれる躍進を見せる。復興から高度成長、そしてバブルの熱狂へ。日本人が世界にその力を認めさせた時代を、当事者たちの証言とともに振り返る。=敬称略
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特集 日本の未来へ 遺言
未来のリーダーへ
私がパッと総理を辞めたのも、自分がそんなスタンスだからです。「没量」と書きました。モツリョウと読みます。現代はお金でも生産量でも多ければいいと、何でも量ではかるわけだけど、この言葉の意味するところは、価値を全て量ではかるのは間違いじゃないか、ということなんですね。
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特集 日本の未来へ 遺言
停滞、そして開放へ
「失われた20年」。この国から熱狂が去り、閉塞感で覆われるようになって久しい。打開は可能なのか。その解は今なお見えない。だが、確かなこともある。歴史を塗り替えるのは常に、国家や制度などではなく、個々の人間そのものだ。
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特集 日本の未来へ 遺言
未来の日本人へ
世界で初めてエベレストの8000m地点からスキー滑降したのは1970年。当時は日本企業が世界に挑戦して、どんどんトップに迫りつつあった。スポンサー探しで盛田昭夫さんや松下幸之助さん、本田宗一郎さん、佐治敬三さんとお会いしましたが、皆さん素晴らしい個性と好奇心を持っていらした。佐治さんはそれこそ「やってみなはれ」と(笑)。フロンティア精神やチャレンジ精神、命懸けで成し遂げようという思いが通じたんでしょう。