自民・公明の与党が326議席獲得する中、民主党は11議席増の73議席にとどまった衆院選。海江田万里・民主党代表は比例復活もならず落選。渡辺喜美・みんなの党元代表も議席を失った。安倍政権への国民の不満を票に結びつけることができなかった「敗軍の将」たちの言葉をまとめた。

海江田 万里氏[民主党代表]
短期決戦で声届かず 現職党代表の落選

 民主党としては公示前の62議席から73議席へと議席を少し伸ばしたが、現職の党代表が「落選」の憂き目に遭った海江田万里氏。安倍政権による政策の危うさを訴えたものの、「国民には十分に届かなかった」と反省の弁を述べる。

(写真=柚木 裕司)

 総選挙を終え、民主党は議席を増やしました。しかし、「自民・公明の与党の議席を減らしてほしい」という国民の皆さんの期待には十分に応えられませんでした。そのことについては、代表として大変反省しています。

 また、私個人としては落選という残念な結果になりました。私を応援してくださった方々には、大変申し訳なかったと思っています。これまでのご支援には、本当に感謝を申し上げます。

 民主党としては、議席を改選前よりも10議席以上増やすことができました。しかし、選挙を通じて安倍晋三首相の経済、外交、安全保障政策の危うさを訴えてきましたが、国民の皆様にその声は十分に届かなかったのだと思います。

敗因の一つは低投票率

 安倍首相がこの2年間やってきたこととは何でしょう。非常に危ういことばかりです。

 例えば今年春、(企業が3年ごとに人を代えれば、どんな仕事も長期にわたって派遣労働にできる)労働者派遣法の改正を図りました。正社員ではなく、派遣労働者を増やし、安い賃金で使えるようにしようというわけです。派遣の人を一生、派遣のままにすることができる法律です。

 ですが、日本は既に雇用者の約40%が非正規労働者になっています。日本では過去こういうことはありませんでしたし、世界を見てもこんな国はありません。非正規であっても、正社員と同一の労働ならば同一賃金にするのが原則なのに、そこには手を付けず、企業の使い勝手だけをよくしようとしたのです。

 今春、自民党がこの改正案を出してきた時には、民主党はほかの野党と共闘して廃案に追い込みました。ところが、今回の選挙の前にまた国会に提出しようとしたのです。社会保障についても、自民党は消費税を引き上げて1兆円を回すと言ったのにほとんどやりません。

 子育て支援も同じです。子供を産んで育てたいという気持ちは多くの人が持っています。でも、経済的な理由で結婚ができないし、子育てもできない人が多いのです。それなのに労働者派遣法改正のようなことをしてくるわけです。円安にして物価だけが上がったことも国民を困らせています。

 アベノミクスとはそういうものなのです。「安倍政権を何とかしてほしい」という声は、全国でたくさん聞きました。民主党は、そうした国民の不満の声の受け皿になれなかったのではないかとよく言われます。しかしそうではなく、こうした声を十分議席につなげられなかったのだと思います。それがとても残念ですし、申し訳なく思っています。

 原因の一つには投票率の低さがあるでしょう。52%という、これまでの総選挙で最も低い状況で、民意が十分に反映されなかったのだと思います。解散から投票日までの期間も過去最短で、時間的な余裕がなかったことも挙げられます。

 私は代表になって以来、前回の総選挙で大敗した反省に立ち、野党間での協力体制を作ることを大事にしてきました。労働者派遣法を廃案に追い込むことができたのも、そのおかげです。そして今回の衆院選でも、維新の党など他の野党との間では、候補者や選挙区の競合を避け、協調する努力を水面下でしてきました。前国会の最後には、党首会談も行いました。

もっと地域に根差した政党に

 かつて、民主党は議員の寄せ集めの政党だと言われていました。そこが課題でした。もっと地域に根差した民主党を作らないといけないのです。

 突然の解散があるまで、民主党再生のポイントは来年春の統一地方選挙だと考えていました。統一地方選が大事であること自体は変わらないのですが、もっと地域に根差していかなければならないのです。

 例えば、私は選挙期間中、栃木県鹿沼市などの栃木2区に2度入りました。いわゆる農村地帯です。そこの農家の方たちと意見交換をしていると、米価が安くなって非常に困っているとおっしゃる。もっと安心して農業に取り組める体制が必要だと。こうした声をもっと受け止められるように地域に入らないといけないと思うのです。

 今回の選挙では、民主党に対する国民の皆さんの見方も変わってきたように思います。政権を失った2年前の総選挙では、非常に厳しい言葉を頂きました。ですが、今回は街頭演説をしていても、ビラ配りをしていても、近寄ってきて声を掛けてくださる方がとても増えました。

 私自身、選挙戦では党首として仲間の応援に行く前に朝、地元・東京1区の駅頭で20~30分、できる限り訴えをさせていただきましたが、しばしばそういうことがありました。もう一歩、そうした人たちの中に入り込まないといけないのです。

 今回、落選したことで、私は民主党代表の職を辞任いたします。ですが、民主党は野党第一党として引き続き、柱になっていかなければなりません。安倍首相が暴走しないように歯止めをかけなければ。そのために私もまだ、できるだけのことはしていきたいと思っています。(談)

渡辺 喜美氏[みんなの党元代表]
「純化路線」進め孤立 借入金問題も響く

 初代代表を務めた「みんなの党」が11月、党の路線を巡る争いから解党となり、渡辺喜美氏は地元・栃木3区から無所属で衆院選に出馬。自民候補に敗れ、父・美智雄氏の代から50年以上にわたり築いてきた「渡辺王国」は崩壊した。

 応援していただいた皆様の期待に応えられず、申し訳ありませんでした。敗因はいくつか考えられます。

 まず、自民党と政策を差別化できなかったことが挙げられます。アベノミクスは私が主張する、金融緩和、積極財政、構造改革の3つを柱とする経済政策と方向性が同じです。ですから安倍政権を支持すべきだというのが、私の立場でした。

 しかし今回、同じ選挙区で自民党の簗和生候補と争うことになり、有権者には分かりにくい構図になりました。選挙で勝つことを優先すれば、(安倍政権を批判するなど)違った戦い方がありましたが、私は自分の信念を曲げることができませんでした。

不器用さが資金問題拡大

 政策こそ政治家の魂です。その実現のために私は安倍政権と協調路線を取ってきました。しかし、党代表として協調路線を取ったことが、みんなの党の分裂を招きました。政策の実現よりも、次の選挙で勝つことを優先した所属議員が、他党との合流を画策したり、次々と離党したりする事態に陥ったのです。その過程で、(化粧品会社ディーエイチシー=DHC=の吉田嘉明会長から8億円の)資金を借り入れた問題が明るみに出ました。

 資金を貸してくれた人(吉田氏)からは、「党を分裂して出ていった人(江田憲司議員)の言うことを聞きなさい」と迫られました(編集部注:吉田氏は、江田議員が結成した「結いの党」に、みんなの党が持つ予算委員会のポストを譲るよう求めたとされる)。

 それに従っていれば、別の展開もあったでしょう。しかし私は不器用な男なので、要請には応じませんでした。そして、借り入れの事実が公表されました。自分が不器用であったがために、騒ぎを大きくしてしまい、心から反省しています。

 政党の立ち上げには資金が必要です。私は8億円近くをみんなの党に貸与していました。いい悪いは別にして、それが政党運営の偽らざる現実なのです。この点はできる限り説明してきたつもりです。

 東京地検特捜部が事務所などを家宅捜索したとの報道がありますが、私は承知しておりません。ただ捜査への協力要請があればいくらでも協力します。

 私は(借入金問題の責任を取って2014年4月に)党代表を辞任して、一兵卒となりました。ただ、その後も党の路線を巡り内部対立が続き、11月28日には解党という最悪の事態を迎えました。みんなの党での5年に及ぶ政治活動が、無に帰したというイメージを持たれてしまいました。

 解党によって、私は裸一貫の無所属候補になりました。党の代表でも何でもない私が、地元のために果たして役に立てるのか、全く力がないのではないかなどという疑念を有権者に抱かせてしまいました。

 総選挙までに改めて新党を立ち上げることは可能でした。しかし、それは考え方を同じくする者たちが集まる純化路線ではない、妥協の産物による政党でしかありません。そんな政党を作って再び分裂すれば、「何をやっているんだよ」と批判されます。私は信念を貫き、純化路線の政党を作ろうとしましたが、できませんでした。

親父に比べ努力が足りなかった

 私の親父(故・渡辺美智雄元副総理)は最初、行商人としてこの地域を回っていました。次に税理士となって、地元企業の税務申告などを手伝ってきました。その中で政治の重要性に気付き、県会議員から国会議員になりました。その意味で、この地域を知り尽くした政治家でした。

 私も親父に倣って、政治家としてこの地域を駆けずり回ってきました。しかし初当選から年月を重ね、自民党時代に大臣となり、みんなの党代表に就任するなどしているうちに、地元に戻ってくる頻度が減りました。

 そのため、「原点に戻れ」などという批判を頂戴するようになりました。親父に比べたら、まだまだ努力が足りなかったと反省しています。

 「選挙地盤」は親から子へ、財産のように相続できるものではありません。選挙という民主的な手続きを経て、次の世代へ議席が移ります。そういう意味で今回、私ではなく、自民候補の方がふさわしいと有権者が判断しました。厳粛に受け止めねばなりません。

 今後のことについては、大変苦労をかけた家族、後援会の皆様、私と行動を共にしてくれた地方議員、何よりも私を支持してくれた有権者の皆様の声を聞いて、考えていきたいと思っています。(談)

しぼむ第3極、維新の党の「敗北宣言」
巨大与党を誕生させた責任は重い

 「安倍さんの術中にはまった」

 東京都内のホテルで開票結果を見守った維新の党の江田憲司代表。今回の選挙戦について繰り返しこう述べた。獲得した議席は41。30議席を下回るという事前予想を覆し、選挙前の42議席とほぼ同数に踏みとどまったものの、2012年の前回衆院選で躍進した「第3極」の勢いはなかった。

 みんなの党出身の江田代表は、同党元代表の渡辺喜美氏と対立して2013年に結いの党を立ち上げた。一方、維新の党共同代表の橋下徹氏は2013年の従軍慰安婦発言や、翌2014年の大阪市長出直し選挙などから求心力を失った。みんなの党との連携構想は破綻し、いったんは合流した石原慎太郎氏などが分離して次世代の党を結党。そうした内輪のゴタゴタで、第3極に対する有権者の期待を裏切ったことが今回の選挙結果につながった。

 江田代表は「維新への期待を裏切ったことは率直に認める。ただ、結いの党と合流した維新の党は今年9月に結党したばかり。いくつかの国会を経れば、私たちの政策を理解してもらえ、これまでの動きが基本政策を一致させるためのものだったと分かってもらえたと思う。今回は時間がなかった」と悔しさをにじませる。

 選挙戦中には、橋下代表の事実上の敗北宣言もあった。江田代表は「(有権者に訴求するための)橋下代表特有の逆説論法だった」と話すが、巨大与党の前に野党の存在感を示すことはできなかった。「巨大与党を誕生させてしまった野党の責任は重い」(江田代表)。

 それでも江田代表は多くのメディアの事前予想を覆したことに関しては、手応えを感じているようだ。「今後の可能性を感じた選挙だった」と総括する。自民党に代わり得る選択肢として認知されるように1つの大きな塊を作っていくと話すものの、「まだシナリオはない。野党再編は言うほど簡単ではない」と弱気な一面も見せた。


「敗軍の将、兵を語る」は選挙期間中の演説や選挙後の囲み取材、記者会見などを基に構成しました。
日経ビジネス2014年12月22日号 14~16ページより目次

この記事はシリーズ「時事深層(2014年12月22日号)」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。