1716(享保元)年に創業した麻織物問屋、中川政七商店(奈良市)の13代目。「ユニクロ」などカジュアル衣料ではなじみ深いSPA(製造小売り)ビジネスモデルを伝統工芸品で初めて本格展開した。後継者不足や販売不振で伝統工芸品メーカーの廃業が相次ぐ中、企業の垣根を越えた経営指導にも力を入れる。

(写真=大高 和康)
INNOVATOR 09
中川政七商店社長
中川 淳(なかがわ じゅん)
1974年奈良県生まれ。2000年京都大学を卒業後、富士通に入社。2002年より実家を継ぐ。趣味のサッカーで学んだ一点突破の思考法で地域再生を目指す。

 東京・丸の内の旧東京中央郵便局を再開発した商業施設「KITTE(キッテ)」。4階に構える中川政七商店は東京の新名所になりつつある。若いカップルや老夫婦でにぎわうほか、外国人観光客も増えてきた。

 店内には、全国で生産された衣類や食器、雑貨などが所狭しと並ぶ。その大半は中川が生産者と共同で手掛けた品々だ。

 日本には、地産地消で作られた伝統工芸品がたくさんある。だが事業者の多くは零細で自前の販路を持たず、事業を拡大する術を持たない。中川はそんな事業者と協力し、開発から製造、販売まで手掛ける。いわば伝統工芸品のSPAだ。

 日本最大のカバン生産地、兵庫県豊岡市で約60年続く「バッグワークス」は、中川との協業で息を吹き返した企業の一つ。医師の往診や郵便配達に使う業務用カバン店だったが、リーマンショック以降、受注が低迷した。だが今は、中川の発案でよみがえった牛乳配達用の「ミルクマン」が大ヒット。営業黒字に転換した。

牛乳配達カバンをタウン用に

 「倉庫に眠っていたカバンの図面を中川さんに見せたら、これは機能的だからタウンユースに改良しよう。だったら直販も始めようという話になった。まさに灯台下暗しだった」。バッグワークス社長の高島茂広は振り返る。

 1974年、麻織物問屋に生まれた中川は京都大学を卒業後、富士通に技術者として入るが、自由に仕事ができない大企業にもどかしさを感じ2年で退社。2002年に家業を継いだ。だが、そこで工芸品業者の厳しい現実を知る。

 「このままでは立ち行かなくなる」。伝統に甘んじて斬新な経営ができなかったり、百貨店からの発注を受け身で待っていたりするところが多かった。マーケティングの本を読みあさりながら出した結論が、オリジナル商品の開発と直営店舗を軸にしたブランドの展開。さらにはSPAへの業態転換だった。家業に弾みを付けた中川はそのノウハウを仲間の工芸品業者にも移植した。

 「地方には、もうほんの少し経営力があれば、息を吹き返す魅力的な企業がまだまだある。彼らを支援することで、地方再生の一助になりたい」。こう願う中川に、ホテル運営大手、星野リゾート(長野県軽井沢町)代表の星野佳路も「中小企業こそ、企業の持続性にはブランドが欠かせない」と応える。

 日本文化の根を絶やさぬよう、中川は今日もパートナー探しに奔走する。

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日経ビジネス2014年11月24日号 39ページより

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