琵琶湖中南部に架かる琵琶湖大橋。西岸の滋賀県大津市堅田地区からクルマで、全長1.4km、高さ26.3mあるこの橋を渡り、東岸へ向かうと湖岸に巨大な商業施設が見えてくる。

 ただ、その様子は近づけば近づくほど明らかにおかしい。

 約3000台分ある駐車場はガラガラで、建物の外に人の気配は皆無。定休日というわけではない。中に入ると、「ご来店いただきありがとうございます」とアナウンスが流れ、暖房も利いている。だが見渡す限り、営業している店はなし。店舗ブースには網がかかり、什器や看板が放置され、静まり返った館内にはBGMだけが流れ続ける。

 建物内部に潜入し20分。2階に上がりついに人影を発見した。カフェが1店、2階で唯一営業を続けており、店員が2人、客が数組いたのだ。

営業していたのは2店舗だけ

 話を聞くと、取材当日の2月18日現在、オープンしているのは、ここと建物東側の外に併設した宝くじ売り場のみ。「もう4カ月以上、こんな状態。1月までは“探検気分”の若者がふざけて訪れるケースもあったが、2月1日以降、館内の大部分が立ち入り禁止となり、そんな物見遊山の客の姿もほとんど消えた」と、カフェに来ていた男性客(65歳)は証言する。

 この異様な空間こそ、ピエリ守山だ。売り場面積は約5万5000平方メートル、敷地面積は約13万平方メートルと東京ドーム3個分。そんな最新鋭の巨大商業施設が今、地元住民から「明るい廃墟」「生ける廃墟」と呼ばれている。

 開業は2008年9月。当初は地場スーパーのバロー、スポーツ用品店ヒマラヤ、無印良品、ABCマートなどを中核に、服飾から飲食まで200店以上がひしめく地元の人気スポットだった。それから5年5カ月という短期間で「廃墟」とまで言われる状況に陥った同施設。その軌跡は、日本の街作りのあり方に様々な教訓を突きつける。

オープンからわずか5年で“明るい廃墟”に
●ピエリ守山の歩み

元は犬のテーマパーク

 ピエリ守山の開発がスタートしたのは2006年。もともと、この敷地には、1998年開業のテーマパーク「びわ湖わんわん王国」があった。大手商社主導で建設された同施設は「80種に会える日本最大級の犬のテーマパーク」を標榜し、当初は約70万人を集客した。が、2000年代中盤には競合施設の増加などに伴い客足が最盛期の約3分の1まで減少。2005年1月に閉園を余儀なくされ、広大な敷地が残された。

 そこに目を着けたのが、不動産開発を手掛ける元・東証2部上場企業、大和システム(2010年に民事再生法申請)と、地場の不動産業者、オウミ都市開発だった。オウミが土地を取得し、大和が建物を造るというピエリ守山の開発計画が発表されたのは2007年9月。同年11月には工事を着工し、翌年9月には、DACSプロパティーズという大和システムの関連会社が運営を担う形で、開業にこぎ着けた。その投資総額は200億円とも言われる。

 「2008年当時はショッピングセンターの開業ラッシュの時期。郊外の大型店を抑える改正まちづくり3法が2007年11月に完全施行され、それに駆け込む形で多くのデベロッパーが強気の大型施設開業計画を申請した」と、商い創造研究所の松本大地代表は説明する。

 中でも、ピエリ守山は、滋賀県最大級(当時)の商業施設だったこともあって、「年間900万人を集客し180億円を売り上げる」という高い目標を掲げた。そして実際に当初は、計画は順調に推移。駐車待ちのクルマで周辺道路は常時渋滞し、休日ともなると従業員すらなかなか専用駐車場に入れず、遅刻が続発したという。

 もっとも、そんな状況は長くは続かなかった。開業から1年も経つと客数は目に見えて減り、売上高は120億円前後にとどまり、その後も低迷。テナントは櫛の歯が欠けるように撤退し、2012年には約70店、翌2013年9月には8店が営業するのみとなる。

(左上)様々な催しものが開かれていたと思われる「イベント夢広場」は真っ暗、(左下)約3000台ものクルマの収容が可能な駐車場はガラガラの状態、(右)まだ閉店していないテナントにつながるエリアと入り口だけを部分営業。グレーの部分が閉鎖エリア(写真=福島 正造)

 一体、何が起きたのか。そのきっかけを一言で言うと「イオンが出てきたから」となる。

 滋賀県草津市にイオンモール草津が開店したのは、ピエリ守山開業から2カ月後の2008年11月。売り場面積は約8万6000平方メートルとピエリ守山の1.5倍以上。シネマコンプレックス(複合映画 館)も併設するなど、商業施設としての競争力は圧倒的で、約18km離れたピエリ守山から、瞬く間に客を奪い取ってしまった。

 集客力が弱まれば、魅力ある店舗は入居せず、さらに客が減る。「そんな悪循環に開業早々、陥ったことが、短期間でピエリが廃墟化した最大の要因」と地元の業界関係者は話す。

 だが、ここで1つの疑問が浮かぶ。イオンモール草津はある日忽然と姿を現したわけではない。イオンモール本社が草津店開業を正式に公表したのは2008年2月。さらに常識的に考えて、数年前から地元財界では、用地の買収や地場商店街との調整などイオン側の水面下の動きを通じ、進出の噂は出ていたはずだ。

 にもかかわらず、ピエリ守山が「“ミニイオン”的なコンセプトを改める」「独自のテナントを集める」「出血覚悟で計画そのものを見直す」といった手を打たず、計画を強行したのはなぜなのか。実はここにこそ、“巨大廃墟モール”が誕生した本当の理由がある。

“廃墟誕生”の理由(1)
当事者不在の開発運営体制

 イオン進出が明らかになった後も、計画が大きく修正されなかった理由の一つはまず、そのビジネスモデルにあると思われる。関係者の話を総合すると、計画を主導した大和システムは、開業から短期間で、不動産ファンドに売却することを前提に、ピエリ守山の開発を進めていた。

 「所有と運営を分離した大型商業施設が日本で増え始めたのは2000年頃から。主役は外資系ファンドで、商業施設を新たに造り彼らに売却する事業モデルも流行した。ピエリ守山はその典型」。商い創造研究所の松本代表は説明する。そうしたファンド向け施設バブルがピークを迎えたのがリーマンショック前。その影響もあって、日本ショッピングセンター協会によると、2007年には2001年以降最多の97施設が、2008年も88施設が開業した。

 このビジネスモデルの下では、言うまでもなく、開発者サイドにピエリ守山の長期的戦略を考える動機は生まれにくい。「むしろイオンが進出してくるからこそ一刻も早く開業・売却し、200億円の投資を回収しようとした」(前出の業界関係者)と考えられる。

“廃墟誕生”の理由(2)
希望的観測に基づくプラン

 一方、関係者からは「当事者は、ピエリ守山の潜在的魅力を引き出せば、イオンへの対抗は可能と本気で考えていた節がある」との声も上がっている。

 希望的観測の材料の一つが、冒頭で紹介した琵琶湖大橋の存在だ。イオンモール草津が出現すれば、琵琶湖の南岸・東岸エリアからの集客には大きな打撃となる(下図参照)。だが、西岸エリアについてはそうとは言いきれない。

(写真=福島 正造)

 西岸エリアの拠点、堅田地区中心とイオンは約20km離れており、クルマで30~40分が必要。それに対し、琵琶湖大橋を使ってピエリ守山に行けば約4km、クルマなら10分以内で到着する。多少テナントが魅力的であろうと、「これだけの差があれば、客を根こそぎ取られはしないだろう」という観測も見当外れとは言えない。

 また、ピエリ守山の敷地にはもともと桟橋があり、開業に合わせて、大津港を起点とする琵琶湖汽船の遊覧船が寄港を開始したことも、関係者の背中を強く押したと思われる。琵琶湖を訪れる県外からの観光客に寄ってもらう上では、むしろイオンより有利という解釈も可能だ。

「リゾートモール」という幻想

 湖畔に位置し、標高1000m級の比良山地が見渡せる立地も、景観面でイオンを上回る。実際、ピエリ守山では、集客装置として遊覧船が寄港する桟橋を活用し観光クルーズも企画。2階建ての南北に長く伸びるアーチ型の建物も、もともとはクルーズ船をイメージしたもの。こうした「リゾートモール」という付加価値もまた、中心市街地に近接したイオンにはない魅力、という見方もできる。

 さらに、日本全体で人口が減少する中、ピエリ守山周辺の自治体の人口が右肩上がりで増加していたことも、計画続行の根拠となった可能性が高い。

 2010年の国勢調査によれば、守山市の人口は前回調査比で約8%増の7万6560人。草津市も約8%増の13万874人、大津市は約4%増の33万7634人となっている。京都府や大阪府のベッドタウンになっているためだ。

 加えて、ピエリ守山の周辺は、人口が増えているだけでなく、流行に敏感で、購買力が高い若年層が多く住むのも特徴。草津市には立命館大学のびわこ・くさつキャンパスがあり、大津市にも龍谷大の瀬田キャンパスがある。その結果、草津市は20代の人口比率が、その他の年代に比べ突出して高い。

 だが、現実には、ここまで挙げた「橋」「遊覧船」「リゾート」、そして「人口増加」といった“切り札”は、少なくとも地域住民に聞く限り、いずれも期待したほど集客にはつながらなかった。

 まず、琵琶湖大橋。当初は珍しさから橋を渡ってくる客はいたが、次第に減った。最大の理由は橋が有料だったこと。片道200円で往復すると400円の通行料金がかかる。「往復400円を払って何度でも行きたいという魅力がピエリ守山にはなかった」。堅田地区の男子学生(21歳)はこう話す。

 同様に遊覧船も当初は一定の客を運ぶ効果はあったようだが、開業から約1年後、琵琶湖汽船はピエリ守山港への寄港を中止した。「遊覧船に乗って買い物に来るという想定自体が、そもそも根本的におかしい」と話すのは地元のタクシー運転手(62歳)だ。

滋賀県人に琵琶湖は訴求せず

 そして、最大の差別化ポイントのはずだった「リゾートモール戦略」も功を奏すことはなかった。イオンモール草津に来ていた主婦(49歳)がズバリ指摘する。「滋賀県は全部湖畔みたいなもの。琵琶湖の景色も比良山地も皆、子供の頃から飽きるほど見ている。それを見に来いって言われてもねえ…」。

 30人以上に及ぶ地元住民への調査の中で、唯一、ピエリ守山を評価したのはお膝元である守山駅にいた主婦2人組(37歳、32歳)だけ。「雨の日に子供を遊ばせるのに最適だった。館内に人がいないし広いから、どんなに騒いでも誰にも迷惑がかからない」──。

 ここまで地域住民の支持を失ってしまえば、周辺人口が多少増えようと焼け石に水。「考えれば考えるほど杜撰な計画で、十分な市場調査をしたのか疑わしい。この滋賀の地で長期的に経営していくという視点が欠けたプロジェクトだったように思う」と地元の財界関係者は結論付ける。

“廃墟誕生”の理由(3)
買い手探しの長期化

 ただ、仮に計画が杜撰だったとしても、開発者である大和システム側が、ピエリ守山を首尾よく、ファンドへ売却できていれば、“廃墟化”するところまではいかなかったかもしれない。だが実際には、開業とほぼ同時にリーマンショックが発生し、資金繰りが悪くなった投資ファンドがピエリ守山の買収を辞退。その後、買い手探しが長期化し、それが結果として、“明るい廃墟”の誕生につながっていく。

 “出口ありき”の不動産開発案件は買収予定のファンド側が手付金を払うのが通常で、最終合意しなければ違約金が課されるケースも多いという。が、リーマンショック後は、ピエリ守山のように、買収余力のなくなった投資ファンドが、手付金や違約金を諦めても逃げ出すケースが続出した。

 その結果、エグジット(出口戦略)に失敗した段階で、まずオウミ都市開発が大和システムに土地を買い上げさせ事業から撤退する。200億円の回収が遠のき、競争力のないピエリ守山だけが手元に残った大和システムは、業績が急速に悪化し、2010年6月に事業再生ADR手続きを申請。ここから、高額な保証金の焦げ付きを恐れたテナントが脱兎のごとく撤退を開始し、2012年までに店舗は70まで激減する。

所有者と運営会社が変わるたびに、テナント数が大幅に減少した
●ピエリ守山の所有者と運営会社の変換と、テナント数の変化のイメージ

 そんな危機的状況の中、大和システムの破綻を受け、2012年3月、ピエリ守山を買収したのが、三重県の不動産会社kodo.ccだ。その理由として立花哲也社長は「買収前に、複数の中核テナントと話をしており、その入居を見込んだ上での決断。水面下で交渉していたこれらのテナントが入れば、再生の道はあると考えた」と振り返る。

 だが、蓋を開けると出店交渉は難航する。kodo.ccは新運営会社「ピエリパートナーズ」を設立し、約1年半にわたり奮闘したものの再生を断念。2013年9月、ピエリ守山は、大阪の不動産会社サムティと、投資ファンドのマイルストーンターンアラウンドマネジメントに再売却されることになる。

 「施設の再生には抜本的見直しが必要」と判断したサムティ陣営は、全テナントに撤退を要請。ところがすべてのテナントが直ちに退去できるわけはなく、一部のテナントが残ってしまう。

 サムティ側としても、「正規の契約を交わしているテナントが一店舗でも営業している間は、館内の空調や照明を消したり、大規模改装工事を進めるわけにはいかない」(サムティの大川二郎・不動産事業部長)。こうして、テナントがほとんど入っていないにもかかわらず営業を続ける状況に陥ってしまった、というわけだ。

 2月28日にようやくすべてのテナントの契約が終了し、リニューアルに向けた全館閉鎖に至ったピエリ守山。サムティ側は今後、どうこの施設を再生させるつもりなのか。

 大川部長は、「中核テナントとは交渉中で、詳細は話せない」としながらも、「滋賀県初出店となるテナントを揃えて、ピエリ守山に来なければ買えない商品・サービスを揃える」と再生策の一端を明かす。顧客の滞在時間を延ばすため、従来のピエリ守山にはなかった映画館や温浴施設などの開設も今後検討していく計画だ。

「廃墟」を逆手に反撃も

 いずれにせよ、2015年春までに、100~200店舗の新たなテナントを揃え、リニューアルオープンする予定。 最近では、「“廃墟”として有名になった状況を逆手に取り、リニューアル後の再生で生かせないか」といった前向きな議論も活発化し始めているという。

 ようやく明るい兆しが見え始めた“明るい廃墟”。その5年5カ月に及ぶ“悲喜劇”は、実は、現在日本で進められているどの商業施設開発でも起こり得る。「全国には3000以上のショッピングセンターがあるが、人口減少により地域の購買力が低下する中、本当に成功していると言えるのはほんの一握り。3割は明らかに失敗している」と話すのは商い創造研究所の松本代表。その中にはピエリ守山同様、「当事者不在の管理体制」の下、「希望的観測に基づくプラン」で運営されている物件も数多く含まれる。

 そして重要なことは、そうした“ピエリ守山予備軍”が今、ショッピングモールだけでなく、商店街やニュータウン開発、工業団地などでも、目立ち始めていることだ。

 地方の活性化は日本社会の課題であり、新たな街作りのためには、商業施設なりニュータウンなり、核となるハードの開発が不可欠だ。だが、闇雲にそれを進めるだけでは、この国に“廃墟”が増えることになりかねない。

日経ビジネス2014年3月17日号 53~60ページより

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