なぜシリコンバレーから途切れることなくイノベーターが生まれ続けるのか。活力の源泉は「成功した者は次世代を育てる」との不文律にある。進歩を続ける育成システムが、版図の拡大に寄与している。

 1930年代から2011年までの卒業生の29%が起業し、3万9900の会社を設立。累計540万人の雇用を創出した。直近1年間で稼ぎ出した収入は合計2兆7000億ドル(約280兆円)──。

 これは米スタンフォード大学の卒業生がどれだけ世界経済にインパクトを与えたかについて、2012年に調査した結果だ。担当した同大学のチャック・イースリー助教によると、規模の違いがあるので単純比較はできないものの、工学教育で名高い東海岸の米マサチューセッツ工科大学(MIT)を上回る波及度合いだという。仮にこの2兆7000億ドルを世界の2012年のGDP(国内総生産)ランキングに当てはめると、ドイツに次ぐ5位に相当する。

 スタンフォード大学は、シリコンバレーに幾多の人材を輩出し、その草創期からエコシステムの中心にあり続けた存在だ。2013年、OBの1人が近隣のサンマテオで新たな“大学”を開校した。その名は「ドレーパー・ユニバーシティ」。18~26歳の若者に起業のイロハを叩き込む学校だ。

 創設したのは、大手VC(ベンチャーキャピタル)、米ドレーパー・フィッシャー・ジャーベットソンの創設者ティム・ドレーパー氏。無料ネット通話サービスの米スカイプや中国の検索サイトの百度(バイドゥ)など、多数の有名企業に出資してきた。シリコンバレー有数の成功者だ。その彼が2000万ドル(約21億円)以上の私財を投じて、未来の起業家を育てようとしている。

 プログラムは約2カ月間で、学生たちは寮に泊まり込む。費用は9500ドル(約100万円)。その内容は過激だ。

 例えば、鶏を各チームに1羽ずつ渡し、晩ご飯にするようにといった指示が与えられる。鶏を絞めた経験のある者は皆無だから皆戸惑う。「いったい誰が殺すのか」「どうやるのか」。こうした環境に追い込んで自らの適性や立ち位置を見つけさせることまでする。

 「自分はもうファンドに携わらない。この大学に専念するためだ」。ドレーパー氏はこう語る。後進を育てるために、長年培った経験やネットワークを惜しげもなく利用する。

 プログラムでは旧知の経営者らを呼んで、自らの経験を話してもらう。昨年招いた1人は米アップルで「アップルストア」を立ち上げたロン・ジョンソン氏。実績を買われて米百貨店大手JCペニーにCEO(最高経営責任者)として移ったが、わずか17カ月で解任された経験を持つ。「失敗から学ぶことを教えたい」とドレーパー氏は言う。

 シリコンバレーの強みは何か──。繰り返し語られてきたテーマだが、次世代を育てるマインドを共有していることはその1つだろう。若き日のスティーブ・ジョブズ氏が、米インテルの創業者であるロバート・ノイス氏にアドバイスを受けた話は有名だ。

「育成力」を競う投資家

 もちろん起業家を育てる仕組みは学校だけにあるのではない。

 「ベンチャーキャピタルはスタートアップに価値を提供できなければ死ぬしかない」

 シリコンバレーの中堅VC、米ストームベンチャーズのマネジングディレクターであるジェイソン・レムキン氏はこんな言い方をする。「お金」という切り札を持つ投資家ですら、「育てる」能力がなければたちまち淘汰される時代になったからだ。

 有力VC、米シエラベンチャーズのティム・グレリ・マネジングディレクターは不敵に笑う。「10年かけてネットワークを構築してきた。このレベルで持っているところはほかにない」。

 この「ネットワーク」とは、大手企業でIT(情報技術)戦略の責任者を務めるCIO(最高情報責任者)を組織化したものを指す。企業向けビジネスを立ち上げるスタートアップに顧客動向を提供し、「どんな技術やサービスを欲しがっているのか」を認識したうえで開発に取り組めるようにする。

 「スタートアップが失敗する確率を下げるには大企業が求めていることをアドバイスしてもらうのが一番。自分たちの製品を使ってもらうためのネットワークではないというのがミソだ」とグレリ氏は説明する。

 こんな狙いもある。スタートアップの究極の目標は上場だが、実際にたどり着けるのはごくわずか。次に現実的な選択肢は、M&A(合併・買収)で別の会社に売ることだ。そのため「会社を食べやすい形に変え、大企業に売却する道を拓く」(グレリ氏)という。

 育成力の強化はVC業界全体のトレンドになっている。

 創設4年目の新興勢力ながら、米フェイスブックや米ツイッターなどに投資し、有力VCに仲間入りした米アンドリーセン・ホロウィッツ。約80人のパートナーのうち、投資先の経営陣に加わる8人は、全員が起業経験者だ。

 ほかのパートナーも、人材紹介を担当する「タレントエージェンシー」、財務や法務などを担当する「コーポレートデベロップメント」、市場や技術調査を手がける「リサーチ」など、専門機能に特化したグループに所属する。その道のベテランが投資先をサポートする体制を徹底的に整える。

 米グーグルやアップルを育てた老舗のセコイア・キャピタルも同様だ。グーグルの元エンジニアリング担当役員や米ネット小売企業ザッポスの元COO(最高執行責任者)、米ペイパルの元CFO(最高財務責任者)らがアドバイス役を務めている。

 「世間は皆『どこどこのスタートアップがセコイアから出資を受けた』といった資金面ばかりに注目するが、我々が提供する価値は『資金』ではなく『経験』だ」。セコイアでマーケティングを担当するアンドリュー・コバックス氏はこう指摘する。

 投資家が起業家への「サービス」に力を入れる背景として、投資マネーの出し手が多様化していることがある。1章で触れたように、VCやエンジェルといった旧来の投資家に加え、アクセラレーターやクラウドファンディングという新しい形態が現れている。

シリコンバレーの変化と現状
出所:CBREリサーチ、カリフォルニア州雇用開発局
注:都市の選定はCBRE 出所:CBRE
出所:チャック・イースリー・スタンフォード大学助教による調査
出所:Bay Area Council Economic Institute
出所:トムソン・ロイター
出所:Center for Venture Research-University of New Hampshire

襲われた通勤バス

 自己革新を続けるシリコンバレーだが、すべてがバラ色というわけではない。ひずみも見え隠れしている。

 昨年12月、グーグルやアップルなど大手IT企業が、社員の通勤用に走らせているシャトルバスがデモ隊に包囲される事件が相次いだ。攻撃対象になったのは、サンフランシスコに住む社員がシリコンバレーのオフィスに通うためのバス。大手IT企業に勤める高所得者層が市内に住み始めたことで家賃が高騰したとして、昔から住む住民が不満を募らせたのだ。

シリコンバレー膨張で
地元住民との軋轢も
アップル、グーグルなど大手IT企業の従業員用通勤バスにサンフランシスコ市民から抗議の声が上がった(写真:Ellen Huet/SF Chronicle/Polaris)

 人材不足を指摘する声もある。スキルのある移民がスタートアップで働く人材の供給源だったが、硬直的な移民政策のために、仕事があっても本国に帰らざるを得ない者が増えている。

 一方で、そのひずみをチャンスと捉えるのもシリコンバレーだ。

 サンフランシスコ湾の対岸にあるフリーモント市は、膨張するシリコンバレーの取り込みを強化している。トヨタ自動車と、経営破綻した米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁工場が2010年まであった街である。その工場は米テスラ・モーターズが手に入れ、今では電気自動車の生産拠点になっている。土地に余裕があることを生かして、クリーンテックや医療分野など生産設備を必要とする企業の誘致を進めている。

 移民不足については、こんな奇抜なアイデアを語る起業家が飛び出した。「サンフランシスコから12海里沖の太平洋上に、改造した客船を浮かべる。そこに外国人起業家が住み込んでビジネスを起こす」。公海上に浮かぶ客船なら米国で働くためのビザが不要になるからだ。

サンフランシスコ沖12海里
寝起きしながら起業を目指す
米国のビザを取得できない起業家を対象に「海上シリコンバレー」構想が登場

 軋轢を引き起こしながらも版図を広げるシリコンバレー。この革新の聖地に、日本企業の上陸が再加速している。一昔前のITバブル期のブームとどう違うのか。次章「再挑戦する日本企業」ではその現場を見る。

サンフランシスコ市長 エドウィン・リー氏
ツイッターは我々にとってシンボルだ
(写真:Bloomberg via Getty Images)

 最近、サンフランシスコから新興企業が生まれていることを好ましく思っている。交通が便利で、住居とオフィスが近く、飲食店も多い。すべてここで事足りる。これはシリコンバレーの伝統的な郊外の姿とは明らかに違う。

 市中を走るマーケット通りが享受していた繁栄を、現在ツイッターやスクエアがある地区まで延長したいと考えていた。あのエリアは2010年まで廃墟だった。ツイッターが入居するビルは家具のショールームが撤退した後、ずっと借り手がつかなかった。

 ツイッターが事業を拡大するためサンフランシスコからの転出を検討していた時、我々は税金の優遇策を作って引き留めた。ただし、税の優遇を乱発しているわけではない。ツイッターはサンフランシスコのシンボルだから適用した。周りに新興企業や飲食店が集まり、雇用が生まれる。これが狙いだ。軽減税率を適用するのはビル単位。例えば、ツイッターが入るビルとスクエアのビルは隣同士だが、スクエアに税金の優遇はない。

 地価が高騰している現状は把握している。これを改善すべく、現在、手頃な価格で住める4000戸の住居を新築中だ。

 2011年1月には9.5%だった失業率が、現在では5.3%まで改善している。サンフランシスコは全米で最も成長しており、カリフォルニア州では3番目に低い失業率を誇る。これは、雇用を創出し、経済の発展を主眼に置いて政策を展開してきたからにほかならない。


フリーモント市長 ビル・ハリソン氏
サンフランシスコとは違う企業が集まる
(写真:Koichiro Hayashi)

 フリーモント市はイノベーティブな場所だと言われている。その象徴がテスラ・モーターズの工場だ。実はロサンゼルスもテスラを誘致しようとしていた。テスラが最終的にこの地を選んだのは、ここに優秀なエンジニアがいるからだ。さらに、重要なマーケットがある。所得の高い投資家や新技術に敏感な技術者たちが顧客となる。

 我々はサンフランシスコのように税金の優遇策を提示して企業を誘致することはしない。優遇合戦に参加すると、ほかの市との競争に陥り、納税者に不公平感をもたらすからだ。だからテスラにも税制面での優遇策は提示していない。やったのは、専門家を派遣して各種手続きをスムーズに進めたことだ。一刻も早く工場を稼働させたいテスラの要望に応えた。

 フリーモント市には土地がある。エンジニアに交通の便を提供する鉄道システムもある。シリコンバレーのほかの市に近いという強みがある。これらを生かした誘致政策を取る。ツイッターが求めるものはサンフランシスコ市にあるかもしれないが、クリーンテックや医療関連企業など生産設備を置く用地が必要な企業にとってはフリーモント市の方が魅力的なはずだ。

 もちろん、こうした装置産業の大がかりな進出にはリスクもある。フリーモントでは太陽電池のソリンドラが2011年9月に破綻した。その工場は別の企業が買った。シリコンバレーは失敗を恐れない。失敗すればそれを埋め合わせればいい。我々はその手伝いをする。

日経ビジネス2014年1月20日号 34~37ページより

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