2020年の東京五輪。野球・ソフトボールの復帰は果たせなかった。米大リーグ機構との意見調整で「時間がなかった」ことが敗因の1つ。昨年2月に除外候補となったレスリングが競合相手となる展開も予想外だった。

(写真:大槻 純一)
[全日本野球協会・副会長]鈴木義信氏
1943年、千葉県生まれ。66年、慶応義塾大学法学部卒業後、東京芝浦電気(現東芝)に入社。野球部選手、監督として活躍。84年、ロサンゼルス五輪で全日本野球チームのコーチを、88年、ソウル五輪で監督を務める。2007年から全日本アマチュア野球連盟(現全日本野球協会)副会長。
五輪競技入れ替えの概要
2020年東京五輪では、2012年ロンドン五輪で実施した26競技から1競技を外し、2016年五輪から採用されるゴルフ、7人制ラグビーのほか、新たに1競技が加わる。昨年5月、国際オリンピック委員会(IOC)は、8つの候補から3つに絞り込んだ。野球・ソフトボールはレスリング、スカッシュとともに残ったものの、同年9月の最終決定ではレスリングに及ばす、五輪復帰はかなわなかった。

 2020年夏季五輪の開催地が東京に決まり日本中が沸きました。その一方で、東京五輪決定の翌日、2008年北京五輪以来の復帰を狙った野球・ソフトボールが最終選考で落選しました。レスリングとスカッシュの3競技で1枠を争いましたが、レスリングには及びませんでした。

 日本での人気が高くメダルも狙える野球・ソフトボールが東京五輪で開催できないことは極めて残念なことです。

野球とソフト、統合したものの

 野球は1992年のバルセロナ五輪で初めて正式種目に採用されました。その道のりは平坦ではありませんでした。野球が公開競技として五輪に毎回登場するようになったのは84年のロサンゼルスからです。この大会で日本は金メダルを獲得。当時、全日本チームのコーチだった私も、選手一同、大喜びしたのを覚えています。

 ただ、そこからなかなか正式種目になれなかった。88年のソウル五輪でも公開競技のまま。大きな要因は世界最強と言われたキューバチームの不参加でした。当時、冷戦の構造下、政治的な理由で五輪をボイコットすることが多かった。キューバもそうした国の1つでした。結局、野球が正式種目として認められたのは、キューバが参加を表明したバルセロナ五輪からです。

 日本は当初、アマチュアのみでチームを編成していました。その後、徐々にプロ野球選手の参加が進み、2004年、2008年の2回の五輪ではオールプロで臨みました。

 日本では野球は伝統あるスポーツだけに、組織も複雑です。アマチュアとプロがあり、アマチュアの中も社会人と学生など細かく分かれている。それが五輪への参加を通じ、一丸となったのです。その拠点となったのが、私たち全日本野球協会でした。

 ところが2012年開催のロンドン五輪では野球とソフトボールは除外されることが2006年、最終的に決まりました。当時、国際オリンピック委員会(IOC)の会長だったジャック・ロゲ氏は五輪大会の肥大化を懸念して、競技数を絞り込む方針を打ち出してはいました。ですが、正式種目になったばかりの野球が外されるとは思いませんでした。競技時間が長く、専用球場が必要なことなど、ほかの競技に比べて運営が難しいことなどが指摘されました。

 その後、国際野球連盟は2016年のリオデジャネイロ五輪での正式種目復帰に向けて折衝をしましたが、目的は果たせませんでした。その時の反省もあって、2020年五輪に向けては、世界の野球関係機関が連携して抜本的に折衝のやり方を見直すことになりました。

 最大の改革は、野球とソフトボールの統合です。これまで別競技として活動していました。五輪は競技人口の多さや男子、女子、それぞれに競技が浸透しているかを重視します。そこで男子の野球、女子のソフトボールとを一体化して競技の魅力を高めることを狙いました。このアイデアは日本から発信したのです。

 昨年には統合組織の世界野球ソフトボール連盟を新たに設立しました。IOC総会でのプレゼンテーションに向けてコンサルタントと契約してロビー活動も強化。競技時間の短縮のため、野球を9回制からソフトボールと同じ7回制に改めること、野球とソフトボールを1つの会場で開催することなどを提案しました。

 こうした動き自体はIOCの委員の方にも評価されたと思います。最終選考まで残れましたし、レスリングの49票には遠く及ばなかったものの24票を得ることはできましたから。

2008年の北京五輪を最後に野球とソフトボールは五輪競技から外れた。北京では全日本野球チームは3位決定戦で米国に敗れメダルを逃した(写真:AFP=時事)

一枚岩になれず時間切れ

 反省点があるとすればもっと時間をかけるべきだったということです。準備不足だった。特に米大リーグ機構(MLB)との話し合いが不十分でした。

 野球競技においてMLBはなくてはならない存在です。ですが、これまでMLBは必ずしも五輪参加には積極的ではありませんでしたし、ドーピングに対しても2002年までは罰則がなかったという歴史があります。

 ただ、MLBは五輪に選手を出さない方針だと報道される一方で、開催期間を短縮できないか、決勝トーナメントからの参加ではどうか、そのために五輪参加選手の入れ替えを柔軟にできるようにできないかなどの打診をしていたとも各関係者から聞いています。実は彼らも、大リーグへの影響を最小限にしながら五輪に選手を送り出す方策を考えていたのです。

 こうした話は私たちの元にはなかなか届かなかった。MLBは国際野球連盟とも交流があったとは思いますが、日本のプロ野球関係者を通じて間接的に聞いた話も少なくありません。プロとアマチュア、そして野球とソフトボールが一枚岩となって五輪復帰を目指すところまでは今回、残念ながら至りませんでした。

 さらに今回、レスリングと競うことになるとは想像だにしませんでした。昨年2月にレスリングが東京五輪の除外候補になり、競合相手となったことは私たちにとっても大きな衝撃でした。もし除外候補がレスリングでなければ、野球・ソフトボールが復帰できたとまでは言いませんが、違った展開になったことは間違いないでしょう。

 もっとも、ここにきて、明るい話も出てきています。昨年9月に就任したトーマス・バッハIOC会長が「東京五輪の競技数を増やすよう柔軟性を持ってもよい」との考えを表明していることです。野球・ソフトボールの復帰もあり得ると示唆しているとも聞きます。

 競技数を増やすには五輪憲章を改正する必要があり、IOC総会で委員の投票総数の3分の2以上の賛成が求められます。それは容易ではありません。

 それでも、我々としては希望を持ち続けて今後も活動していきたい。苦労して五輪種目になった野球が、復帰できずにいることは先輩方々にも申し訳ない。野球少年のためにも、プロの選手のためにも、簡単に諦めるつもりはありません。

日経ビジネス2014年1月20日号 70~71ページより目次

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