写真:柚木 裕司

 文字通りゼロから始めて、ラーメン店「日高屋」を中心にした店舗数は300店、売上高は約300億円に達しました。1999年9月にはジャスダックに株式公開もできました。

 でも、どうしてここまで来られたのか。振り返ってみると、いつも「学ぶ」心を忘れなかったおかげのように感じます。特に大事にしているのは、市場に学ぶことです。学校を出た後、私は自動車工場などで働いていましたが、紹介されて埼玉県岩槻市(現さいたま市)のラーメン店に移りました。昭和43(1968)年、27歳の頃のことです。ところが、しばらくするとオーナーが突然、店を辞めると言い出した。

 急に仕事がなくなって、私も困った。どうしようかと思っていたら、店の建物の家主さんが「あんたがやったらいいじゃないか」。一生懸命働いているのを見て見込んでくれたうえに、開店資金を銀行から借りる保証人にまでなってくれました。

 ところが、自分で経営して分かりました。その店は2階で目立たないから何しろ客が来ない。働いていても「暇だなぁ」とは思っていたのですが…。また困りました。もう借金はしているし、どうにもできません。仕方なく、前のオーナー時代から夜10時までの営業だったのをそのまま延ばしてみました。すると、夜遅くなるほどお客さんが来るのです。

 そこではっと気がつきました。岩槻は人形の町で遅くまで働いている人が多い。でも、当時は夜やっている店なんてなかった。だから受けたのです。店は立地だけではない。時間を変えればすごいマーケットが取れるということをその時学びました。

 日高屋の源流の中華店を始めて2年目の昭和50(1975)年に2店目を出しましたが、少しして「チェーン化できるのでは」と思い始めました。当時は飲食店のチェーンなんてほとんどありません。そういうことができると誰も思っていなかったのです。

 でも、私は店のあったJR大宮駅の出勤風景を見ていて、またはっと思いました。以前はみんな弁当を持って出勤していたのに、次第に新聞と週刊誌だけになっていったのです。「これからは昼食需要がどんどん大きくなる」。サラリーマンの方たちの出勤姿がそう教えてくれていたのです。勘かもしれません。でも、世の中の出来事を好奇心を持って見つめて考えなければ、勘は生まれないのではないでしょうか。

 こうして市場に学び、勘を養ったうえでもう1つ大事なことがあります。多数決を信じないことです。実は出店地と業態開発などの重要な事項はまだ私が判断しています。それは、多数決は無責任を生むと思うからです。

 「それでは会社にならない」と言う人もいるでしょう。でも、誰の分析と判断で決めたかが曖昧になることの方が、大きな問題を生むと思うのです。社員が判断して決めてもいいのです。大事なのは、自覚と責任感を持って臨むかどうかだけ。失敗したら会社に大変な迷惑をかけるという責任感が、学ぶ力を強くし、判断力を磨く。それが会社を強くするのです。(談)

日経ビジネス2013年12月16日号 142ページより目次

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