(イラスト:岡田 丈)

 9月下旬、保田晴一さん(62歳)は生まれた時から暮らしてきた神奈川県大和市を離れ、妻の宣子さん(63歳)とともに北海道厚真町に移り住んだ。北海道に特別な縁があったわけではない。しかし、「仕事に区切りをつけた後は、やりたいことを」と、以前から考えていた移住に踏み切った。

 保田さんは三菱化学で研究開発や企画の仕事をしてきた。60歳で定年を迎えた後も嘱託として2年間働き、今年退職した。移住した厚真町は新千歳空港からクルマで約35分の場所にあり、北海道の中では降雪も少ない。保田さんはいくつかの場所を検討したうえで、「場所などを考慮すると価格が手頃」な厚真町を終の住処に選んだ。

三菱化学を退職し、この9月に神奈川県大和市から移住したばかり(写真:湯山 繁)

 現在の収入はほぼ年金のみで、月額20万円ほど。もちろん正社員時代よりも収入は減っている。ただ嘱託期間の収入とほぼ同程度の金額のため、「現在の収入での生活には既に慣れている」。近所の人から野菜などのおすそ分けを受けることもあり、家計の心配はほとんどない。悠々自適の第2の人生は上々の滑り出しだ。

 都会暮らしは便利だが、何かと気ぜわしい。1度くらいは、のんびりと田舎に住んでみたい。生活費も安いはず。このような考えで、IターンやUターンに踏み切る人たちが増えている。

 では実際に地方に移住すると、どのような暮らしが実現するのか。年金不安時代に暮らす人たちにとって、切り札の1つになるのだろうか。別の移住組の暮らしも覗いてみよう。

 高知駅から電車で1時間弱の高知県香南市。周囲は田畑と住宅が交じり合う田園風景だ。惟康紘(これやすこう)さん(69歳)、さちほさん(66歳)の夫妻が大阪で営んでいたレストランをたたみ、高知県に移り住んで12年の時が流れた。今では娘2人と、療養が必要な叔母とも同居し、5人家族になった。

惟康さんは元シェフ。妻のさちほさんは譲り受けた古いミシン(写真右上)で洋服などを作る

 惟康さんは長くフランス料理店のオーナーシェフを務めていただけに、様々なものを手作りしている。パンを焼き、ブンタンやハッサク、デコポン、ザボン、カキ、スモモなど地元の果物でジャムを作る。おすそ分けが多いのは北海道の保田さんと同じだ。

 結果、現金支出の少ない暮らしを実現している。娘の名義で購入した住宅のローンが月5万6000円。食費は5人で約6万円。光熱費が2万5000円から3万円、ガソリン代が1万円、少しの雑費を加えて月々の支出は18万円ほど。国民年金は8万円ほどだが、同居する娘たちから計15万円を受け取り、家計は黒字だ。

 手作りジャムは、口コミが広がり、わずかだが売れるようになった。さちほさんは好きな洋裁の腕を生かし、洋服をなじみの商店などに卸している。これらで月数万円ほどの収入も得る。

 地元の神社のお祭りでは、いつも角煮まんの店を出してきた。清掃や地域の行事も欠かさず参加している。こうすることで惟康さんは地域に溶け込んでいった。慎ましやかでも幸せな暮らしが実現しているのは、このような振る舞いがあればこそだ。

「何年かしたら東京に戻る」

 都市部への生活に再び戻ると決めて移住生活を送っている人もいる。場所は再び北海道の厚真町。大学教授だった中山和彦さん(78歳)は12年前に移住した。中山さんは「素晴らしい自然があるし、住んでいる人たちもいい」とこの町での生活がとても気に入っている。年金額は月に約30万円。冬の燃料代はかさむが、畑を借りて様々な野菜を作っていることもあり、比較的余裕のある暮らしぶりだ。にもかかわらず、中山さんは「何年かしたら東京に戻る」と心に決めている。

北海道と東京を行き来する生活の後、12年前に移住。今も1カ月に1回程度は東京に戻る(写真:湯山 繁)

 厚真町に完全に移住した今も、東京都町田市の元の自宅は保有したまま。夫婦2人とも元気なうちは北海道でもいいが、どちらかが病気で療養が必要になった時などは、医療機関が充実し、買い物などがしやすい町田市の自宅に帰ろうと考えているのだ。

 地方に移住したとしても、自身の健康や家族・友人との関係などで、以前の暮らしから完全に離れるのが容易でないこともあるだろう。自宅を持ち続けるならば、住んでくれる家族などがいない限り維持費がかかる。資金的な余裕がない場合は、文字通り「骨を埋める覚悟」がなければ、年金不安に抗う切り札にはならないかもしれない。

日経ビジネス2013年12月9日号 40~41ページより

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