国会の許可を得ないまま11月上旬に訪朝を強行し、懲罰を受ける。北朝鮮では金正恩・第1書記の叔父ら、朝鮮労働党の中枢と会談した。独自の議員外交で、膠着状態にある拉致問題の解決を目指す。

アントニオ猪木(あんとにお・いのき)氏
1943年、横浜市生まれ。60年に移民先のブラジルで力道山にスカウトされ帰国、ジャイアント馬場とプロレス黄金期を築く。89年に参院選初当選、政界へ。その後、落選するも、2013年7月の参院選に「日本維新の会」から出馬し、国政に復帰する。

(写真:的野 弘路)

 参議院の本会議でこのほど私に対する「登院停止30日間」の懲罰案を可決しました。11月上旬に国会の許可なく訪朝したのがその理由です。真摯に処分を受け入れます。

 事前に参議院の議院運営委員会に必要書類を整えて提出したのですが、「渡航目的が明確ではない」「書類の不備」との理由で、残念ながら許可が下りませんでした。

 しかしこの件について、TBSの「Nスタ」など、複数の報道番組やワイドショーで取り上げていただき、同時期に渡航したほかの議員と、私の提出書類を比較しながら、「猪木に瑕疵がない」と報道してもらいました。また、多くの方々から応援メッセージを頂きました。

 決して国会を軽視しているわけではありませんが、私には朝鮮労働党の中枢と腹を割って話し合えるパイプがあり、それを生かすために北朝鮮に赴きました。

 交流の糸口となるのがスポーツです。スポーツ交流には誰も反対できません。日朝間に立ちはだかるハードルはぐんと下がります。

 これまでも実績があります。1995年には私が提案した「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」を北朝鮮の首都、平壌で大々的に開くことができました。2日間で延べ38万人の観衆に来ていただきました。

「金正恩元帥が猪木さんに期待」

 今回の訪朝では、私が理事長を務めるNPO法人(特定非営利活動法人)「スポーツ平和交流協会」の平壌事務所を開設しました。ここを拠点に日朝交流を深めます。北朝鮮側からは、「95年の平和の祭典を超えるイベントを来年に開催してほしい」との要請を受けました。

1995年に北朝鮮で開いた「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」で、プロレスの試合に臨むアントニオ猪木氏(写真:共同通信)

 現地でお会いしたのは、朝鮮労働党で外交責任者の金永日(キムヨンイル)書記と、金正恩(キムジョンウン)第1書記の叔父に当たる張成沢(チャンソクテク)国防委員会副委員長です。張さんは、金第1書記の後見人で、事実上の北朝鮮ナンバー2と言われています。

 2人とも日朝間の問題を解決するうえで欠かせない人物ですが、残念ながら、日本政府は北朝鮮上層部とのパイプを十分に築けていません。

 金永日さんとは労働党本部で1時間ほど会談しました。日本人でこの施設に入れた人はほかにいないんじゃないかな。拉致問題などに関して単刀直入に意見を交換してから夜の食事会をご一緒しました。

 張さんからは、「金正恩元帥が猪木さんのスポーツ交流に非常に期待をしている」と言われました。そして、日本からの国会議員団の受け入れを了承していただきました。

 非常にデリケートな会話もしましたが、会談の模様はビデオで撮影させてもらっています。厚い信頼関係の証しだと思っています。

フセイン大統領がプロレスを評価

 小泉政権下で拉致被害者の一部が帰国してから、早いもので11年が経ちました。この間、日朝間の外交は膠着しており、拉致問題など両国間の様々な懸案事項は全く改善しておりません。ですから私は首相官邸や外務省に任せきりにせず、独自の議員外交で現状の打開を目指しています。

 猪木流の外交が、実際に国際問題の解決につながったことが過去にありました。

 90年当時、湾岸危機の勃発で、多くの在留邦人がフセイン政権によりイラク各地で軟禁されました。新人議員だった私は居ても立ってもいられず、日本に残る人質の家族を連れてイラクに赴きました。

 首都バグダッドで「平和の祭典」を開き、プロレス興行を成功させました。こうした取り組みが当時のサダム・フセイン大統領に評価され、人質を無事帰国させることができました。

 日本政府が諦めてしまったイラクの人質解放を、アントニオ猪木が実現したのです。同様に日朝間の懸案も、スポーツ交流を通じて改善したいと思っています。

 北朝鮮は日本の進んだ技術や資金を欲しています。一方、北朝鮮には日本が手に入れたい鉱物資源が山ほど眠っており、両国の補完関係が成立します。

 しかし、日本から見れば北朝鮮は悪者です。日本政府は、北朝鮮による核開発を阻止すべく制裁を強めています。制裁を解くための暗証番号は、鍵をかけた安倍晋三総理にしか分かりません。

 逆に北朝鮮から見れば日本が悪者に映ります。小泉純一郎・元総理が調印した「日朝平壌宣言」に書かれている「過去の清算」がなされていません。「外交に勝利なし」との言葉があります。お互いが譲り合って初めて外交が成り立つことを忘れてはなりません。

 現在、日朝間は対話の窓口がないに等しい状態ですから、まずはお互いの印象をもっと良くする必要があります。そのために、私は自分の知名度や発信力を生かして、膝詰めで話し合える環境作りに努めています。

 「猪木は北朝鮮に利用されている」との批判があるかもしれません。しかし、利用されることに抵抗感はありません。むしろ北朝鮮には「自分をメッセンジャーとして利用してください」と言ってあります。

 私の言動は良くも悪くも日本で注目を集めます。北朝鮮の当局者は自分たちの考えを、私を媒介に日本国民に伝えることができます。アントニオ猪木の影響力を自覚し、私にしかできない役割を引き受けているつもりです。

力道山、板門店で望郷の念

 「なぜ猪木はここまで北朝鮮との関係改善に執着するのか」と不思議に思うかもしれません。プロレスの師匠に当たる力道山の存在が私を突き動かしています。師匠は朝鮮半島北部(現在の北朝鮮)出身でした。

 師匠が亡くなる1年ほど前の63年1月、韓国を訪問し大歓迎を受けました。その際、師匠の願いで、南北を分ける板門店を訪れました。

 師匠は真冬なのに突然、上半身裸になって走り出し、警備兵たちが慌てるのもお構いなしに、北朝鮮に向かって朝鮮語で何かを叫びました。きっと長く会っていない故郷のご両親に何かを伝えたかったんだと思います。

 自分は在日(コリアン)ではありませんが、ブラジルに移民した経験があります。従って異国の地で、故郷を思う師匠の気持ちが痛いほど分かりました。師匠の望郷の念に共感し、私は日朝の関係改善に命を懸けています。

 今回、北朝鮮から帰国してから、国会内で批判や処分を受けて針のむしろに座っている心境です。一方で拉致被害者の家族の方々や、拉致議連の幹部からは、日朝間の膠着した現状を打破してほしいとの期待が私に寄せられています。

 私は、自らの信じる道がどんなに険しくとも、前を向いて進みます。

日経ビジネス2013年12月9日号 26~27ページより目次

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