日本が成長を遂げるヒントが、戦前の姿に隠されている。最近その思いが強まってきた。

 現在は、戦前の日本の仕組みの多くが、「悪しき慣習」と評価されている。例えば地主制度は、限られた地主が小作人から成果物を搾取する悪しき旧弊と見られてきた。そのため戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は小作人を解放するため、農地改革を進めた。代わりに導入された欧米流の民主主義や合理主義は、日本を類い希な経済発展へと導くことになる。

 だが終戦から70年近く経ち、日本経済は長い停滞に直面している。その突破口のヒントが、戦前の仕組みに隠されていると感じている。

 例えば、地方の農家や農業のあり方。戦後、地主の解体と農地改革によって、農業の民主化は一気に進んだ。地主に代わって各地の農家を束ねたのが農協だ。爆発的に増える人口に合わせて食料を賄うために計画生産が進み、農業に参入する人も相次いだ。その後、経済成長の主体が農業などの1次産業から2次産業や3次産業に移ると、農業に参入した人々は、職を替え、居を都会へ移して農村から去っていった。

 祖父母の代から群馬県昭和村で農業を営み、両親の働く姿や自分自身の体験を通して、私は農業の栄枯盛衰を肌で感じてきた。そしてここ数年、地方の農業が、ある側面においては戦前の姿に戻りつつあるように感じている。

地域を守る「リーダー的存在」だった地主が、地域再生に動き出した(写真:アフロ)

「現代の地主」の挑戦

 もちろん、戦前の地主制度が復活することはない。だが、かつて地主と呼ばれた地域のリーダーが、地方の再生に貢献し始めている。例えば、青森県黒石市の鳴海広道市長。黒石市は数年前まで深刻な財政難にあえいでいた。状況を放置すれば、北海道夕張市のように財政が破綻する恐れがあった。そこで住民の協力を仰ぎ、公共料金の値上げや文化施設の休館といった行財政改革に取り組み、財政再建を果たした。

 その鳴海市長は、代々続く地主の家に生を受けたという。そして地域のリーダーとしての教育を受けたのだろう。鳴海市長の言葉には、常に「地元を良くする」という思いが宿っている。

 同じように、地主の家に生まれ、地域再生に取り組んでいる若いリーダーを数多く目にしている。彼らの活動によって、疲弊した地方が息吹を取り戻しつつある。

 彼らが地元を守ることに熱心になるのはなぜか。会話を重ねて感じたのは、彼らが受けてきた「縦軸の教育」である。両親や祖父母、さらにその先祖が守ってきた風土や土地を、何よりも大切で得がたいものと感じている。地元の人々が脈々と培ってきた文化を未来に残そうと、地元の活性化に邁進している。

 地主と言えば、小作人から搾取する「悪の存在」と見られがちだった。だが、地元の伝統や暮らしを守り抜く役割を負ってきた。農地解放から約70年、かつて「地元のリーダー」とされた地主の子孫は、その遺伝子が動き始めたかのように、地域再生に着手している。地元で会社を立ち上げ、現代的手法も使って地域を潤そうとしているのだ。「現代の地主」として地域の発展のために挑み始めた、とも言える。

 ほかにも戦前の仕組みの中に、今の日本に有用なヒントが隠されている。家族のあり方もその1つだ。欧米流の核家族化が進んで、孤独死などの社会問題が顕在化し、今では大家族のあり方が見直されようとしている。

 長い歴史の中で培ってきた日本人特有の社会の仕組みが戦前には存在した。そこに再び光を当てれば、必ず次の成長のヒントが見えてくる。

澤浦 彰治(さわうら・しょうじ)氏
1964年群馬県昭和村生まれ。高校卒業後、家業の農家を継ぐ。92年に有機野菜生産グループを立ち上げるなど、早くから大規模栽培に取り組んできた。

日経ビジネス2013年12月9日号 130ページより目次