「トヨタ自動車に捨てられるかもしれない」――。

 2006年6月、日本板硝子は6000億円超を投じて、英国の同業ピルキントンを買収した。当時、売上高の8割を国内で稼いでいた内弁慶企業を突き動かしたのは、最大の顧客である自動車メーカーだった。世界中で生産台数を急拡大するトヨタについていけなければ、他社に受注を奪われる。大幅な売り上げ減少を免れないという危機感が日本板硝子の背中を強く押した。

 ピルキントンの売上高は日本板硝子の2倍以上。新生・日本板硝子は、世界の強者だった旭硝子や仏サンゴバンに匹敵する規模へ一気に駆け上がった。翌2008年3月期には売り上げの8割を海外が占め、売上高(8656億円)と最終利益(504億円)で、過去最高を記録した。ピルキントン出身のスチュアート・チェンバース氏を社長に据えて経営自体も一気にグローバル化し、順風満帆のスタートを切ったかに見えた。

 ところが、輝かしい日々は長くは続かない。2008年秋のリーマンショックで世界景気は奈落の底に落ちる。翌年半ばに回復の兆しを見せたかと思ったところへ今度は欧州債務危機が襲う。主力の自動車、建築用ガラスの需要は低迷し、強みだったはずの規模は逆に固定費負担という重荷に変わった。

 急速な環境の変化を受けて、当時の経営陣は有効な手を打てずに立ち尽くす。そして気づいた。「我々はピルキントンのことを何も知らないじゃないか」(当時の日本人幹部)。ピルキントンを成長の原動力にするはずだったのに、人員削減や拠点の閉鎖を進める以外の手を打てなかった。

 日本企業のM&Aが陥りやすい罠の1つがここにある。一足飛びに「海外展開の本格化」「規模の拡大」といったキャッチフレーズを掲げ、M&Aの成果を導き出す戦略や道筋を十分に練らないまま動き出してしまうことだ。「新会社の成長よりも目の前の危機への対応を優先せざるを得なかった」と藤井一光・執行役員は振り返る。

 日本板硝子は2000年からピルキントンと資本提携しており、事業構成や経営、財務状況などはある程度知っていた。M&Aの際も改めて調べていた。しかし、完全子会社後に市場環境が悪化した場合に、どこまで自社の財務に影響を及ぼすかといったシミュレーションは十分ではなかった。当時の幹部の1人は「経済環境が急激に悪くなることもあるという想定自体がなかった」と明かす。

計画の3分の1にも届かず

 結局、打開策を見いだせなかったチェンバース氏は2009年9月に辞任。直前は「日本にばかりいたら妻との仲が悪くなる」と周囲にこぼし、仕事へのやる気が感じられなかったという。

 「4-3-3の10年ビジョン」。日本板硝子は買収を機に、こんな計画を打ち上げていた。最初の4年で両社のシステムを統合し、5140億円に膨らんだ借入金を3500億円まで圧縮する。次の3年で自動車用、建築用ガラスという2本柱で世界での販売地域を拡大。さらに次の3年で新たな事業分野にも投資する、というものだ。

 だが現実には、今も最初の「4」すら抜け出せていない。市場環境が悪くなったとはいえ、買収相手に対する深い知識や理解を基にした戦略の不在が低迷を長引かせている面は否めない。「グローバル企業に飛び込めば、おのずと道は開けると考えていたが、違った」。元社員はこう漏らす。

 2012年4月に登板した吉川恵治社長は今、「買収当初は見えていなかった部分を修正している」と言う。ピルキントンは世界中の拠点に同じ評価や商売の仕方を求める中央集権型の経営。一見効率的だが、地域の持ち味を潰してしまう部分もあった。

 例えば、建築用ガラスは地域の気候や生活様式に合わせた製品作りが欠かせない。しかし、そうした製品はあまり重視されてこなかった。今はドイツで地元のニーズが強い防火ガラスに多くの営業予算をつけるなど、地域の独自色を認め始めた。

 7年の時を経て、日本板硝子はようやくピルキントンを理解し始めたのかもしれない。

日経ビジネス2013年12月2日号 69~70ページより

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