10月16日未明、伊豆大島を台風26号が襲い大規模な土砂災害が発生。出張のため島外に出ていた町長の行動に非難が集中した。反省しきりだが、「島にとどまったとしても、避難勧告は出せなかっただろう」と告白する。

川島 理史(かわしま・まさふみ)氏
1952年、東京都生まれ。76年、法政大学経済学部卒業後、地元、伊豆大島で学習塾を経営。95年、大島町議会議員選挙に日本共産党公認で出馬し当選。以後、4期連続で町議を務める。2011年4月、7人が立候補した大島町長選で初当選、現在に至る。

 「あの日、出張しなければよかった」「台風に対して何らかの勧告を出していれば救えた命があったかもしれなかった」──。

 自責の念は時間が経っても決して消えることはありません。この重たい事実を私は一生、背負って生きていかねばなりません。

 伊豆大島を襲った台風26号は未曾有の災害を引き起こしました。10月16日未明、大規模な土石流が発生し多くの方が犠牲になりました(編集部注:11月24日時点で35人が死亡、4人が行方不明)。

 被害者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

現場に任せ安心してしまった

 台風26号が伊豆大島に接近していた10月15日の午前10時過ぎ、私と副町長は出張のため飛行機で島を離れました。島根県隠岐の島町で開催された「日本ジオパーク全国大会」に参加するためです。

 ジオパークとは地球科学の観点から重要な場所と指定された自然公園のことです。隠岐と伊豆大島はどちらも日本ジオパークに認定されており、さらに隠岐はこのたび日本の離島では初めて世界ジオパークに認定されたこともあり、そうした取り組みについて意見交換したり、ほかのジオパークの関係者と交流したりできる貴重な機会だと捉えていました。

 町長と副町長の2人が同時に島を離れるのは異例のことでしたが、防災担当者に「あとは頼む」と託し、隠岐の島のイベントに向かいました。

 午後4時過ぎ、大島町役場の総務課長から現地で電話連絡を受けました。台風の影響がピークになる深夜に備えて「16日午前2時に第1次非常配備態勢を取る」と確認してきたのです。町の防災対策に則した判断だったこともあり「よし、分かった」と返事をして私はすっかり安心してしまいました。深夜に備えて役場の職員をいったん、自宅に帰すよう指示をしました。

 一方、私と副町長は隠岐の島でイベント後に催された懇親会に参加しました。午後9時過ぎに散会になりましたが、その後、2次会があるというのでそちらにも参加、深夜まで懇親会は続きました。

 このことが後になってメディアから「非常事態にもかかわらず女性が接客するバーで飲んでいた」と痛烈に批判されることになりました。弁解の余地はないかもしれませんが、隠岐の島の町長からほかの離島の首長とともにお誘いを受けました。後には島根県知事もいらっしゃいました。せっかくの交流の申し出をむげにはお断りできなかった。それがその時の気持ちでした。

 また、今から思えば職員を自宅に帰したのは判断ミスでした。情報収集と各方面への連絡のため、職員を1人は残しておくべきだったのです。午後6時過ぎ、役場には土砂災害警戒情報のファクスが入っていましたが、これを確認したのは職員が非常配備態勢のため出勤した深夜12時過ぎでした。

 雨足は深夜になってさらに強まった。深夜2時過ぎ、気象庁は1時間で101mmという記録的短時間大雨情報を発表しました。そして、2時43分、元町神達地区の住宅が倒壊したとの情報提供があり、消防と警察が現地に向かいました。大規模な土石流が発生し始めていたのです。

 私がそうした一連の状況について報告を受けたのは深夜3時15分でした。事の重大さに身が凍る思いでしたが、それでも避難勧告は出しませんでした。土砂災害の備えでは避難準備情報、避難勧告、避難指示という3段階がありますが、豪雨と暴風の中、深夜に家の外に出て避難させるのはとても危険な行為です。現場もそう判断していましたので、島民の避難はその時点で考えもしませんでした。

台風26号による記録的な集中豪雨により伊豆大島では大規模な土石流が発生。三原山の山肌がえぐれ土砂は海岸にまで達した

避難勧告は難しい判断だった

 伊豆大島は三原山の噴火もありましたし、台風による土石流もこれまでありましたから防災対策には特に力を入れてきたつもりでした。そうした状況でしたからなおさら今回の対応が悔やまれます。「防災の島」とも呼ばれ、そこに慢心があったことも否定はできません。

 前日15日の日中に避難勧告を出していれば、展開が全く違っていたことは言うまでもありません。

 ですが、仮に私が出張せず、伊豆大島にとどまって職員とともに欠かさず台風情報を収集していたとしても、果たして避難勧告を出していたかどうか。土石流で亡くなった方々からお叱りを受けることを覚悟で正直に申し上げますが、「ひょっとして出していなかったのではないか」という思いがどうしても私の中にはあります。

 自然災害の中でも土砂災害に対する警報は特に難しいのです。火山噴火後の災害、地震発生後の津波はある程度の予測ができます。ですが、台風による土石流発生を予測するのは大変難しい。避難するにもエリアを設定しなければなりません。危険区域はあらかじめ分かっていても、実際にどこに避難区域を設定するかの判断はとても難しい。勧告を出すことでかえって混乱を招くこともあります。津波のように沿岸の住民に対して高台に避難するよう勧告するというものではありせん。

 結果として記録的な集中豪雨によって想定以上の土石流が起きてしまったわけですが、今回の災害は私の行動を含めて反省すべき点が多かった。防災に対する認識が甘すぎました。

 隠岐の島で土石流の被害報告を受けて一刻も早く伊豆大島に戻りたかった。ですが、本土へのフェリーは台風の影響で欠航。仮に本土へ行けたとしても島根県の出雲空港から飛行機に乗れるかどうかも分からない。

 結局、自衛隊機の到着を待って伊豆大島に戻り、帰庁したのは16日午後5時前でした。事故発生から既に12時間以上が経っていました。

 「私が先頭に立ってしっかりやらなければならない」

 そう思うあまり力んでしまったのでしょう、直後の記者会見ではうまく対応できませんでした。災害発生時に島を留守にしていたことに加え、避難勧告を出さなかったことに対する受け答えが多くの国民の感情を逆なでしたようです。会見の直後から町役場には非難の電話が鳴りっぱなしでした。誹謗中傷の電話もあり、あまりのショックで泣き出す職員もいたほどです。

 いずれ、私の責任問題については明らかにしなければなりません。ですが、今は問題が山積です。被災者の仮設住宅の建設や被災地の復興に向けた対策などです。また、今回の反省を踏まえてこうした悲劇が二度と起こらないような防災体制の整備も急務です。

 台風26号が通過した翌週には台風27号が接近したので、避難勧告を出しました。目立った2次被害は起こらずに済みましたが、その分、様々な作業が遅れました。復興は緒に就いたばかり。まだ行方不明の方もいらっしゃいます。町長として陣頭指揮をしっかり執っていく覚悟です。

日経ビジネス2013年12月2日号 24~25ページより目次

この記事はシリーズ「時事深層(2013年12月2日号)」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。