宮城県亘理郡山元町。橋元忠嗣は、毎日欠かすことなく仮設住宅からここに通う。夜も明けぬ午前3時頃から1万1000m2にわたるイチゴの温室を歩き、葉や土の状態をくまなく見て回る。東日本大震災をきっかけに一度はあきらめかけたイチゴ栽培。橋元は再び「現場」に戻ってきた。
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この記事はシリーズ「2013年 日本の革新者たち」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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