(写真:的野 弘路)
INNOVATOR 06
東京工業大学教授
細野秀雄
1953年生まれ。幼少時から、家庭内の調味料や薬品を水に混ぜ合わせては反応を楽しんでいた理系人間。「互いに打ち消し合うのでは」と考え、砂糖と塩を水に混ぜ合わせたこともあった。82年に東京都立大学(現・首都大学東京)で博士号を取得。99年から現職。大学院以降、一貫して無機材料の研究に携わっている。

 「細野教授って誰?」。今年9月に米トムソン・ロイターが発表したノーベル賞候補に挙げられた日本人の名前を聞いて、多くの人は首をかしげたことだろう。

 細野秀雄、東京工業大学の教授である。世間一般にはなじみが薄いが、研究者の間では「現代の“錬金術師”」として知られている。材料分野で世界を驚かせる成果を次々に生み出しているからだ。今年はノーベル賞受賞を逃したが、将来の受賞を期待する声も多い。

 実は細野の生み出した技術は、私たちの身近な場所でも驚くようなイノベーションを起こし始めている。

 「スマートフォンが1回の充電で3日間も使えるのはすごい」。シャープが今年の年末商戦向けに開発したスマホ「AQUOS PHONE ZETA SH-01F」。電池の持ち時間を一般的なスマホの3倍に伸ばして、注目を集めている。

 省電力化のカギとなる技術が、液晶ディスプレーで主流の表示方式のTFTに使われた「IGZO(イグゾー)」と呼ばれる酸化物半導体だ。IGZOは、インジウム、ガリウム、亜鉛から成る酸化物。液晶のTFTとして主流のアモルファスシリコンよりも電気特性に優れ、液晶ディスプレーの高精細化や低消費電力化を実現できる。

 このIGZOの“生みの親”が細野だ。シャープがいち早く量産したことで同社独自の技術のように思われているが、実は違う。

 IGZOの応用分野は、液晶にとどまらない。次世代テレビの本命と目される有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)を実現する技術としても期待されている。2013年1月に発売された韓国LG電子の有機ELテレビや、同時期に発表されたソニーやパナソニックの試作品にも使われている。

 電機大手が熱視線を送る技術を、細野はいかにして生み出したのか。

ネットで「売国奴」と叩かれる

 「流行っている材料はやらない」。それが細野の研究に対する基本スタンスだ。誰も挑戦しない分野でこそ革新を生み出せると信じる。

 IGZOをはじめとする酸化物半導体の研究に取り組み始めたのは1993年。当時、酸化物は「ガラスやセメントのような絶縁体で電気を通さない」とされていた。その常識に逆らい、細野はあえてこのテーマを選んだ。

 異端児への風当たりは強い。半導体の学会では、「ここはあなたが来るところではないよ」といった屈辱的な言葉も投げかけられた。それでも細野はめげずに実績を積み上げていった。

 95年には酸化物半導体の材料設計理論、翌年の96年には電気特性に優れたIGZOの研究成果を発表。だが、学会では門外漢と見られ、評判は必ずしも芳しくなかった。それでもあきらめずに研究を続けたことでようやく、国の研究助成を勝ち取る。

 風向きが変わったのが2003年。IGZOを使って実現したTFT技術の研究成果が、米「サイエンス」誌に掲載された。翌年には軽量で折り曲げられるプラスチック材料の上に、アモルファス酸化物TFTを実現する技術も発表。「折り曲げられるディスプレーを実現できる」と脚光を浴びた。

 状況は一変する。キヤノンや韓国メーカーなどから共同研究の依頼を受けるようになった。IGZOの実力を知った電機大手は色めき立ち、製品化に向けたうねりが生まれる。

 そんな中、細野にとって衝撃的な事件が起きる。

 きっかけは2011年7月に科学技術振興機構(JST)が、細野が発明したIGZO技術の特許を韓国サムスン電子にライセンス供与する契約を締結したと発表したことだった。

 国家予算で研究された成果に基づく特許を韓国企業であるサムスンにライセンス供与することに対し、異論が噴出。その矛先は細野にも向けられた。ネット上では「売国奴」と叩かれ、脅迫状も届いた。細野自身、「ネトウヨ(ネット右翼)という言葉を初めて知ることになった」と恐怖体験を語る。

 だが、実情は違う。極論すれば、技術自体が韓国で認められず、勝手に使われるリスクもあった。2009年5月、韓国の特許庁が細野の申請を「容易に類推できる」と拒絶していたからだ。

 「技術を知らない法律家に否定されるのは絶対に許せなかった。オリジナリティーは明らかだ」。細野は怒りに心が震えた。勝率は1割もないとされ、周囲は猛反対したが、自ら韓国で証言台に立ち、裁判を闘った。共同で研究室を運営する東工大教授の神谷利夫は、「当時は裁判にまさに全身全霊を傾けていた」と振り返る。

 細野の努力は報われ、2010年11月には裁判で主張が認められることになる。サムスンへの特許ライセンス付与は、サムスンが細野の技術を認めて、それを受け入れた証しでもある。

 「1つの分野の権威や大家にはなりたくない」。こう語る細野の研究成果は、IGZOだけにとどまらない。2008年には鉄を主成分とする高温超電導物質を開発。サイエンス誌に掲載された論文は、同誌の選ぶ「10大ブレークスルー」に選ばれた。企業との共同研究も積極的で、小糸製作所などと共同で開発したLED(発光ダイオード)向けの黄色蛍光体も高く評価されている。

 ここまで多くの分野で世界的に高い評価を得ている研究者は珍しい。これが「現代の錬金術師」と呼ばれるゆえんだ。小糸製作所主幹の大長久芳は、「技術のカンの鋭さには脱帽するしかない」と評する。

 研究の第一線で活躍する細野だが、今年9月に60歳の還暦を迎え、定年まであと10年を切った。「やりたいことは尽きない」と、細野は目を細めて笑う。社会を変える驚異的なイノベーションを、あといくつ生み出せるのか。

日経ビジネス2013年11月11日号 38~40ページより

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