株価上昇や景気回復への期待が高まり、アベノミクスに追い風が吹く。道路などのインフラ投資が集中し、東京がその姿を大きく変える可能性も。ただ、財政再建や震災復興など、日本経済の課題が置き去りにされる恐れもある。

 五輪開催が決まった週明け9日の株式市場。午前8時45分、東京・大手町にある野村証券のトレーディングルームに一瞬、どよめきが起こった。

 シンガポールに上場する日経平均先物が、前週末の1万3865円から400円を超す上昇を見せたのだ。にわかに高まる「株価上昇第二幕」への期待。これは現実のものとなるか。

 下の表は岡三証券が作成している「スポーツイベント指数(五輪関連)」に含まれる50銘柄のリストだ。この指数、過去の値動きではTOPIX(東証株価指数)を上回る成績を残す。東京開催は「割安に放置されていた日本株を見直す絶好のきっかけ」(野村証券エクイティ・リサーチ部の田村浩道チーフストラテジスト)になり得るわけだ。

 田村氏は過去の五輪開催国において、株式相場が開催決定から50日ほど横ばいで推移する期間を経て、200日後には平均で16%上昇している経験則を引き合いに出す。2000年以来、13年ぶりとなる日経平均2万円を期待する市場参加者も少なくない。カギを握るのはやはり外国人投資家だ。

 野村証券は9日、海外勢の問い合わせに備えるべく、外国支店の営業部門との会合を急遽3件設定した。夏場に相場が伸び悩んだ背景には安倍晋三政権が打ち出した成長戦略や規制改革への失望があった。海外勢の視線が改めて注がれているうちに実効的な改革を打ち出せるかが株価の命運を握る。


 熱狂が一段落すれば、次の関心は日本経済への影響に移る。五輪開催は「失われた20年」とも言われるデフレ構造から抜け出す好機にもなり得る。

 大胆な金融緩和、機動的な財政支出、成長戦略の3本の矢で安倍政権が目指すのは、物価が持続的に下落するデフレからの脱却だ。消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は7月に前年比で0.7%上昇したが、エネルギー価格の高騰や円安が主因。需要の増加に裏打ちされた物価上昇からは程遠い。

 内閣府によると、4~6月期の日本経済の需要と潜在的な供給力の差を示す「需給ギャップ」はマイナス1.9%。緩やかに改善しているとはいえ、日本経済はなお10兆円規模の需要不足の状態にある。五輪開催で民間も含めた需要が喚起されれば、デフレを招いてきた1つの原因が取り除かれる。

 国内の景気は昨年11月に底入れし、既に回復局面に入っているとの見方が支配的。今回の景気回復の特徴は個人消費を中心とする内需が主導していることだ。ただ2014年4月と2015年10月に予定されている消費増税が実施されれば、景気に下押し圧力がかかることは避けられない。こうした試練を乗り越えることができれば、五輪開催に絡んだ内需が先導する形で成長路線に戻る公算が大きくなる。



気になる経済効果は、直接的に発生する需要とその供給に必要な投資だけを見込むか、誘発される需要なども含めるかで大きく変わってくる。東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会は経済波及効果を全国で約3兆円と弾く。グラフはSMBC日興証券の試算。大和証券の木野内栄治チーフテクニカルアナリストのように「老朽インフラの再構築や観光需要の増加も含めれば経済効果は百数十兆円規模」との声もある。




 「これは公共事業のラッシュになる」

 8日午後、自民党のある中堅議員は笑顔の後、わずかに心配そうな表情も浮かべながらこう言った。

 「笑顔」の理由は分かりやすい。東京開催が競技場や道路、鉄道、空港といったインフラの整備のみならず、海外からの観光客誘致などがアベノミクスの強力な支援材料になるためだ。

 一方、わずかな憂いの表情は、逆説的ながら公共投資のタガが緩みすぎることへの懸念が背景にある。アベノミクスが掲げる国土強靱化に絡み、「防災・減災の公共投資が拡大する可能性がある」。自民党の国土強靭化総合調査会は全国の道路や橋、堤防、港湾の維持・補修と耐震化で、「今後10年間で200兆円規模のインフラ投資が必要になる」と提言している。

 2020年はもともと、財政再建の国際公約としてきたプライマリーバランス(財政の基礎的収支、PB)の黒字化を達成する目標期限でもある。2013年度のPBの赤字は34兆円に上る見通し。膨らみ続ける社会保障費を賄いながら、この公約を果たさなければならない。景気回復で税収の増加が期待できるとしても、それだけで財政再建ができるわけではない。

 前回の東京五輪では、開催が決まった1959年以降に官民の投資が猛烈に増え始めた。これが景気に火をつけ、国民の年収はその後10年で3倍になった。しかし、五輪の翌年からは「昭和40年不況」と呼ばれる景気後退に陥り、国債発行時代が始まった。公共投資が膨らみすぎれば、2020年の健全化目標の先送りは不可避となる。


 五輪招致に伴う景気浮揚効果が経済再生の起爆剤となれば、財政再建にも追い風となる。だが、既に見た通り歳出増の圧力も強く、五輪関連の経済効果だけで高成長維持と財政再建を実現するのは容易ではない。それでもなお、財務省幹部は「今後の税収の安定確保や、この先の消費増税を含む税制改革論議を進めやすくなる」と話す。

 どういうことか。永田町では来年4月に予定される消費税率引き上げについて、「来年以降の景気下支え材料が増えたことは、安倍首相の判断に大きなプラス材料」(自民幹部)との見方が広がる。さらに、財務省内では所得税なども含めた税制の抜本改革とセットに、2020年にもう一段の消費税アップを実現するシナリオが描かれ始めている。増税は好景気の時しか実行できない。2020年の五輪開催が安定的な経済効果につながることを織り込み、財政・税制改革論議の加速につなげる構えなのだ。

 財政再建には経済成長と増税に加え、歳出削減が欠かせない。毎年1兆円規模で増える社会保障費をどのように削減していくのか。目先の話では、財務省が8月末に締め切った2014年度当初予算の概算要求は約99兆2500億円と過去最大に膨れ上がったが、「査定で削るかなりの部分は補正予算に入れる話ができている」(政府関係者)という状況だ。

 財政規律に目配りし、メリハリがついた歳出構造をいかに実現するか。これができなければ、いかに五輪誘致という追い風を受けても、経済成長と財政健全化の両立は夢物語に終わる。


 「五輪開催決定をきっかけに東京都内のインフラ整備が一気に進む可能性がある。羽田空港と成田空港を結ぶ直通特急ができるならばその中間駅、あるいはリニア新幹線の起点として、品川界隈の開発が進むだろう」。こう予測するのは森トラストの森章社長だ。

 実際、五輪開催までに東京の街並みは大きな変貌を遂げそうだ。東京都は2011年、外国企業が進出しやすい環境を整備し、誘致を強化する目的で、「アジアヘッドクォーター特区」を立ち上げている。特区エリアは「大丸有(だいまるゆう=大手町、丸の内、有楽町)」など、主要ターミナル駅周辺に広がる。参入する外国企業には法人事業税などの減免措置が適用される。

 道路や鉄道など交通インフラの整備も急務になる。一気に進む可能性があるのが、3環状と呼ばれる「首都圏中央連絡自動車道(圏央道)」「東京外環自動車道(外環道)」「首都高速中央環状線」。前回の東京五輪の直前、1963年に計画されたが用地取得などが難航。50年経った今でも、未着工路線が多く残り、渋滞の緩和に至っていない。

首都高速道路の改修なども含めたインフラ投資が東京に集中する(写真:縄手 英樹/アフロ)

 そのほか、羽田・成田の両空港の発着枠の拡大や、老朽化が著しい首都高速道路の改修なども不可欠。既存施設のバリアフリー化も一層進むだろう。

 その一方で、置き去りにされかねないのが東日本大震災の復興だ。土木・建設作業員の東北からの大量撤退が現実味を帯びる可能性がある。ある土木業者は「東北の職人の大移動で復興は立ち遅れ、除染作業員も現場から離れるとなると、想像するだけでも恐ろしいことになる」とつぶやく。


 五輪開催に合わせたその場限りのハコモノ投資ではなく、「五輪後の継続的活用」を訴える業界がある。日本では刑法によって禁じられている「カジノ」だ。解禁されれば日本の観光業における起爆剤となる可能性もある。

 カジノ議論の中心が、超党派で統合型リゾートの導入を推進する「国際観光産業振興議員連盟(通称:IR議連)」だ。約140人の国会議員が加入し、安倍晋三首相と麻生太郎財務相も最高顧問として名を連ねる。ある議員は「2020年に間に合わせてほしいと企業から強烈な働きかけがある」と明かす。

 キーワードは議連の通称にもなっている「IR(統合型リゾート)」。カジノを含め国際会議場や展示場、商業施設などを併設した複合施設を指す。経団連は6月、「日本の大都市にフラッグシップとなる大規模な統合型リゾート施設が開業した場合」という前提で、その経済波及効果が総計で年間5780億円に達するとの試算を発表した。

 既に企業は動き出している。フジテレビジョン、鹿島、三井不動産、日本財団は「東京DAIBA・MICE/IR国際観光戦略総合特別区域」を共同提案。昨年には商業施設「ダイバーシティ東京」が開業した。利益の源泉となるカジノ運営を狙うのは、セガサミーホールディングスやユニバーサルエンターテインメントなどの娯楽大手だ。

 ただし、カジノ合法化を巡っては反社会的勢力の参入を確実に防ぐ具体的施策など、国民の理解を得ながら慎重な設計が求められることになる。


安倍晋三政権の求心力が高まり、政策遂行の追い風に。TPP(環太平洋経済連携協定)や規制緩和など慎重論が強い政策テーマも実現へ前進。


五輪開催で2020年までの成長持続を視野に入れた日本を、中国、韓国も軽視できない。一方で、「五輪成功」が最優先となり、優位に立たれる可能性も。


バスケットボールのモルテンをはじめ、五輪に欠かせない技術を持つ中堅・中小企業が存在感。裾野の広い企業の活性化で産業基盤が強化される。


日経ビジネス2013年9月16日号 13~14・16ページより

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