一連の商品や技術の改革は、2009年の社長就任直後から始まっていた。まず技術と商品を変えることで、会社全体に危機感を植えつける。7月に稼働する最先端の寄居工場についても明かした。 (聞き手は 本誌編集長 山川 龍雄)

写真:村田 和聡
伊東 孝紳(いとう・たかのぶ)氏
ホンダの7代目社長。1953年静岡県生まれ。78年、京都大学大学院工学研究科を修了し、ホンダに入社。本田技術研究所取締役、米国子会社副社長を経て2000年に取締役。その後本田技術研究所の社長を経て2007年専務四輪事業本部長就任。2009年に社長に就任した。昨年10月にはホンダの社長として初めてブラジル・サンパウロモーターショーでスピーチ。最近は改革過程で日本にいる時間が長かったが、「今年は世界中を見て回りたい」と言う。

研究開発の組織は縦社会
女王バチ動けば働きバチも動く
だからキーマンの説得から始める

 問 社長就任後に取り組んできた改革が形になり始めています。なぜここまでやる必要があったのでしょう。

 答 リーマンショックで販売台数が落ちただけでなく、世界の社会構造が一変した。それをどれだけホンダの商品や経営体質に反映させられるかが私の社長としての出発点でした。2011年に発売した軽自動車「N-BOX」が一連の取り組みから生まれた製品の第1弾で、これからようやく成果が出てきます。手応えは感じていますが、さすがにもう仕込み疲れましたよ(笑)。

 問 全パワートレーンの刷新は前例もなく、リスクも大きいはずです。

 答 ホンダの歴史でも初でしょう。それぐらい長く眠っていたということです。当初はV10やV8、大型ディーゼルなどのエンジン開発に全体の6割ぐらいのリソースを割いていた。社長になってそれらを中止し、小型エンジンの開発にリソースを再配分したんです。「冗談じゃない」という反応もありました。当時、こうしたエンジンを積むクルマはほぼ完成していましたから。本音を言えば、私から見てもいいクルマでした。

 問 エンジニアからすると、はしごを外された感じだったのでしょう。

 答 だから最初は敵ばかりで、四輪R&Dセンター(栃木)に私は出入り禁止のようだった。しかし、とにかく話すしかない。「女王バチ理論」と呼んでいるのですが、肝心なのはまずキーマンを1人押さえること。研究開発の組織は縦社会で、女王バチが動けば働きバチも動く。だからキーマンを説得するところから始まる。何度も通いました。

 問 トップの一声だけでは簡単には変わらなかった。

 答 実は現場は開発案件の全取り換えをすぐしなかった。面白いことに、やめろと言ったのに1年くらい開発が続いていた案件もあった。驚きました。ただ、やめないでよかった技術があったのです。詳しくは話せませんが、開発予算削減の影響で、たった3人で開発していたある技術です。

 私も続いているとは知らなかったけど、今から1年前「面白いものになりそうだから」と試作品を見せられたんです。感激しました。本人たちも感極まって涙ぐんでいた。世に出るまであと3年ぐらいはかかりそうですが、経営的にも相当な価値です。

 問 燃費などの面でも勝てなくなっていました。

 答 やはり燃費1番は絶対欲しい。これから徐々に取り戻します。ただ、これまで燃費や環境などでブランド力を引き上げてきた半面、お客様の見方をおろそかにしていたことも分かりました。「燃費1番なんだから売れるだろう」みたいな感覚もあった。

 燃費や環境で譲るつもりはないですが、お客さんはそれだけで買うわけではない。クルマトータルの価値というのをかなり意識するようにしました。例えば「N-BOX」はプラットホームやパワートレーンを刷新したけど、残念ながら燃費トップは取れなかった。でも売れている。まず商品ありきで、共通する属性として燃費や環境でトップを取る。ホンダをそんなブランドにしたい。

 問 自動車の小型化や新興国市場で他社より遅れた感もあります。

 答 北米市場を中心に好調が続いて、横着をしていたんです。時代の先を読むこともチャレンジすることもしなかった。そのツケがたまっていたから、短い間に1歩、2歩、3歩先の革新をやる必要がありました。

 商品で言えば、大きいクルマにシフトしていた企画や商売のコアを、もう一度小さい方に戻す。そして、環境技術やクルマの面白さでも、他社より先を行く技術を蓄えている最中です。

手を抜いたらすぐに危機に陥る

 問 小型車の比率が高まると利益率が下がる懸念はありませんか。

 答 そうならないために、小さいクルマでも儲かる会社になるための変革にも取り組んでいます。

 ただ、私にはすべてを一斉に進める腕力も能力もない。まず商品と技術から始めようと考えました。リードタイムが必要で時間がかかるけど、一番初めに変えなきゃいけないのは間違いなく商品と技術です。それが手元に来なくては、大多数のホンダの関係者は変化を身近に感じられないからです。

 だから最初の1年は技術研究所のトップを兼ねたいと福井(威夫・前社長)に頼んだのです。

 問 とはいえ足元の業績は悪くないし、日本の電機メーカーが陥っているような状況とは違います。社内に危機感を持たせるのは難しいのでは。

 答 いや、我々だっていつ同じような状況に陥るか分かりません。怖いのは、お客さんの興味の対象から外れることです。特に新興国では国策として自動車産業を育成しており、地場メーカーの存在も大きくなっている。ちょっと手を抜いたら、あっという間に存在を脅かされることになります。

 社内に危機感を持たせるには、トップがこういう認識をあらゆる場で示すしか手はありません。ある程度製品が売れ、利益が出ていて、トップが何のメッセージも出さなければ、これでいいとほぼ全員が思うでしょう。

 「我々は怠けているのではないか」と言うことがトップの仕事のすべてじゃないかという気がします。

 問 最近は生産と開発の一体化など組織横断の取り組みを加速されています。これはいわゆる「ホンダらしさ」の原点だと思いますが、まだ足りないということですか。

 答 全然足りない。規模が小さいと自然にできるが、今では各部門が大企業みたいに人数を抱えている。栃木研究所だけで1万人。購買も何千人もいる。いつの間にか、それぞれが自分の組織の運営だけに汲々としている。まだ改革の途上ですが、切り替えはかなり大変です。

 問 1990年代、当時の川本信彦社長が危機感を持って技術者の意識を変えようとしていたことがありました。あの頃と似ているようにも見えます。

 答 川本さんの商品、技術、会社を変えるぞ、との思いは伝わりました。その点では一緒です。

 ただ、私は当時は経営層にいなくて、研究所の若頭みたいなポジションだったので正直、最初はよく理解できなかった(笑)。川本さんがよく栃木に来て、エンジニアの意見を聞いていました。我々もいろいろと考えを発表しましたが、何度やっても怒られたのを覚えています。

写真:村田 和聡

 だが、今の若手にはそうした経験はほとんどない。だからこそ私も様々な場面で強い口調で話す。言葉だけでは簡単には浸透しないので、会社の組織を分かりやすく変えていきたい。

 最近は鈴鹿製作所や2輪の熊本製作所で、生産と開発、調達などのチームが一体となって活動する取り組みを進めています。これを海外をも含めた会社全体でやっていくつもりです。


 問 クルマ作りでは、特にコスト面で課題があったという認識ですか。

 答 課題は部品の共通化です。ホンダでは開発陣の自由度と権限が大きく、個々のモデルやエンジンはそれなりに面白いものに仕上がる。一方で、商品全体を見て部品コストを下げる発想に欠けていた。

 端的に言うと、あるキーパーツの値段が、戦略的にそういうことをやっている競合他社の値段と違ったということです。部品メーカーから見ても、戦略的な完成車メーカーには安く大量に部品を提供しやすい。「それ、いいからちょっと売ってくれませんか」では、値段が高くても文句は言えません。

 問 発注する台数のベースが違う。

 答 そう。台数と継続性です。部品の共通化にしてもモジュール化にしても、単にやるのではなくていかにトータルで考えてやるか。最初から世界中で販売して数を出す前提で部品メーカーに提示しないと価格は下がらない。「生産のピークは3年後です」なんてお願いしたら、設備投資だってしてもらえない。投資が伴い、大量に作れば作るほどコストが下がって精度が上がるような部品ほど顕著に差が出ます。

各地に開発、生産、販売の自由を

 問 そうした面で、ドイツのフォルクスワーゲンのクルマ作りが注目されています。どう分析しておられますか。

 答 この数年のワーゲンの躍進には2つの理由があると見ています。1つは先ほど話した戦略的思考で、自分がいいと思うものを、迷いなく進めながら数を増やしていく。

 もう1つは、早くから新興国に出て苦労をしてきたこと。苦労しながらその地域に溶け込み独特の商品や経営を生み出してきた。その両輪がうまく回っているのではないでしょうか。

 ホンダとしても見習うべき点があって、特にあの戦略思考は参考にすべきだと考えています。海外事業についても基本戦略を柱としながら、各国ではかなり自由にオペレーションをさせている感があります。

 ホンダでは2輪事業が似たような状況です。日本の本社がそれほど構わない地域に限って、大きく成長する。「そんなことまだやっているの」みたいな国や地域の方が調子がよかったりするんです。

 これこそホンダが進むべき1つの方向で、世界各地が独自に開発し、地域の素材を使い、生産し、販売する。各地が責任と権限と自由を謳歌しつつ、それがさらなるやる気を招く好循環というか、「喜びのサイクル」が回る中心に、ホンダというブランドがある。これが僕の考える経営の次のステップです。

 問 これまでも事業の現地化を進めてきたはずではなかったのですか。

 答 まだまだ全然足りません。これからは開発の現地化を加速させます。例えば今度の「フィット」は全世界で同時に売るクルマだからリーダーシップは日本にある。しかし車種によっては開発の現地化を進める必要があります。現時点では能力があるのは北米ぐらいですが、アジアも最近、ついてきました。ここをもう一段引き上げます。

 問 アルジェリアでのテロによって企業の海外事業のリスクが再びクローズアップされています。

 答 日本を含め、世界の各地域あってのホンダだということを徹底することが、究極のリスクヘッジではないでしょうか。最近の中国の問題にしても、リスクを下げるには大多数の中国の消費者やユーザーに支持されるしかないと思います。外交問題などいろんな力学に流されることもありますが、消費者の「欲しい」というのは絶対に正しく、安定した動きにつながるのだと思います。

 問 国内市場は軽自動車の比率が高まっています。これは続きそうですか。

 答 今後も2極化が進むでしょう。日常は軽やスモールカーで必要にして十分。大多数はそれがいいという志向にいく。ただ、クルマに対するステータス、趣味的な要素での高付加価値の分野も広がるでしょう。そうした2極化が進む流れの中で、市場における軽の比率はもう少し高まるでしょう。

 日本では別ブランドは考えていません。過去、「アキュラ」ブランドを日本にも導入しかけましたが、リーマンショックでやめた。今の国内市場でブランドを2つ動かしていくのは、うちの体力では厳しい。結果的にリーマンショックで救われたと思います。

 問 主力の米国市場では、エントリーモデルでは韓国勢などにシェアを奪われ続けています。ホンダのブランドをどう再強化していくつもりですか。

 答 北米は我々の商売の大部分を占めるから、現代自動車などに流れた顧客をどう取り戻すかはコアの課題です。先だってデトロイトのショーに出したSUV(多目的スポーツ車)の狙いもそうですが、若い層が喜ぶ商品を出して新しい層をどんどん掘り起こさないと明日はないと考えています。

 あのSUVはそんなに小さいわけではないですが、米国でも長期的に見れば小型車は普及するでしょう。必要にして十分な利便性に面白さが加われば、米国の若者は飛びつくと思います。新型フィットのシリーズをメキシコで生産し、北米で売るということは、非常に重要な意味があるんです。

 問 トヨタ自動車は北米では別ブランドを通じて若年層の囲い込みを進めています。

 答 我々の優先度はホンダブランドを強くすることに尽きる。横着して別ブランドを掲げる前に、少し薄れかけてきたホンダブランドを、若い人が飛びつくような魅力的なブランドに磨いていく必要があります。そこに集中しないと、うちの体力では持たない。

教えられない日本の技術者

 問 年内に埼玉県の寄居工場が稼働します。どんなコンセプトでしょうか。

 答 寄居工場は、日本が生産技術で進化して、海外の拠点のリーダーであり続けるための最新鋭の拠点です。

 最近は立ち上がるのは海外の工場ばかりで、日本の生産ラインよりはるかに進んだ設備とやり方になっている。日本の技術者が教えに行っても教えることがなくなっている。本当に日本でも工場を作り替えるぐらいのことをしないと、日本の本社が尊敬されなくなるということです。

 寄居は計画当初は高級車の生産が前提でしたが、社長就任後に小型車向けに変えました。日本の特産品は小さいクルマです。だから技術進化も小さいクルマ作りを優先する必要がある。

 省エネルギーの実現も狙いの1つです。自動車の工場で一番エネルギーが必要なのが塗装ラインなんです。何度も塗って、乾かすわけですから。寄居のラインではそれぞれの工程を減らしました。水性塗料を3回塗って、2回乾燥させます。これをすべての色で対応するのは世界で初めてになると思います。

 人手がかかる組み立て工程でも、基本のラインを短くして、そこに「盲腸」のようなサブラインを組み合わせる。そうすることで、レイアウト変更なしに多くの車種を生産できます。この新工場の基本設計を世界中に展開する予定です。

 塗料や生産設備の技術力では日本がまだ世界で最も優れています。その日本でできることをしっかりやって、世界に発信していきたいですね。

生産技術力はまだ日本が最先端
その日本でできることをやり、
世界に発信していきたい

傍白
 自動車メーカーの場合、経営トップが自らの思いを込めて開発した商品が世に出るまでには、数年かかります。仕込んだものが形になってきたという手応えがあるせいか、1年前にお会いした時よりも、語り口が軽やかな印象を受けました。「当初は研究所に行くと敵ばかりで、出入り禁止のようだった」というのは、少し誇張が交じっているかもしれません。ただ、大型車のエンジン開発に夢中になっていたエンジニアに中止を命じるのは決心が要ります。恐らく伊東さんを支えていたのは、「良い商品を作っても、売れなければ技術者の苦労に報いたことにならない」という信念だったのでしょう。儲からない事業からの撤退を命じる際、トップが共通して抱く葛藤でもあります。
日経ビジネス2013年2月4日号 50~53ページより目次