東京都板橋区弥生町。川越街道から路地を入った一角に都心とは思えぬ鬱蒼とした森がある。2009年5月25日深夜、この森の奥で火災が発生し、住宅と倉庫約177平方メートルが全半焼した。焼け跡から見つかったのは74歳の男性と69歳の女性の遺体。ともに胸や腹を刃物で刺されていたことから、警視庁板橋署は急遽、捜査を開始した。被害者は周囲に多くの不動産を所有する資産家とその妻だった。

 3年前に発生したこの「板橋区資産家殺人事件」が注目を集めたのは、犯人像や犯行動機が謎に包まれていたからだけではない。庶民が何より驚いたのは、被害者があまりにも膨大な不動産を持っていたことだった。報道によれば、アパートや土地など約80物件を賃貸し、自宅から半径100mだけで約7500平方メートルの土地を所有。地元では「他人の土地を踏まずに池袋まで歩いて行ける」と噂されるほどの大地主だった。働いた経験はほとんどなく、不動産収入だけで生活していたという。

 企業経営者、医師に次ぎ日本の富裕層の中核を構成するのはマンションオーナー家主、つまり地主だ。ランドスケイプの試算によれば、そのシェアは7.1%。人数にして約13万人を占める。

(イラスト:浅賀 行雄)
~消費よりも土地を守ることに専念~
集中ゾーン
全国各地に先祖代々続く名家が散在するが、特に都市部の地主は資産力が高い。マンション経営などでさらに財産を増やす人も

消費スタイル
多忙な人もいるが大多数は資産管理を業者に任せるなどして自由な時間を得る。資産は活用より守ることに専念する人も多い

資産の状況
ストック型

ルーツは「農地改革の抜け穴」

 歴史的には、日本では1946年からGHQ(連合国軍総司令部)の指導の下、農地改革が実施された結果、土地の多くは公平に再分配されたことになっている。

 ただ、その対象は文字通り農地であり、森林は対象外だった。また、支配者階級から事実上没収した土地を手に入れたのはあくまで当時の小作人であり、全国民にあまねく分配されたわけではない。こうした結果、農地改革の後も結局、代々の山林所有者や、破格の値段で土地を手にした小作人が「新たな大地主」として、地方や都市郊外で存在し続けることとなったわけだ。

 資産額では経営者や医師を凌駕する人も少なくない富裕地主。だが、メガバンクでプライベートバンク業務を担当し、数多くの富裕地主に接した経験を持つある銀行マンは「彼らが優先するのは、先祖代々継承した土地をいかに子孫に受け渡すか。古い家に住みながら建て替えもしないなど、ほかのタイプの富裕層以上に堅実な生活を送る人が少なくない」と証言する。

個人の消費より街の発展

 東京・自由が丘とその周辺にかけて2万坪の土地を持つ岡田一弥氏も、「中庸な生活を送っている」と自ら話す大地主の1人だ。岡田家の資産が急増したのは戦後、東急電鉄の沿線開発が本格化し、地価が右肩上がりの上昇を始めてから。祖父の衛氏がマンション経営を展開し、莫大な資産を蓄積した。

 だが、その間も岡田家の暮らしは質素で、風呂は長らく五右衛門風呂のまま。岡田氏は特別な贅沢をすることもなく、薪をくべながら少年時代を過ごした。その堅実ぶりは今も岡田家に生きており、今も「派手なクルマにも乗りたくないし、骨董品や美術品などのコレクションにも興味がない」(岡田氏)と言う。

 個人的な消費にはあまり関心がない岡田氏が現在、最もエネルギーを注ぐのは地域の活性化だ。年商5億円の岡田不動産を経営する傍ら、自由が丘商店街振興組合理事長を務め、街の発展の旗振り役となっている。「先祖から譲り受けた以上、土地を風呂敷に包んで逃げるわけにはいかない。地域の将来に責任を持たねばならない」と岡田氏。商店街の集客策などの立案に知恵を絞る日々が続く。

 大地主の中には、消費をしたくてもできない層もいる。別に本職がある“兼業地主”だ。「例えば、期せずして土地を相続したものの、地域で悪い噂が立つのを恐れ、カネを使うに使えない“公務員地主”は地方に相当数存在するはず」とランドスケイプ営業本部の吉川大基氏は推測する。また、特に派手な暮らしを自重する立場になくても、「単純に土地の有効活用に対するリテラシーがなく、広大な土地を所有しながら普通に塩漬けにしている人も少なからずいる」(前述の富裕層に詳しいメガバンク行員)。

 実数では企業経営者や医師に及ばない富裕地主だが、最も“隠れカネ持ち”が潜んでいる分野のようだ。

日経ビジネス2012年12月10日号 32~34ページより

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