スマートフォン向け通話無料アプリの人気が過熱する。電話やメールサービスを通信会社が独占する時代は終わった。めまぐるしく変化する競争環境の中で、新たな「通信会社」が生まれ始める。

 「次の年末年始、トラフィックの急増に対して何としても耐えきる体制を整えなければならない」

LINEはスタンプによる交流という新ジャンルを生み出した

 これは携帯電話事業者の台詞ではない。国内で3600万人、国外の利用者も含めると7800万人の利用者を抱えるスマートフォン(高機能携帯電話)向けアプリ「LINE」を提供するNHN Japan執行役員、舛田淳氏の言葉だ。

 LINEは友人や知人とメッセージをやり取りしたり無料で通話したりできるコミュニケーションツールだ。通常の携帯メールが「受信ボックス」「送信ボックス」などパソコンのメールに近い仕様になっているのに対し、LINEではお互いのやり取りが1画面に表示される。そのため、実際に会話しているような雰囲気を楽しめる。

 特徴は「スタンプ」と呼ぶイラストを用いたコミュニケーションだ。感情豊かなスタンプをあらかじめいくつも用意しており、スタンプのやり取りだけでコミュニケーションできる。手軽さと楽しさが受け、LINEでのやり取りは1日に10億件を超える。

LINEは社会のインフラ

 大量のやり取りをさばくため、LINE運営チームが整える体制は通信会社さながらだ。同社はシステムのモニタリング体制を整備。障害の大きさによって第1級から第6級まで障害規模を自動判定する。アラートが自動で関係者に届き、等級の大きさによって招集されるメンバーが異なるという。今ではソーシャルメディアの書き込みを人間が確認し、「つながりにくい」といった内容を発見した際にも情報共有する仕組みを整えている。

 きっかけは昨年末の苦い経験だった。2011年11月中旬、同社はLINEのテレビCMを展開し始めた。10月時点で95万人だった会員数が12月には一気に450万人以上に拡大。これに伴い、利用が急増し、サーバーの増強が追いつかない事態に追い込まれた。結局、1時間ほど不通状態が続いた。

 「機能拡充より大切なのは必要な時に電話がつながり、メッセージが届くこと」(舛田氏)。舛田氏の言葉は、NHN Japanが単なるアプリ会社の枠を超え、コミュニケーションを支えるインフラを提供する新タイプの通信会社が誕生したことを示している。

 LINEは携帯電話事業者にも無視できない存在になりつつある。利用者同士なら無料で可能な通話はもちろんだが、携帯のキラーアプリだった電子メールにも影響を与える。

 LINEは原則、携帯の電話番号を基に、友人や知人をつなぐ。いったん友人と判断され、互いにつながれば、後は様々なツールを用いてコミュニケーションできる。

 極端に言えば、携帯電話事業者のメールアドレスは不要になる。単にメールだけの問題にとどまらない。2006年10月に始まったMNP(番号持ち運び制度)は、電話番号を変更せずに携帯電話事業者を移行できるというもの。メールアドレスの移行も検討していたが、結局、対象外になった。

 LINEの普及はMNPのハードルを大幅に下げた。「メールアドレスの束縛から解放されたとも言える」(舛田氏)。メールアドレス変更が嫌でMNPを思いとどまっていた利用者は、LINEの普及とともに自由にキャリア間を動き回れるようになった。

 トラフィックへの影響も無視できない。2011年1月25日、NTTドコモは大規模な通信障害を起こした。原因としてやり玉に挙がったのがLINEをはじめとするコミュニケーションツールの存在。ドコモが障害の要因として掲げた理由は「制御信号」だ。

 通常、アンドロイド搭載スマホの場合、端末と交換機の間では28分に1回の制御信号が発生する。しかし、コミュニケーションアプリを利用している場合、制御信号の発生は3~5分間に1回と頻繁になる。この制御信号の増大に耐え得るネットワークをドコモは用意していなかった。品質の高いネットワークサービスを提供するという、「土管」の提供者としてのプライドすらLINEは奪った。

 ただシステム障害で困るのは利用者だ。NHN Japanはこれを機に、携帯キャリア各社との間で、技術者同士の情報交換を始めている。これも社会的なインフラになりつつあることを自覚したからこその取り組みと言える。

増殖するLINE対抗勢力

 わずか1年ほどでmixiやフェイスブックといった大手SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を超す国内利用者を獲得したLINEに、追随する企業が後を絶たない。

 2012年10月に入り、ソーシャルゲーム一辺倒だったディー・エヌ・エー(DeNA)がLINE対抗の「comm」を開始。高音質の無料通話を売りに、10億円規模のプロモーション費用を投下してLINE追撃の狼煙を上げた。

 「運営チームを70人体制に増強して追い上げる」とDeNA執行役員ソーシャルプラットフォーム事業本部の松井毅本部長は鼻息が荒い。

 かと思えば、今度は韓国で圧倒的シェアを誇る「KAKAO TALK」の運営元、カカオジャパンにヤフーが50%の出資を決定。「社内で開発したベータ版があったが、自前へのこだわりをかなぐり捨ててKAKAO TALKとの共闘を選んだ。2014年にはLINEを抜く」とヤフーでCMO(最高モバイル責任者)を務める村上臣氏は意気込む。

 増殖するLINE対抗勢力。既存の電話会社と異なり、無料通話アプリを提供するのに必要なのは極論すればソフトとサーバーだけ。基地局を持つ電話会社とは比べ物にならないほど安価にサービスを開始できる。自前の回線を持たない新種の「通信会社」が当たり前の存在になりつつある。

 実はLINEも含め、これらの企業にはある共通点がある。

 携帯電話事業者に縛られることなく、端末メーカーやOS(基本ソフト)の種別も関係ない。何も制限を受けずに、自由で、そして急速に拡大できる。

 こうしたプレーヤーをOTT(Over The Top)と呼ぶ。OTT事業者の影響力は、無料通話アプリに限らない。音声通話を超えデータ通信を含めたコミュニケーションプラットフォームとしての成長を描く携帯電話事業者の戦略に大きな影響を与えている。

 世界的なOTT事業者と言えば、米アップル、米グーグル、そして米アマゾン・ドット・コムだ。3社は極めて付加価値の高い端末とサービス領域でビジネスを展開し、付加価値を出しづらい通信インフラは現時点で手がけていない。

 海外勢のOTT事業者は日本の携帯電話会社がフィーチャーフォン(独自仕様携帯)で築いてきた端末、OS、コンテンツ配信の垂直統合モデルを解体し、培ってきた生態系を破壊した。

 携帯電話事業者にコンテンツを提供するコンテンツプロバイダー(CP)も窮地に追い込まれた。広告収入のダメージは計り知れない。フィーチャーフォンでは携帯電話事業者が運営するポータル(玄関)サイトが幅を利かせていたが、スマホの普及で、概念そのものが消滅した。アプリを入手しようとした利用者が訪れるのはOTT事業者が提供する配信ストア。携帯電話事業者は顧客との接点を失った。

 「EZwebのトップページの広告枠は3日間1400万円で販売していた。今はポータルサイトの集客力は下がり、売り上げも落ちた」。auの広告事業を独占的に展開してきたmedibaの大朝毅社長はこう漏らす。ドコモの広告枠を独占販売していたD2Cもまた苦しい状況が続く。

 「(ドコモが展開するスマホ向けポータルサイトの)dメニューが集客力がないのが何より痛い」とD2Cの宝珠山卓志社長は言う。

 LINEに代表される新たな勢力の誕生、そして携帯で通話しない若者の増加(「変わりゆく利用者の『要求』」参照)など、電話会社の置かれた立場はかつてないほどに厳しい。

 ただコミュニケーションに対する人間の欲求がなくなることはない。技術の進歩に応じて、むしろこの欲求は強まっている。だから、通信会社は土管の先を見据えて走り続ける。

三者三様の異なる「答え」

 ソフトバンクは米スプリント・ネクステルの買収でOTT事業者との交渉力を強め、連携を深める戦略を取る。KDDIは顧客との接点を取り戻すため、CPを巻き込んだauスマートパスを提供し、新たな生態系に作り直そうとしているし、ドコモはEC(電子商取引)事業者などを買収し、核となる事業に自ら出ていく戦略を進める。

 三者三様の戦略のどれが生き残るうえで正解かはまだ答えが出ていない。

 ただ、キャリアが通信産業の頂点に君臨し、端末やサービスの開発を主導した時代は過去のものとなり、キャリアが通信市場から押し出されかねない危機に直面するようになったことだけは事実だ。国内の通信大手3社が自らの競争環境を再定義し始めたのは、こうした新たな脅威が理由だ。

 特集の取材を通じて、通信大手3社のトップにそれぞれ「自社の最大のライバルはどこか」と質問したところ、NTTの鵜浦博夫社長は「米ベライゾン・コミュニケーションズ」、KDDIの田中孝司社長は「ユーザー」、ソフトバンクの孫正義社長は「米シリコンバレー」と即答した。

 日々、顧客獲得にしのぎを削るライバルの名前を挙げなかったのは遠慮ではない。これから直面する環境変化への危機感の表れにほかならない。

日経ビジネス2012年12月3日号 40~43ページより

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