弁護士でありながら起業の道を選んだ。IT(情報技術)で弁護士を身近な存在にする夢を持つ。柔軟性と曲げない信念。この二律背反が市場を拓き始めた。

(写真:的野 弘路)

 「彼は物覚えが早かったですよ。客に出す料理のレシピを持って帰っては家で練習してね。すぐに作れるようになって時給を上げてくれって交渉してくるんです」

 辻堂駅からバスで20分ほどのところにひっそりとたたずむミュージックレストラン「三文オペラ」のマスター、最知英機は20年前にバイトしていた男子高校生を懐かしむ。いつもサッカー部での練習を終えた後、お店にやってきては、三文オペラとロゴの入ったTシャツに着替え、お酒を作ったり、料理を作ったりしていた。

 「今、彼は何をやっているんですか」と尋ねられ、「社長をやっています」と告げると、ビールのジョッキをぐいっと飲み、「そうですか、そうですか。彼は当時から地頭が良かった。ほかのアルバイトの中でもずばぬけていましたからね」と遠い目をしながらほほ笑んだ。

 元榮太一郎。弁護士比較サイト「弁護士ドットコム」を運営するオーセンスグループの社長だ。弁護士ドットコムは無料の法律相談ができるサイト。4800人を超える弁護士が登録し、日々、登録者から法律相談が寄せられる。弁護士は回答内容に応じて評価され、ランキング表示される。弁護士のクチコミサイトと言ってもいい。

 名古屋市で法律事務所を構える弁護士・比護望は2009年から弁護士ドットコムを積極的に利用している弁護士の1人。登録弁護士の中での評価ランキングは現在5位だが、一時はトップに君臨していた時期もある。

 「とにかく弁護士同士の競争が激しくなりましてね(笑)。利用者の質問に真摯に回答すれば評価につながる。ひいては顧客開拓にもつながるんです」と手応えを語る。

 司法制度改革により、弁護士は増員傾向にある。弁護士になれば一生安泰という古き良き時代も終焉を迎えつつある。従来、弁護士界はインターネットから距離の遠い世界だったが、近年、弁護士ドットコムに登録する弁護士が急増。意識改革は確実に進んでいる。

 弁護士で起業するケースは極めて稀だ。元榮はなぜ起業の道を歩み始めたのか。歩んできた半生をひもとくと、冷静沈着で社交的で、物静かに見える今の元榮がなかなか表に見せない、内なる原動力が見えてくる。

1人で生活した高校時代

 元榮の生まれは米シカゴからほど近いイリノイ州エバンストン市だ。父は半導体の技術士。母・照子は身ごもったまま夫の転勤先である米国に渡り、大雪の日に出産を迎えた。その後、3歳まで現地で育ち、神奈川県藤沢市に戻った。元榮が社長になった今でも続けているサッカーを始めたのは小学校4年生の時だ。負けん気が強かった元榮はすぐにのめり込んだ。

 すくすくと育った元榮だが、中学2年生の頃、両親と衝突した。父親のドイツ・デュッセルドルフへの転勤が決まった時だ。「絶対に僕は行かない」。小学校の頃から仲良かった友達とともにサッカー漬けの毎日を過ごしていた元榮は、心地よい環境から離れるのを拒んだ。

 とはいえまだ中学生だ。ドイツに無理にでも連れていけばきっと楽しくなる。そう楽観視していた母・照子だが、後に考えを改めることになる。元榮はドイツでの環境に決して馴染もうとはしなかった。「とにかく1人でもいいから日本に戻る」。頑ななまでに譲らなかった。

 結局、元榮は1人で帰国し、高校を受験。困った両親は親戚にお願いして辻堂の家に住んでもらうことにした。しかし、その親戚も1年で家を出てしまったため、元榮は高校時代の一時を1人で生活することになる。

 当時、都心に出かけては洋服や靴を買うのが趣味だった元榮。新聞配達、コンビニエンスストアなど、学校で禁止されているアルバイトをしながら小遣いを稼いだ。最も長く続いたアルバイトが先述の三文オペラだった。

 サッカー部ではレギュラーだ。だが、ある時、事件が起きた。自他ともに認める努力家で、リーダー格のチームメートが突然、元榮を皆のいる前で非難した。「こいつは努力をしない。そんな奴とみんな関わるんじゃない」。周囲の人間の何人かは元榮から距離を置いた。

 だが、元榮はどこ吹く風。言われたからといって努力するタイプではなかった。反発するように、スパイクではなくローファーを磨いて見せた。だが、チームメートの1人だった浜崎武洋は誰もいない校庭の端で元榮を見かけたことがある。「壁相手に黙々と同じキック練習を繰り返していた」。浜崎は笑いながらこう振り返る。「負けん気が人一倍強いくせにね。努力しているのを人に見られるのもまた人一倍格好悪いと思ってたみたいだ」。

 元榮の高校時代はサッカーとアルバイトの日々であっという間に過ぎ、進路について考える時期を迎えた。元榮はどうしてもサラリーマンにだけはなりたくないという思いが根強かった。会社都合によるドイツ転勤につき合わされたのが本当に嫌だったようだ。

 とりあえず大学受験は決めたが、高校3年生の11月まで高校サッカーを続けた。正真正銘、最後となる大会で敗北し、涙をのんだ元榮は残り3カ月しかない期間で受験勉強を開始。見事、慶応義塾大学法学部に合格した。

小学4年生から続けているサッカーでは一貫して左サイドバック。相手のエースを止めるのが快感だったという。今でも弁護士会サッカー部で汗を流す

ディスコで夜な夜な働く法学部生

 慶応に入って名物「体育会サッカー部」に入部した元榮に待っていたのは挫折だ。高校時代は当然のようにレギュラーだった元榮の居場所は「3軍」だった。あまりにもレベルが違いすぎた。それでも、何とか食らいつこうとしたものの、元榮は結局、部から去る決断をした。「井の中の蛙だった」。初の挫折に1人で泣いた。

 約10年、休みなく続けてきたサッカーで挫折を味わった元榮に待っていたのは、東京の夜の生活だった。

 元榮は六本木のディスコで働き始める。「暴力的な職場」。元榮がそう表現する世界は、暴走族上がりから家出少女までいろいろな客が夜な夜な集まっていた。元榮はオーダーを取ってはカウンターとホールを行き来する毎日を送った。

 当時、ディスコのアルバイトで先輩格だった増田貴広は元榮を奇異な目で見つめていた。「当時、慶応の学生がアルバイトする場所じゃなかった。こんなに育ちの良さそうな奴がやっていけるのかと思っていました」。次々と周りが辞めていく中、元榮は残った。理不尽な上下関係を強要される世界にすぐに溶け込んだ。しかも、「先輩に怖くて言えない子が多い中で、自分の意見をはっきり言う唯一の子だったんじゃないでしょうか」と増田は振り返る。元榮はなぜかかわいがられていた。

 ディスコでのアルバイトを辞めた元榮が次に始めたのは家庭教師センター「タートル先生」での営業の仕事だった。家庭教師の派遣を検討している家を回っては、契約を取ってくる仕事だ。出来高制で給料が変わるため、アルバイトの中には月70万円稼ぎ出す強者までいた。

 「営業成績がずばぬけて良かったわけではない」。当時、湘南支社の支店長だった山下純一は元榮を振り返る。しかし、“ある分野”で飛び抜けた数字をたたき出していたのも鮮明に覚えていた。クーリングオフ制度を用いた解約率の低さだ。元榮はほかのアルバイトがおざなりにしがちな約款の説明を一つひとつ丁寧に説明していた。その頃から弁護士を真剣に目指そうと考え始めていた。

 大学4年生の夏。元榮は司法試験の勉強を始めた。だが、大学受験を3カ月の勉強で乗り切っただけに、難関中の難関と呼ばれる司法試験をなめていた。12月に開催された択一試験の模擬試験を受けた結果を見て、自らの浅はかさを知る。「取ったこともない落第点に風呂場で泣いた」と元榮は言う。

 スイッチが入った。択一試験までの日々、寝る間を惜しんで机に向かったが、結果は無残。択一試験には見事合格した元榮だが、論文試験で落ちた。サッカーで挫折し、目指した司法試験でも挫折した。元榮はプライドをかなぐり捨て、修行僧のようにストイックな毎日を過ごし、翌年、見事司法試験に合格する。

 研修を終えた元榮はアンダーソン・毛利法律事務所(現アンダーソン・毛利・友常法律事務所)に入所した。当時、同期入所の1人だった弁護士・額田雄一郎は元榮の印象を「同期組の中でも愚直にやり続ける忍耐力ではピカイチだった」と語る。社交的で、話題も豊富、決してガリ勉タイプではなかったが、額田は目標に対していつも猪突猛進だった姿を今でも覚えているという。

 忙しく過ごしていた元榮に転機が訪れる。それは、楽天の買収案件に関わった時のことだ。「楽しい仕事だったが、より楽しいのは誰かと考えると、どう考えても三木谷浩史社長の方だ」。手伝うのではなく、向こう側に立ちたくなってしまった。何で起業しようか。いろいろとアイデアを考える日々が続いた。

 ある日、元榮は引っ越し業者を比較するウェブサイトを見つけた。当時、比較サイトは数多く登場していたため、気を留めるまでもないウェブサイトだ。しかし、元榮はこれが“製品”ではなく“サービス”を対象にしたものだということに気づく。弁護士はサービス業だ、であれば弁護士だって比較サイトが作れるはずだ。

 元榮は事務所を退職した。ただ、元榮にはアイデアこそあれど、サイトの作り方が分からない。大学時代のゼミの後輩だった酒井将に相談すると、ルームシェアをしていた大手通信会社研究員の阿部豊、さらにはインターネット企業大手で働いていた富士慶の4人が集まった。

立ちはだかる弁護士法72条の壁

 2005年4月6日、4人は恵比寿にあるベトナム料理店に初めて集まり、たちまち意気投合した。皆、本業は抱えている。平日の夜、週末を使いながらアイデアを形にする作業を進めていく日々が続いた。晴れて無事開設できたのは2005年8月31日のことだ。珍しさも相まって、メディアがこぞって弁護士ドットコムを取り上げた。順調にも見えた滑り出しだったが、頭の片隅に追いやっていた問題が顕在化してしまった。

 弁護士法72条。弁護士である元榮が知らぬわけもない。弁護士を有料で仲介すると刑事罰までついてくる規制だ。いくら弁護士が集まっても、いくら訪問者が集まっても、仲介によって収益を上げることはままならない。

 弁護士法の専門家に教えを請い、法律には抵触しない形で弁護士から料金を取るサービスを始めたつもりだが、メディアに露出したことで目立ってしまい、弁護士会から違法ではないかと問題視された。いつもは冷静沈着を装う元榮だが、完全にいらだちを覚えていた。

 元榮の小学校の頃からの親友で、サッカーもアルバイトもいつも一緒につるんでいた中出一誠はこの頃、元榮も含め大学の同級生4人で飲んだ時のことを今でも思い出す。中出の目の前で、大手広告代理店に就職した2人の同級生と元榮がケンカを始めたからだ。元榮は酔いも手伝い、しきりに「おまえら人生そんなんで満足してていいのかよ」と繰り返していた。

 喪失感はたまらなかった。2006年5月1日、泣く泣く元榮は弁護士ドットコムを無料化する。収入はウェブサイトに貼りつけたグーグルの広告だけ。月に数万円、アルバイト並みの収益しかもたらさなくなった。

 ただ、この挫折は結果的に見れば元榮に幸運をもたらした。元榮から「稼ぐ」意識が消え、「理念」が生まれた。法律で困っている人とインターネットを介してつながることの大切さを広く伝えていきたいと思うようになった。弁護士ドットコムそのものが敗北したわけじゃない。需要だってあった。赤字を垂れ流してでも続けていこうと覚悟を決めた元榮は、法律事務所と企業の顧問弁護士で得た収入を弁護士ドットコムにつぎ込み始めた。

 それからだ。弁護士ドットコムに少しずつ風が吹き始めたのは。年間で3000万円くらいの赤字を計上しつつ、それでも法律事務所の収入で補塡を続けるうちに、ついに弁護士法72条に抵触しない収益源を探し当てることに成功した。有料で弁護士に法律相談できるサービスを提供するのはダメだが、過去に他人が相談した案件のデータベースを閲覧することに課金するのは問題ない。当時、弁護士ドットコムが提供していた無料法律相談サービスには数万件のデータベースがたまっていた。

 これに加え、徐々に弁護士による広告出稿も増えてきた。弁護士ドットコムに登録する弁護士数も尻上がりに増えていく。「弁護士がインターネットの重要さに気づき始めたとしか思えない」。法曹界に訪れる変革の風を元榮は忍耐力でつかんだ。

 2012年7月、デジタルガレージは子会社のDGインキュベーションを通じ、オーセンスグループの第三者割当増資を引き受け約1億円を出資した。主導したDGインキュベーション取締役国内投資担当CIOの石丸文彦は7年前から元榮と交流があったが、ここ数年は自身が海外で働いていたこともあり、疎遠だった。だが、今年の1月、数年ぶりに元榮と再会した石丸は変化に気づいた。

 「最初に会った頃は俺は弁護士バッジがなくなってもいいんだと吹聴していました。しかし、今は明らかに違う。弁護士の立場だからこそ弁護士ドットコムをいいサービスにしていけるんだと本気で思っている。きっとどこかのタイミングで気づいたんでしょうね」

 元榮は弁護士になって初めて胸に着けた時以上に、今、バッジの重さを感じている。

=敬称略(原 隆)

元榮 太一郎(もとえ・たいちろう)
1975年   米イリノイ州生まれ
98年   慶応義塾大学法学部法律学科卒業
99年   司法試験合格
2001年   アンダーソン・毛利法律事務所(現アンダーソン・毛利・友常法律事務所)に入所
05年   独立して法律事務所オーセンスを設立。同年オーセンスグループを設立し、法律相談ポータル(玄関)サイト「弁護士ドットコム」の運営を開始
12年   4月 弁護士ドットコムの登録弁護士数が4000人を突破
7月 DGインキュベーションがオーセンスグループに約1億円出資
日経ビジネス2012年12月3日号 126~129ページより目次