「あなた自身がキャッシュカード」。岐阜県に本店を置く大垣共立銀行がこんな触れ込みで今年9月末に導入したのは、手のひらを使った生体認証システムだけで利用できるATMだ。通帳やキャッシュカードがなくても現金の出入金ができるサービスが国内で初めて登場した。

 開発や導入にかかった費用は約6億円。現在までに20店舗に導入。5000人を超える利用者が登録を済ませた。2013年には146店舗に広げる構想だ。

事前に登録を済ませば、キャッシュカードや通帳がなくてもATMでの取引が可能になった

 実は、このサービスは大垣共立銀行が経験したある「失敗」が生んだものだ。

 昨年3月、東日本大震災で津波の被害を受けた三陸の地に、大垣共立銀行は1台のバスを走らせた。「レスキュー号」と名づけられた移動式の店舗だ。被災地から遠く離れた自分たちにできることは何かを考え、いち早く現場に向かわせたのだ。

 被災者が生活を続けていくためには現金が必要になる。だが、被災地の金融機関は壊滅的な被害を受けており、引き出すことができない。有事に備えて衛星回線を備えたレスキュー号を派遣すれば、金融機関を結ぶ全国銀行資金決済ネットワーク(全銀ネット)を活用して被災者がお金を引き出せるようになる。

 だが、被災地の惨状はこんな想定を根底から覆した。レスキュー号は現地ではほとんど使いものにならなかった。

 多くの被災者は避難の際に通帳やカードを持ち出す余裕はなく、自宅とともに津波で流出してしまっていた。通帳やカードがなくても現金を引き出せる仕組みはできないか。土屋嶢頭取の号令で、新しい仕組み作りに着手した。

 「開発費は予算に組まれていなかったが、トップダウンで開発が始まった」と増田明久システム部長は明かす。生体認証の技術を持つ富士通などと議論を重ね、開発開始から約1年で実用化にこぎ着けた。

衛星回線を活用した移動式店舗。災害時や過疎地などでの使用を想定する

 大垣共立銀行はこれまでも様々なサービスを他行に先駆けて導入してきた。衛星通信を取りつけて利用できる移動可能店舗を業界でいち早く導入し、過疎地の顧客にも利用しやすい体制を作った。

 なぜ、多額の開発費用を注ぎ込んで、新しいサービスを次々と導入するのか。その答えは、土屋頭取が行員に対してよく口にする言葉にある。

 「金融業からサービス業へ」

 お金を貸すだけでなく、顧客が何を必要としているかを突き詰めて考え、いち早く行動する。それが大垣共立銀行のDNAとなって、末端の行員にまで浸透している。

 手のひらによる生体認証システムを開発したきっかけも、そんな顧客目線の延長だった。絶え間ないイノベーションで可能性を切り開く姿は、顧客に寄り添う金融機関の原点と重なる。

日経ビジネス2012年11月26日号 30ページより

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