人事のプロたちが集う世界最大の非営利団体・ASTD(米国人材開発機構)。9000人以上集まった国際会議で話題になったのが「改革と育成の一体化」だった。一部のリーダーに頼るのではなく、改革者を輩出する「風土づくり」に関心が集まった。

永禮 弘之(ながれ・ひろゆき)氏
エレクセ・パートナ-ズ代表取締役、ASTD日本支部理事
化学会社の経営企画、外資系コンサルティング会社のコンサルタント、衛星放送会社の経営企画部長・事業開発部長などを経て現職。幅広い業界の企業に対し1万以上の経営幹部、若手リーダーの育成を支援。

 『ビジョナリー・カンパニー』の著者ジム・コリンズ氏は登壇し、1911年に南極点に初めて到達した2人の冒険家のエピソードを紹介した。

 「1つのチームは無事帰還し、もう1つのチームは帰還できなかった。生死を分けたのはチームの行動スタイル。天候にかかわらず、着実に進行することをルールとした部隊が帰還。リーダーだけの判断でその日の行動を決めた部隊が失敗したのだ」。イノベーションもそう。一部のリーダーだけに頼るだけでは限界がある――。

 人材開発・組織開発の世界最大規模の組織、米国人材開発機構(ASTD)。会員数は4万人超。2012年の会議には世界76カ国9000人が集まった。

 ASTD国際会議では、毎年メーンテーマが変わる。今年のフォーカスはイノベーション。国際会議の常連、i4cpのCEO(最高経営責任者)、ケビン・オークス氏(ASTD日本支部顧問)は今回の会議で、組織イノベーションに関する最新の調査結果を発表した。


 回答企業(世界各国の40以上の業種の1194社)を、企業業績を測る複合指標で、高業績企業(全体の40%)、標準企業(45%)、低業績企業(15%)に分け、業績によるイノベーションの取り組みの違いを分析している。

 予想通り、イノベーションへの取り組み度合いと企業業績は、互いに関係がある。イノベーションを重んじる企業が、高業績では87%であるのに対し、低業績では68%と、1.3倍の差がある。そして、イノベーションで高い成果を上げている企業は、高業績では40%に上るのに対し、低業績では8%に過ぎない。今回の調査で分かったのは、高業績企業の特長は、戦略、組織文化、経営層のリーダーシップ、人材開発、組織運営といったあらゆる面で、明確な意思を持ってイノベーションを推進していることだ。

 組織全体でイノベーションし続けるには、イノベーションを前面に打ち出す戦略を示し、それを実現するため、経営トップがコミットメントを示して、組織文化の醸成とリーダーの育成に注力することが大切だ。正直、調査結果自体には意外感はない。しかし、当たり前のことを実践できないことに、日本企業の苦悩がある。

ASTDとはAmerican Society for Training and Developmentの略。米国人材開発機構。人材開発・組織開発に関する世界最大の非営利団体。設立は1944年。米国バージニア州に本部があり、世界100カ国4万人超の会員を持つ。2012年の会議は5月に開催

日本低迷は社員のやる気のなさ?

 今年のASTD国際会議で、日本企業の組織の活力が低く、それが業績低迷を招いていることを客観的に示す調査があった。KeneXa High Performance Institute(ケネクサ)という人事コンサルティング会社は、社員のエンゲージメント(自身の仕事と組織に誇りと満足感を持ち、責任感を持って現在の仕事を続け、組織を支持すること)指数を、世界各国を対象に毎年調査している。

 2011年の調査(回答者数は、世界29カ国のフルタイム社員3万1000人以上)で、エンゲージメント指数は、全体で前年の60%から55%に5%下がった。加えて、すべての主要国、すべての産業、すべての職種で、前年に比べて低下している。

 その中でも、日本は、31%で調査対象国中最低。日本企業の社員の7割は、自分の仕事や職場に誇りや愛着、使命感を感じず、受け身のやらされ感で日々仕事をしているようだ。

 さらに、同社は、社員のエンゲージメント、組織のリーダーシップ力、企業業績の三者の関係を統計的に分析している。同社の分析によると、組織のリーダーシップ力が社員のエンゲージメントに影響を与え、社員のエンゲージメントの高さが企業業績を左右するということが、統計的に立証された。

 同社の調査では、日本のエンゲージメント指数は、近年40%以下で最下位が定席になっている。日本経済と日本企業の低迷が長引くミクロ要因には、組織のリーダーシップ力と社員のエンゲージメントの低さが関係しているのは間違いない。

 ケネクサの調査によると、企業業績に影響を与える社員のエンゲージメントを高める要因は、目指す未来の姿に対して自信を持って示す経営者、部下を尊重し信頼できる上司、社員にとっての成長機会、社会善を重んじる組織文化。要は、社員が自分の成長と将来を託すことができるリーダーと組織であることが、社員の力を引き出すカギになる。もちろん、言うのは簡単だが、実際は大変。世界中の企業が地道な作業に取り組んでいるのだ。

世界最低、日本人のやる気
企業業績によるイノベーションの取り組み格差


 技術革新のスピードが速く、競争力を保つのが難しい通信機器業界で、創業以来継続して成長を続け、業績好調な米国企業・クアルコムでは「組織全体でイノベーションを絶やさない取り組み」をしている。

 クアルコムは、携帯電話向け半導体の大手企業。最新のスマートフォン向け半導体の供給をほぼ独占している。過去ASTDから人材開発・組織開発の先進企業として表彰され、同社の人材開発責任者は、ASTD本部の幹部も兼任している。

 クアルコムでは、経営トップから一般社員までイノベーションの尊重が根づき、組織の文化となっている。イノベーションを加速するため、企業文化、組織運営、人材開発をカバーした様々な仕掛けを設けている。

 代表的なのは、「クアルコム52週間」(年間を通じて毎週クアルコムのイノベーション進化のストーリーを全社員にメールで送付する)、「トレードショー」(間接部門も含む全部門で自部門の業務や近況を他部門の社員に共有、自慢する展示会を開く。オンラインでも公開)、「QVF(クアルコムベンチャーフェスタ)」というブートキャンプ(一定の投資原資を設け、3カ月間の集中プロジェクトを通じてアイデアの事業化を実現する制度)だ。

 クアルコムの人材開発責任者によると、組織でイノベーションを促すカギは【1】イノベーティブな人材の存在【2】事業化・起業の仕組み【3】リスクテークを促す文化【4】失敗を称える文化【5】エンゲージメント向上への注力の5つだという。特に失敗への恐怖や不安を拭ってリスクテークを促すことが、最も大切だと考えられている。

 また、優秀な少数の個人だけに頼るのではなく、組織全体で普通の社員たちがイノベーションを起こし続けるため、情報共有にも力を入れている。前述の仕掛けを通じて広く情報を共有することで、各人がバラバラに持っていた情報や知恵がつながり、イノベーションとして結実する。

 イノベーションを促す様々な仕掛けがあるが、その大半は大掛かりなものではなく、地道な手触り感があるものが多い。一人ひとりの社員に日々小さなリスクテークを促すことが、イノベーションを組織文化として根づかせる要になると考えているからだろう。

 クアルコムの事例で分かるのは、イノベーションを促すには、自律した人を尊重する組織文化が根づいていることが重要ということだ。自分で考え判断し行動を起こす自律した人を組織内で増やすには、自分の判断や行動の結果が失敗に終わることへの不安や恐れをどれだけ減らすことができるかにかかっている。クアルコムでは、失敗を受け入れリスクを取り続ける組織文化を様々な仕掛けを通じて根づかせ、組織全体でイノベーションを促している。ドラッカーが、前述の自著の中で、「イノベーションを異質なものとして推進していたのでは何も起こらない。日常的な仕事の1つとする必要がある」と、30年近く前に喝破していたが、クアルコムはイノベーションの常識を実践している。


 クアルコムと似た取り組みをしている企業は日本にも出てきている。例えば、大手消費財メーカー、コクヨS&Tがそうだ。コクヨS&Tは、文具・オフィス家具事業を核とするコクヨグループの主力企業。成熟市場の文具業界で、「東大生ノート」「ドットライナー(カセット方式のテープのり)」「ハリナックス(針を使わないホチキス)」といったヒット商品を出している。

 ASTDが今注力するテーマには組織開発を通じたイノベーションに加え「グローバル人材開発」がある。コクヨS&Tもイノベーションや海外展開を通じた人材育成に取り組んでいる。

 同社は「DeSign Your Next! (次の感動をデザインする)」という企業ビジョンを掲げている。ビジョンに掲げるだけでなく、社長以下幹部の大半が集まって数日間の合宿を行い、イノベーションとリーダーシップについて、具体的なテーマを設けて徹底的に議論する。今年も、全役員を含めた幹部100人以上が2日間缶詰めになり、「イノベーションを通じた成長戦略」「グローバル化における意識変革」といった5つのテーマについて、目指す姿と現状の課題を話し合った。

幹部100人研修で改革テーマを議論、そのまま実践(コクヨS&T)

 合宿で提起された方針と課題は、そのまま現場に落とし込まれる。合宿の次の週には、合宿に参加しなかった社員にも、合宿で何が話し合われ、自分たちがこれから1年間何に優先して取り組めばいいのかを共有。それを受けて、一人ひとりが、何に優先して取り組むかを考えることが求められる。

 人事部門はミッションとして、イノベーションを促す組織文化を作り、それを支える「チェンジエージェント(変革リーダー)」を育てることを掲げている。人材育成投資の大半は、社員にスキルや知識をバラバラに習得させるのではなく、組織全体のリーダーシップ開発に投じられる。

 イノベーションを促すため、他社との協働や連携といったいわゆる「オープン・イノベーション」も実践している。実際、「東大生ノート」をはじめ、他社と共同開発したヒット商品を、ここ数年世に送り出している。これらのプロジェクト自身が実践的な研修の意味も込められており、実際に育成されているのが面白い。海外展開も同様。昨年、インドや中国で数十億円規模の企業買収をし、そのまま現地企業の経営幹部候補、マネジャーの育成にも注力している。


 組織のリーダーシップ力と社員のエンゲージメントを高めるには、企業全体の組織運営と人材開発をつかさどる人事部門が重要な役割を果たす。人材開発機能を戦略的に高める先進事例として、韓国のサムスングループの取り組みを紹介しよう。

 ASTD国際会議では、韓国が、参加者数だけでなく、発表するセッションの内容や数でも日本を凌駕している。サムスンと現代の両財閥グループは、ここ数年ASTD国際会議の常連だ。韓国企業の成功の秘訣を知ろうと、世界各国から多くの参加者を集めており、日韓の勢いの違いを思い知らされる。

 特にサムスンは、毎年ASTD国際会議に数十人単位で社員を送り込み、世界各国の最先端の組織運営や人材開発の取り組みを研究、自社で即活用している。今年はソウル国立大学との共同研究による「戦略的人材開発」モデルづくりの取り組みを明らかにした。

 「戦略的人材開発」とは、従来の人材開発が社員個人の知識・スキル・行動に焦点を当てていたのに対し、社員個人の能力開発にとどまらない。組織の成果につながるよう、組織全体の運営の見直しや組織文化の醸成に力点が置かれる。人材開発部門が従来に比べ複雑で広い範囲をカバーするため、サムスンは、人材開発部門の役割の見直しを進めている。

サムスンの「人力開発院」。“組織に活力を与える人”に注力

 その一環として、これまで世界各国で唱えられてきた人材開発モデルを分析、俯瞰したうえで、グローバルで通用する人材開発モデルを築こうとしているのだ。サムスンの人材開発モデルは、インフラから学習文化に至る9つの分野で95の測定指標を設け、人材開発部門の戦略性を客観的に明示する。今後、サムスンは、ソウル国立大学と共同で開発した戦略的人材開発モデルとその診断システムを韓国内に広め、2015年以後をメドに、世界標準モデルにすることを目指している。

 日本では、サムスンというと、高い競争力を支えるオーナーのトップダウン経営とモーレツ社員というイメージが強いのではないか。だがその一方で、大学との共同研究を通じて、組織と社員の活力を高めるための人材開発の在り方を地道に模索している。そして、その成果を自社にとどまらず、韓国内や世界中に広めようとしている。目指しているのは、リーダーシップ教育で名高いゼネラル・エレクトリック(GE)なのだろう。

 組織運営と企業文化をつかさどる人事部門の野望と視座の高さを眼前にして、韓国企業と日本企業の組織力の格差が今後ますます広がるのではないかという心配が頭をよぎった。日本企業は、人材育成というと、「人間力」といった精神論を掲げたり、コーチングやファシリテーションといった個別のスキル開発に力を入れたりする。

 一方で、サムスンは企業ビジョンを実現する手段として人材開発をとらえ、体系的に役割を定めるとともに、合理的に成果を測ることができるサイエンスに高めようと努めている。

内向きのリスク回避文化

 日本企業が長引く停滞から脱して、再びイノベーションを牽引し高業績を謳歌する日は来るのだろうか。

 少数の異端児の天才に頼るのではなく、前述のクアルコムのように、組織全体で普通の人たちの力を引き出してイノベーションを起こすには、失敗を恐れず自ら判断と行動をする自律と自由を重んじる組織文化が欠かせない。

 知人の外国人から、「なぜ、日本の大企業は会議に大勢の人を送り込むにもかかわらず、発言するのは年配の人に限られ、その場で何も決めずに日本に戻っていくのか」という質問を受けたことがあった。

 日本の会議風景は、法令順守という大義名分を隠れ蓑にして、自社内の上下関係を最優先し、目立つことを避け、判断は上に仰ぐという内向きで、失敗を恐れる意識と行動を示している。グローバルに事業展開していく時に、課題の先送り、内向きの文化は、優秀な経営者や管理職を採用、活用するに当たり障害になるだろう。

 円高を背景に割安な投資額で海外企業を買収しても、日本企業の組織運営のやり方と組織文化を買収した会社に持ち込んだら、優秀な人材は逃げ、現地企業は立ち行かなくなる。

 大企業で組織全体の運営や文化を変えていこうとすれば、人事部門が変革を主導せざるを得ない。サムスンが目指すように、人事部門の位置づけは、人事の専門家から、組織全体の運営と文化を変革する先導役に変わることが求められている。

日経ビジネス2012年11月19日号 100~103ページより目次