安さで中国を凌ぎ“世界の縫製工場”に
各地域までのおおよその輸送時間と主なブランド(写真:竹井 俊晴)

 バングラデシュの首都ダッカ。道路を挟むように、1階に商店を連ねた雑居ビルがひしめき、舗装が悪い道路をクルマとリキシャが埋め尽くす。アジアの新興国によくある街角の風景。それが、夕方の午後5時に一変した。

 赤、黄、オレンジ、ピンク、紫…。色とりどりの布で髪を隠した女性が突如として街に溢れる。歩道は一気に、身動きが取れないほどごった返した。雑居ビルから出てきた女性たちは、アパレルの工場で働く従業員だ。

 女性工員の波に逆行して雑居ビルの階段を上ると、突然、視野が開けた。

ダッカ市内の雑居ビル内にある縫製工場。ビルの3フロアに約600人の工員が働く(写真:井口 和歌子)

雑居ビルの1フロアにある工場

 目の前に数百台のミシンが並ぶ。ずらりと並んだ作業台では、先ほどまで約600人の工員たちが黙々と作業に励んでいた。ある列で袖を取りつけ、別の列で襟を縫う。1ライン約60人の流れ作業が終着点に着くと、1枚のシャツが完成する。

 タグには「ZARA」の文字――。この雑居ビルの1フロアは、世界トップのファストファッションブランド「ザラ」のシャツを作る縫製工場だった。

 「我々は世界中のシャツを作っている。日本向け以外にも、欧米やアジア、あらゆる国のシャツがこのビルで作られている」と工場の経営者は胸を張る。

 バングラデシュの面積は約14万7000km2。北海道の約1.9倍という小さな国土に、約1億4800万人が住む世界最貧国の1つだ。この国が今、「世界の縫製工場」としてファッション業界で存在感を高めている。

 衣料品の輸出量で、バングラデシュは中国に次ぐ世界第2位。数量は中国より1ケタ少ないが、過去20年の伸び率は24倍で中国を上回る。輸出総量に占める衣料品の割合は実に82%だ。

最低賃金は中国の3分の1以下

最低賃金は上海の5分の1
主要都市法定最低賃金(月間)
出所:日本貿易振興機構(JETRO) ダッカ事務所(写真:竹井 俊晴)

 この国の繊維産業の歴史は決して古くはない。欧米企業がこの地で衣料品の生産に乗り出したのは1980年代初頭のこと。その後に韓国勢、そして中国勢が続いた。中国の賃金が高騰した2000年代以降は日系企業の進出も増えた。2008年からは「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングもこの地での生産を始めている。

 この国の工場で見かけない有名ブランドを探す方が難しいくらいで、米ギャップやイタリアのベネトン、日本のしまむらに始まり、米ウォルマート・ストアーズや英マークス・アンド・スペンサー(M&S)、日本のイオンやイトーヨーカ堂など総合スーパーの衣料品ブランドまで多岐にわたる。中でも、ひときわ目立つのが、スペインのザラやスウェーデンのH&M(ヘネス・アンド・マウリッツ)などのファストファッションだ。

 現地の報道などによると、特にH&Mは、衣料品の約3割をこの国から調達している、最大のバイヤーだという。同社のバングラデシュからの調達額は、今後5年間で2倍に増えるとも報じられている。

 ファストファッションとは、衣料品を短期間で製造し、安く提供する業態を指す。既存のアパレルブランドは何年も前から素材を準備し、商品が出回る1年前には春夏、秋冬の商品を発表して流行を作る。だがファストファッションは、消費者が求めるデザインや流行を短時間で商品に反映し、手頃な価格で店頭に出す。日本にもザラやH&Mなどが次々と上陸し、多くの消費者の支持を集めている。

 1961年から同国に駐在所を構える伊藤忠商事の鈴木琢也・ダッカ事務所長は、バングラデシュの魅力を「何よりもコストの安さ」と説明する。最低賃金は中国の3分の1以下で、電気などのインフラコストも低い。欧州連合(EU)や日本が最貧国救済措置として導入する特恵関税(無税)のメリットも大きい。

 バングラデシュ国内には5000~6000の縫製工場が建ち、就労人口は周辺産業も含めると700万~800万人に達する。雑居ビルの1フロアから、数万人の工員を抱える企業グループまで、あらゆる縫製工場で私たちが普段着ている服が生み出されている。

 ザラ、H&M、ギャップ、M&S…。ダッカ郊外に立つ巨大縫製工場の会議室には、名だたる低価格衣料品ブランドのシャツが飾られていた。「これらはすべて我々が製造した」。現地資本の衣料品製造大手AKHグループの創業者の1人、アブル・カシム氏はサンプルの前で笑顔を見せた。

道路にクルマとリキシャが溢れ、交通渋滞が社会問題になっている。左奥のような雑居ビルの高層階に工場が入る(左)。ダッカ郊外はのどか(右)(切り込み写真:井口 和歌子、衣服写真:竹井 俊晴)

圧倒的な人海戦術という強み

納品された生地も工員が手作業で確認する(左)。バングラデシュ国内には綿花などの産地がなく、糸や生地の多くは中国などからの輸入に頼る(右)(切り込み写真:井口 和歌子、衣服写真:竹井 俊晴)
手作業で布を伸ばす(左)。工員は若い。児童労働を避けるための年齢確認では、出生証明のない人のために歯を調べて年齢を推測することも(右)(切り込み写真:井口 和歌子、衣服写真:竹井 俊晴)

 創業は1997年。香港のアパレル商社、利豊(リー&フォン)を最初の顧客とし、15年足らずで急速に成長を遂げた。今では、シャツやニットの縫製から、ボタンなどの周辺部品の製造、衣料品の物流までを幅広く手がけている。生産量はシャツとニット製品、ジャケットを合わせると、月産約400万枚にも上る。

 8階建ての近代的なビルに入ると、広大なフロアには所狭しと作業台が並んでいる。裁断フロアでは、工員が十数人がかりで15mの作業台に生地を伸ばし、幾重にも重ねて生地を裁っていた。中国では延反機や裁断機で作業を自動化する工場も増えているが、ここでは今も人手がほとんど。「機械を入れるより工員を増やす方が圧倒的にコストは安い」(カシム氏)ためだ。

 裁断後は、1台のミシンを2~3人の工員が囲む。1人がミシンで生地を縫えば、もう1人は縫い仕事の準備を、残る1人は縫製後の糸処理を済ませる。アイロンをかける者、ハンガーに吊るす者、値札をつける者…。作業工程は極めて細かく分かれ、それぞれが黙々と単純作業を繰り返している。

 圧倒的な人海戦術で安く、大量に製品を作る点に、バングラデシュの繊維産業の強みがある。法定最低賃金は月額約3000タカ(約3000円)。シャツやズボンの加工賃は1着当たり1.5ドル(約120円)程度で、ベトナムや中国奥地の工場よりも安い。欧米や日本などへの輸送には1カ月前後を要するために、これまでは流行にとらわれないベーシックな衣料品の生産で力をつけてきた。そして、最近ではデザイナーを自ら抱えてファッション性の高い服を手がける工場も増えている。

 「バングラデシュの次はバングラデシュ」と各国のファッション関係者は口々に語る。「繊維産業の集積度と人口の多さを考えれば、バングラデシュに勝る安さを実現できる国は当面、現れない」と日本貿易振興機構ダッカ事務所の鈴木隆史所長は説明する。

 最貧国が支える、きらびやかなファストファッションの世界。それは、グローバル化が進んだ経済の一断面と言える。バングラデシュの雑居ビルで作られたシャツは、どのようにして我々の手元に届くのか。ファストファッションでトップを走るブランド、ザラの供給網に分け入った。

ヤスリやタワシでこすったり、わざとシワを作ったりして、デニム生地のダメージ加工を施す工員たち(左、下)。版画の要領で、工員が1枚ずつ色をつけて、Tシャツにプリント加工する(右)(切り込み写真:井口 和歌子、衣服写真:竹井 俊晴)
検品の様子。日本向けの商品は原則、全量を検品するが、欧米向けは抜き取り検品が一般的(右)。工員向けの託児所が備わる工場もある(左)(切り込み写真:井口 和歌子、衣服写真:竹井 俊晴)
日経ビジネス2012年11月5日号 25~29ページより

この記事はシリーズ「特集 ファストファッション」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。