まずは自分が好きでなければ、どんな商品だって売ることはできない。強い思い入れがあればこそ、時には侃々諤々の議論を戦わせる。自社の商品やブランドに対する情熱で強く結ばれた組織を紹介しよう。

 幅5m以上はあろうかという大きな鉄板を挟んで、講師を務めるオタフクソースの社員と、真剣な面持ちの生徒らが向かい合う。

 「厚い鉄板は温度が下がりにくく、一度に大量に焼くのに向きますが、その分火力も必要になります」。講師の言葉を1つも書き漏らすまいと、生徒らはせっせとペンを走らせる。

 オタフクが実施している「開業支援研修」での一幕だ。お好み焼きの作り方、鉄板をはじめとする店舗設備、価格設定など、お好み焼き店を開こうとする人に様々な面で助言する。これまでに約4500人が受講し、そのうち2~3割が実際にお好み焼き店を開業した。同社は言わば総本家として、全国に数多くの“門下生”を抱えている。

おいしいお好み焼きを作ろうとする企業や個人が、オタフクソースの門を叩く(写真:大槻 純一)

 研修を管轄するのはその名も「お好み焼課」。業務内容は「広島風お好み焼きを広めること」で、18人のメンバーはメーカー社員でありながら、ソースなど同社の調味料の製造や販売に直接関わる仕事はしない。日々考えるのは、「どうすれば人々がもっとお好み焼きを食べるようになるか」だ。

 一般家庭向けの「お好み焼教室」も、主な活動の1つ。薄い生地の上に大量のキャベツや豚肉などの具を載せ、焼きそばなどと合わせる広島風のお好み焼きは、一般には作るのが難しいと思われがち。しかし、実際には家庭にある電気プレートなどでも手軽に作れることを伝えるのが目的だ。

 開業支援研修の場合、受講者が支払う費用は3日間で3万円。一般向け教室の場合は700円から。いずれも人件費などのコストを考えれば事業としては完全に赤字だ。だが、同社の佐々木茂喜社長は意に介さない。「そもそもお好み焼きを食べる機会がなければ、ソースは売れない」。

 お好み焼課は1998年に発足した。開業支援、小学校や幼稚園を訪問して開く食育授業など、多彩な取り組みがあるが、どれも一朝一夕にその効果が業績に跳ね返るものではない。同課の活動の効果は、数値では測りにくい。

土壌を作れば、必ず芽が出る

 ただ、成果を肌で感じることはある。お好み焼課を束ねる松本重訓氏は「最近やっと、関東でも『家庭での作り方』を質問されるようになった」と話す。

 どんな料理でも、食文化として根づいていない地域では、一般的に家庭よりも外食で口にする機会が多いものだ。それが一定以上の頻度になると、人は「家でも食べたい」と思うようになる。関東地方で「家での作り方」を尋ねる人が増えたというのは、「いい土壌を作れば、必ず芽が出るという証拠だ」(松本氏)。

 オタフクは事業範囲をお好み焼きに絞り、その専門性をひたすらに追求することによって成長する道を選んできだ。2008年には6億円を投じて広島市の本社そばに「Wood Eggお好み焼館」という施設まで造った。お好み焼きを極めんとするその姿勢に、部外者は「そこまでするのか」と驚く。

 生産する約2000品目の製品のうち、約1300品目が各取引先の要望に応じて味つけなどを変えた「特注品」。多品種少量の生産は効率的ではないが、お好み焼きをおいしく食べてもらうためなら、労を惜しまない。

 効率を追求する現代の企業経営で、効果が測りにくい投資は敬遠されがちだ。だが、食文化の伝道者を自任する佐々木社長は、そこで立ち止まる。

 「文化がなくても人は死ぬわけではない。だが、非効率を理由に文化を切り捨てたなら、そこに何が残るのか」

 食文化という名の無形財産を広めようとするが故に、オタフクは目に見える結果を必要以上に追おうとはしない。その代わり、どの社員も自分が誰よりもお好み焼きを愛していると自負し、そのおいしさを日本全国や世界へ伝えたいと願っている。そんな熱血集団が今日もまた、広島風お好み焼きのファンを開拓している。


 「かけがえのないパートナーだ。互いに競い合い、良いクルマを出していく」。今年3月、トヨタ自動車の豊田章男社長は富士重工業の群馬製作所で開いた小型スポーツ車のラインオフ(生産開始)式典で挨拶した。トヨタと富士重が4年以上かけて共同開発した「トヨタ86」と「スバルBRZ」。若者のクルマ離れを食い止める切り札で、両社の資本提携を象徴するクルマだ。

 開発は困難を極めた。企画とデザインはトヨタ、開発と製造、購買は富士重、販売は両社という前例のないプロジェクトだったことに加え、両社は企業規模や組織体制、開発時に使う用語や評価基準、文化まで異なる。

「スバルBRZ」を囲む富士重工業の開発陣(写真:宮原 一郎)

 富士重側でプロジェクトを統括した増田年男・執行役員は、「トヨタの組織や文化を理解しながら、スバルらしい開発をするにはどうしたらよいかを必死で考えた」と振り返る。増田氏は現場に何度となく、こんな話をした。「受託開発ではなく共同開発だ。互角なのだから臆するな。言うことを聞くな。できないことはノーと言え」。当初は“黒船襲来”というような表情をしていた開発陣だが、「トヨタに認められるクルマを作ろう」と奮起したという。

 決めなければならない項目は膨大だ。両社で分科会を作り、専門部署同士で議論し課題を1つずつ詰めていった。公式な会議だけで数千回。時間を見つけては担当者同士で議論を重ねた。

 新型車の開発は安全性や性能を評価して、自社の基準を満たしているかを確認しながら進める。ところが評価基準はバラバラ。ハンドリング性能1つ取っても、評価項目から試験・判断方法まで異なる。そこで、ベンチマークとなる他社のクルマに両社の現場担当者が乗り、評価の感覚をすり合わせていった。スバル技術本部車両研究実験総括部の綿引洋・主幹兼主査は、「1000近くの評価項目について、こうしたすり合わせを重ねていった」と明かす。

「5時間後に行きます」を繰り返す

 トヨタの拠点がある愛知県と富士重の開発陣がいる群馬県はクルマで5時間の距離だ。それでも、できる限り顔を合わせてコミュニケーションを取ることにこだわった。少しでもつまずいたら「5時間後に行きます」と即、向かう。テレビ会議では意思が伝わらず、逆に時間がかかる。増田氏自身、1週間に数回、トヨタへ通う生活を続けた。自社で新型車を開発するのに比べ、何倍もの手間と時間がかかったが、それでも両社が得た果実は大きかった。

トヨタの多田哲哉チーフエンジニアは「富士重から匠の技を学ぼうとした」と話す(写真:宮原 一郎)

 トヨタ側のチーフエンジニアを務めた多田哲哉氏は、「トヨタは富士重の匠の技を、富士重はトヨタの儲かるクルマ作りを学ぼうとした」と振り返る。環境性能を満たすために、富士重の水平対向エンジンにトヨタの直噴技術を搭載した。極めて困難な課題だったが、富士重の技術陣は必死になって短期間で達成した。多田氏は「スバルの技術はすごい」と舌を巻いたという。

 プロジェクト開始から2年が経った頃から、少しずつ「結束力が強まっていった」(多田氏)。会社を超えた人と人との信頼関係が醸成されていったという。2社を中心に部品を供給するサプライヤーまで一体感が広がった。

 組織の壁、文化のギャップがあってもクルマ作りが面白くてたまらないのは両社とも同じ。技術者魂のぶつかり合いが生んだクルマはスポーツ車の常識を超える販売実績を積み重ねている。


 「スーパーで買い物をする時も熊本県産を探してしまう。本当においしいものが多い」。くまモンの大ファンで、“追っかけ”を自負する埼玉県在住の鈴木信子さんは目を輝かせる。

 くまモンは、2011年3月の九州新幹線全線開通に向けて熊本県が作ったキャラクター。方言の「熊本者(くまもともん)」から名づけた。関西から人気が広がり、今や全国区。2011年11月の「ゆるキャラグランプリ2011」で優勝し、人気は不動のものとなった。関連商品は数万アイテムに及び、その経済効果だけで数百億円に上る勢いだ。

プロモーションはド素人だった県の職員たちがくまモンを全国区へ押し上げた(写真:木寺 一路)

 くまモンの生みの親は放送作家の小山薫堂氏。博多と鹿児島を結ぶ九州新幹線の開通で、熊本が素通りされるのではないかと危惧した熊本県は、一連のキャンペーンのアドバイザーを地元天草出身の小山氏に依頼した。くまモンは小山氏の友人であったデザイナーの水野学氏が描いたものだ。

 誕生時は「やんちゃな男の子」という設定しかなかったくまモンにストーリーを与え、全国区に押し上げたのは、熊本県くまもとブランド推進課の職員たちだ。プロモーションはド素人だった彼らが試行錯誤で手がけた戦略がピタリとはまり、今のくまモンがある。

「迷ったらゴー」の県職員チーム

 契機は2010年に仕掛けた関西戦略。新幹線の開通で、熊本と新大阪間の所要時間は3時間を切る。そこで、まずは関西に観光客誘致の照準を合わせた。「くまモンを探せ大作戦!」と名づけたプロモーション活動では、蒲島郁夫・熊本県知事から名刺1万枚を配るミッションを課せられたくまモンが大阪で逃げ出したという設定で、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を駆使し、「くまモンを探して」と呼びかけた。それが話題を呼び、新聞やテレビに引っ張りだこになった。

 大阪戦略を企画したブランド推進課の職員は当初、「こんなこと公務員がやっていいのかな」と戸惑っていた。だが、話を聞いた蒲島知事は「面白い」と即決。知事はくまモンを全面的に支援し、くまモンと吉本新喜劇にも登壇してお約束の「ズッコケ」まで披露した。

 ブランド推進課は続いて、くまモンと企業のタイアップを模索し始めた。知事からくまモンに「熊本県営業部長」の辞令を交付してもらい、営業活動を開始。UHA味覚糖が熊本特産の晩白柚(ばんぺいゆ)を使ったお菓子を開発し、パッケージにくまモンを使ったのをきっかけに、一気にタイアップ商品が増えた。

 ポイントはくまモンの使用料を無料にしたこと。ブランド推進課が熊本県のブランド向上につながると判断すれば無料で使える。2012年9月末で認可は6500件を超えた。

 ブランド推進課の職員は、「県庁で一番面白い職場」と口を揃える。認可だけでも毎月400件を超え、申請件数や相談は数千件に上る。膨大な量の審査は業務のごく一部だ。残業も多いというが、それでも一番面白い職場と言い切れるのは公務員の枠にとらわれない面白さがあるから。くまモン戦略を取り仕切る同課ブランド推進班の若杉久生主幹は「迷ったらゴーです」と話す。笑い声が絶えない職場で、くまモンはすくすくと成長している。


 カゴメと言えばトマト。トマトジュースやトマトケチャップで国内最大のシェアを誇り、約1万あるトマトの品種のうち、7500種の種を保有する。

 社員の“トマト愛”は相当なものだ。トマトについて問うと、「人生そのもの」「心・技・体のすべてを注ぎ込んでいる存在」「子供のようなもの。かわいい」といった答えが返ってくる。

 そのカゴメが「KAGOME社員公認」をうたって7月に発行した『カゴメトマトジュースレシピ』(朝日新聞出版)は、発行部数が2万3000部を超えた。ページをめくると、トマト愛に満ち溢れた笑顔の社員が次々と登場し、トマトジュースの活用法を披露している。80のレシピは、約20人の社内の管理栄養士が作ったもので、その一つひとつに社員のコメントがついている。

 「スープや味噌汁にほんの少し入れると味に深みが」「カレーを作る時には水の代わりにトマトジュースを」「飲み会の後はトマトジュース。体への罪悪感が消えます」といった具合だ。

 レシピ本の発行に向け、広報部を中心とした制作チームは約2000人の社員にアンケートを送付。トマトジュースの好き嫌いや活用法などを尋ねたところ、わずか数日で約3分の1に当たる700人以上から回答が寄せられた。10人に顔写真入りでの登場を依頼したところ、全員が快諾。社員のトマト愛は、組織の壁や時間的な制約をも乗り越えてレシピ本をヒットに導いた。

アサヒビールVSキリンビールVSサントリー
「飲みニケーション」が強さの源泉
(写真:川畑 公平)

 新商品の開発競争に営業合戦、いつの時代も熾烈なシェア争いを繰り広げてきたのがビール業界だ。ビール各社の組織力の源泉は「飲みニケーション」。疲れた体に冷たいビールを流し込んでは、仕事や商品への熱い思いを語り合う。

 アサヒビールは2010年に投入したマイナス2度の「エクストラコールド」を皮切りに、樽生ビール機器(サーバー)でヒットを連発中だ。飲食店で絶大な人気を博し、樽生機器では競合を圧倒する。

 看板商品の「スーパードライ」の樽生を飲食店に販売するうえで、魅力的な機器は武器になる。アサヒは「チーム樽生」と銘打った横断組織を約15年前に発足。業務用統括部と機器開発部に、機器のメンテナンスなどを手がける子会社のアサヒドラフトマーケティングが加わる。

(写真:丸毛 透)

 チーム樽生にとって、「生ビールをいかにおいしく、1杯でも多く飲んでもらうか」が永遠のテーマ。組織も拠点も異なる3部門だが、会議の後には欠かさず飲みに行く。多い時には週に2~3回飲むこともある。「飲みニケーションの場こそが我々の現場。飲みながらのブレストからアイデアが生まれる」と業務用統括部の門馬隆担当課長は語る。

 一方、キリンビールは今年1月にグループの組織を再編し、営業活動全般を担う「キリンビールマーケティング(KBM)」を設立した。従来は別々に動いていた量販店や飲食店の担当者を連携させ、より機動的で地域に根差した営業の実現を狙う。いち早く成果を上げているのが沖縄支社だ。

 沖縄県沖縄市のとある地場スーパー。店内に入るとすぐに三線(さんしん)の調べに乗って「カンパイ! きりんちゅ、うちな~んちゅ~」という陽気な歌が聞こえてくる。

 「きりんちゅ」とは沖縄の方言を使った造語で、「キリンが好きな人」といった意味。歌は沖縄支社で独自に制作、販促に活用している。現場の発案で、提灯や立て看板など飲食店向けの販促物も次々に量販店に導入。従来と一味違う売り場作りで、地元オリオンビールが圧倒的シェアを持つ沖縄で存在感を増している。

(写真:丸毛 透)

 沖縄支社の松浦泰彦・支社長は「『なんくるないさ』に表現される県民性からか、組織再編による変化に臆さなかった」と話す。「他県より多い」と認める飲み会は、出身母体が異なる社員らを瞬く間に結束させた。沖縄で地域密着の施策が真っ先に奏功したのは偶然ではない。

 最後はアサヒとキリンを追いかけるサントリーだ。同社は今年3月、45年間赤字だったビール事業を黒字に導いた虎の子の「ザ・プレミアム・モルツ」のリニューアルを断行した。

 販売は好調で固定ファンも多いプレモルだが、味もパッケージも変え、最大の売り文句だった「モンドセレクション最高金賞」も捨てた。サントリー酒類ビール事業部プレミアム戦略部の安達考俊課長は「絶好調の今だからこそ攻めるべきだと思った」と強調する。二人三脚でリニューアルを手がけた商品開発研究部の岡賀根雄部長は「より良いものが作れないなんて悔しすぎる」と必死で新しい味を模索。日頃から頻繁にジョッキを交わす2つの部署はリスクの大きな挑戦に迷わず挑んだ。

 背景には創業者・鳥井信治郎氏の「やってみなはれ」の精神がある。新しいことに積極的に挑戦しろという意味で、社員は入社するや否や、この精神を叩き込まれる。共通の基盤があるからこそ、一致団結して難題と向き合える。

 新生プレモルは絶好調。サントリーはプレモルのリニューアルをあえて「リバイタライズ(再活性化)」と呼ぶ。その目的は果たされたと言えそうだ。

まだまだある
すごい組織

 お父さん役の白い犬が主人公のCMシリーズ「白戸家」が毎回人気を呼んでいるソフトバンクモバイル。2007年に始まったこのCMの制作において、絵コンテ作りから放映までの業務を取り仕切る宣伝部は、わずか16人の精鋭部隊だ。広告戦略を統括する栗坂達郎マーケティング本部長は「年間100億円を超える広告費を投じている企業の宣伝部としては、ダントツで少ない人数なのではないか」と話す。

 CM制作には高い専門性と幅広い人脈が求められる。そのため、16人の多くは広告業界からの転職組だ。制作会社出身の内池大輔・宣伝部長は古巣の大物クリエーターらを相手に、時には丁々発止のやり取りを繰り広げることもあるという。こうした激しい個性と個性のぶつかり合いが、話題作を次々と生み出す原動力となっている。


 「女性は意外と面倒くさがりだよね」――。こんな女性の“本音”に寄り添ってパナソニックが2008年に商品化した「ナイトスチーマー」。ベッドの脇に置けば、蒸気やイオンによって寝ている間にスキンケアできる。球体のかわいらしい形状も話題を呼び、「美容家電」という新ジャンルを切り拓いた。

 開発したのは2006年末に発足した30代を中心とする女性6人の商品企画チームだ。その後、マーケティング部門の女性陣も加わって開発した就寝前の集中ケアと就寝中のスキンケアに1台2役で対応するスチーマーは、2010年の発売以来、累計販売台数が50万台を超える大ヒットとなった。

 パナソニックは現在、「Panasonic Beauty」のブランド名でヘアドライヤーや携帯型電動歯ブラシなど50種類の美容家電を手がけており、2012年度の売上高は1000億円前後に達する見込み。女性だけの商品企画チームを設ける企業は珍しくないが、これほど大きな事業を育てた組織は稀だ。

 2011年夏には美容家電に携わる女性社員が組織横断的に交流できる社内サークル「美容部」を発足。自らの製品体験を交流サイト「フェイスブック」上で発信するなど、女性社員自らが美の“伝道師”となって市場のさらなる拡大を図っている。


 累計販売数200万冊を突破したキングジムのヒット商品「ショットノート」。手書きのメモを、スマートフォンに簡単にデジタル保存できるこの商品は、20代の若手社員らの自発的な“井戸端会議”から誕生した。

 2年ほど前から細々と続けてきた活動は徐々にメンバーが増え、今では5人。雑談をしながら、ホワイトボードに浮かんだアイデアを書き込んでいく。メンバーの遠藤慎さんは「どんな思いつきでも言える雰囲気作りが大事」と話す。

 集まるのは就業時間内の2~3時間。有志の集まりであるため、時間はそれぞれが本来の担当業務の合間に捻出する。だが、長く席を外していても、「アイデア会議をしていました」と言えば済む、自由な発想を育む素地が同社にはある。

 キングジムがターゲットとする文具のニッチ市場で生き残るには、日常生活の細かな不便をいかに解決するかがカギとなる。井戸端会議で発案されたショットノートの概要は、廊下の立ち話で開発責任者に伝えられた。こうした闊達なやり取りから、消費者の潜在的なニーズをとらえたヒット商品が生まれる。

日経ビジネス2012年10月22日号 44~50ページより

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