優れた組織は個人の能力を極限まで引き出す。縦と横の壁を崩し、一体となって目標へと突き進む。最初に紹介するのは不可能を可能にした奇跡の組織だ。

 パナソニックがトイレ市場で「奇跡」を起こしている。「TOTO」とLIXILの「INAX」という2大ブランドが圧倒的に強い市場に新たな発想で参入し、業界地図を塗り替えつつある。奇跡を起こしたのは、愛知県幸田町にある1つの工場。2010年4月、この幸田工場で行われた研修会が始まりだった。

 「これからは独立企業として生きていかなくてはなりません」。研修会が開かれたのは、パナソニックの組織改正がきっかけだ。この年に幸田工場は、パナソニックエコソリューションズ住宅設備という生産会社の工場に変わった。円高が進む中、実績を残さなければ海外に生産部門が移り、工場がなくなる可能性すらある。日本にモノ作りを残すために何をすればいいか。これが幸田工場が直面した危機感だった。

 「生産工程を減らすために設計を変えられないか」と意見を出したのは商品技術開発課の高橋正輝課長だ。従来の製品は見栄えをよくするためにトイレ本体の外周に微妙なカーブがつけられている。これを直線に変えれば、切削工程を減らせる。すると、「内側の形状を変えれば洗浄機能が高まるのではないか」との意見も出てきた。

 普段は内に秘めて表に出さなかったアイデアを、この研修会では次々と口に出す。「みんな心の中ではいろいろとアイデアを持っている」と気づいた高橋課長は、現場での作業の合間や休憩室での雑談、夜の酒の席などでアイデアを求めるようになり、新たな商品の構想を徐々に固めていった。

パナソニックの「アラウーノ」チーム。タンクレストイレで市場シェア1位を狙う

タンクレストイレでシェア3割弱

 パナソニックが2006年に発売したトイレ「アラウーノ」は、もともと既存製品の逆を突いた製品だ。まずは素材の変更。陶器製が当然だった便器に、有機ガラスという樹脂素材を採用した。生産が容易で、しかも重量は陶器製の3分の1程度と、設置作業もしやすくなった。陶器に比べて汚れがつきにくくなるという利点もある。

 もう1つの特徴は「タンクレス」だ。タンクにためた水で洗浄するタイプとは異なり、水道から直接水を流す。少ない水量でも確実に洗浄できるように、内部の配水管が上下に動く「ターントラップ」という仕組みを採用。洗浄時には配水管が電動で下を向いて水を流し、終われば上を向いて水をためる。新たな素材と機構により、「タンクレストイレ」というカテゴリーで2強の市場を奪い、2011年度には3割弱のシェアを持つようになった。

 一方で難点もある。まず値段が高い。様々な先端技術を盛り込んだため、トイレの内側には精密機器が詰め込まれている。通常のタンク付きトイレが15万円程度なのに対し、アラウーノは倍の30万円前後もしてしまう。

 また、重力による水圧が使えない。ターントラップを採用しているとはいえ、高台の家では水圧が足りず設置できないことがある。こうした課題をクリアしないと、いずれは販売が頭打ちになる。この悩みを解決したのが、生産現場である幸田工場だった。

 高橋課長からアイデアを持ち込まれた商品開発部門は、さらに独自のアイデアを追加する。温水洗浄機能は便座についているから省く。泡を使った洗浄機能も見送った。低水圧でも洗浄できるよう内側の形状を変え、水が円を描いて流れるようにした。水が出てくる部分にノズルを取りつけ、狙った方向に確実に水が流れるようにした。

 こうした構想を取り入れた新商品の企画を2011年1月、パナソニック本社に提案。そこから1年を経た今年2月、「アラウーノV」として市場に投入した。タンク付きトイレと同水準の価格を実現したうえ、低水圧でも洗浄できるため、設置場所の制約がなくなった。高価格ゆえに区別されていたタンクレストイレというカテゴリー自体を、なくしてしまうような商品だ。

トイレが家電製品に変わる

 幸田工場の現場を歩く。射出成型されたパーツが超音波振動で溶接されている。外形を削る切削工程は6回から1回に減った。空いたスペースが目立つのは、生産効率を高めた結果、ラインが短くなったためだ。樹脂製で軽いため働く人は女性が多い。トイレ工場というより、家電製品の工場に近い。

 「V」の投入で、月間の販売台数は昨年のほぼ2倍に当たる2万台に増えた。月間3万台程度だったタンクレストイレの市場自体が、この商品で5万台近くに増えたと見られる。「タンクレスの市場で1番を目指したい」と営業担当の馬路貴光氏は力を込める。

 「アラウーノVは完全なメード・イン・ジャパン。しかも現場から生まれた極めて珍しい製品だ」と武智裕介工場長は話す。生産と開発が一体となった組織が、寡占化が進んでいた業界地図を塗り替える。高い固定費と円高に悩む日本のモノ作りが生き残っていくヒントも、この工場が示唆している。


 2012年度上期に最も売れた軽自動車を作ったのは、これまでトップシェアを競ってきたスズキでもダイハツ工業でもない。ホンダだ。

 ホンダは軽自動車のシェアが2011年、暦年ベースで定位置の3位から4位に後退し、販売店からは「売れる軽自動車を早く出してくれ」と矢のような催促が届いていた。募りに募った危機感が組織の壁を壊し、「N BOX」という起死回生のヒット車を生んだ。

 鈴鹿サーキットにほど近い場所にあるホンダの鈴鹿製作所。工場内の事務所には生産や購買だけでなく、設計開発や営業の担当者までが同じフロアに詰めている。「設計が引いた図面を購買や営業の担当者が目にし、その場で意見を言い合う。販売会社からの意見もダイレクトに響いてくる。昔、私が若手だった頃の光景が戻ってきた」と主任技師の川﨑隆司氏は言う。

 設計・開発と生産の現場を近づける。一見、単純な施策に見えるが、ホンダにとっては容易ではなかった。同社は伝統的に本田技術研究所が設計を担当してきた。その設立は1960年にさかのぼる。以来、研究所はホンダに設計図面を渡し、その見返りとしてホンダから売上高の一定の割合を受け取る形態を続けてきた。

 その狙いは技術や研究を重視する企業文化を保つためだったが、「図面を基にした意見のやり取りに、ファクスや電話、メールを使って1週間もかかる」といった弊害も目立つようになった。スピード感のある開発には社内の仕組みを変える必要があった。

 しかし、なかなか変われない。2輪事業から始まったホンダは、4輪の売り上げが2輪を上回るようになり、いつしか「自動車が会社を支えるという意識が強くなっていた」(伊東孝紳社長)。自由な気風を残す2輪部門に対し、4輪部門は組織が硬直化する。大企業病の兆候が表れていた。

 組織の壁を崩した直接のきっかけは昨年の東日本大震災だ。伊東社長から「開発中の軽自動車(N BOX)を、予定より3カ月早めて2011年末に投入するように」との指示が出ていたが、栃木県の研究所が被災し、建屋や開発用のコンピューターに甚大な被害が出てしまった。電力供給が不安定な中、「間に合わせるには、こちらから出向くしかない」(浅木泰昭・本田技術研究所四輪R&Dセンター主任研究員)。かくして、200人の開発部隊が臨時的な措置として鈴鹿に向かったのだ。

フル操業が続く「N BOX」の生産ライン(上)。設計や生産が1フロアに集い、ワイガヤが戻った(下)

新車の開発期間を短縮

 これが功を奏した。生産と設計の間で、意見のやり取りにかかる時間が劇的に減った。図面を描く従業員は生産現場を見て、具体的な工程を学んだ。休日には止まった生産ラインに様々な部署の人間が集まり、設備を見ながら議論を繰り返した。N BOXは目標通りに年末商戦に間に合い、軽自動車の販売トップを2012年8月まで続けるヒット車となった。

 この成功体験を踏まえて、ホンダは今年から正式に組織の壁を壊し始めた。4月に栃木県にある四輪R&Dセンターから、軽自動車の設計開発機能などを鈴鹿製作所に移転。異動人数は100人近くに上った。半年後、さらに20人ほどを移し、鈴鹿の設計開発チームは約120人の陣容になった。

 鈴鹿は生まれ変わった。一般に新型車の開発期間は24カ月ほどとされるが、「恒常的に3カ月くらいは短縮できるようにしようと取り組んでいる」(川﨑氏)。N BOXのヒットに続けとばかり、鈴鹿からNシリーズの新型車や、ヒット車種「ビート」の後継として位置づけられる軽自動車のオープンカーが生まれる見通しだ。

 ホンダは国内生産100万台を維持しようとしているが、円の独歩高が続き、国内の生産拠点を取り巻く環境は厳しい。海外に輸出するだけでは採算が悪化するが、国内で作ったクルマを国内で売ってしまえれば、円高の影響は受けなくなる。「鈴鹿は軽自動車に注力し、生産する50万台を国内で売り切るのが理想」(伊東社長)だ。

 この戦略の成否は、鈴鹿製作所の底力にかかっている。会社の内部に巣食う見えない壁を壊し、組織の力をさらに高めてこそ、製造業が国内で生き残る道が見えてくる。


 東芝が販売する薄型テレビ「レグザ(REGZA)」。国内市場のシェアは今や20%を超え、首位のシャープを追撃する。テレビ不況に見舞われた2012年3月期こそ部門赤字を余儀なくされたが、それまでは国内企業では珍しくテレビ事業で安定して黒字を稼ぎ、2013年3月期も黒字転換を計画する優良製品だ。だが、ほんの6年前には、東芝のテレビ事業は撤退の瀬戸際へと追い込まれていた。

 テレビ業界で「REGZAの奇跡」と呼ばれる逆転劇は、組織の垣根を越えた開発チームが引き起こした。

 東芝のTV商品部の本村裕史氏は、後ろ向きの言い訳が嫌いだ。「時間がない」「人が足りない」と説明されると、たとえ上司であっても声を荒ららげてしまう。求めるのは常に前向きな意見。実現に技術や予算の壁があろうと、やりたいこと、やるべきことの自由なアイデアを常にチームに求めている。この信念を貫き通し、レグザというブランドを育て上げた。

 マイナスからのスタートだった。ブラウン管型テレビから液晶テレビへの移行が遅れ、かつて15%程度あった市場シェアが、2006年には7%へと急落していた。巻き返しに向けて、それまでの「ビューティフルフェイス」という商品名を変更し、新ブランドを立ち上げることになった。10人ほどの開発チームの一員だった本村氏は「これはチャンス」と考えて、社内に「本物を作る」と宣言した。

成功体験を通じ意識改革

 当時のテレビ事業部はマイナス思考が蔓延していた。売れない理由を部門同士で押しつけ合い、当事者意識が薄れていた。意識改革へ向けて取り組んだのが成功体験の共有だ。自分の仕事が認められることで、仕事へのやりがいを感じてもらう。たとえ小さな評価でも構わない。技術者には自分が理想とする画像を作らせ、デザイナーには完璧と思うデザインを依頼した。リモコンの開発者には、それを題材に30分間話せるだけの工夫を凝らしてほしいと頼んだ。

 こうしてできた製品が「Z1000」。インターネットの掲示板には画質を褒める書き込みがあり、リモコンはネットのメディアで記事になった。本村氏はこうした情報を集めて担当者にリポートを送る。仕事を評価されると、試してみたいと思って温めていたアイデアを口にするようになる。そして、今でも名機とされる「Z2000」が誕生。外付けのハードディスク駆動装置による録画機能や、操作への反応速度が速いゲームモードの設定など、業界初の機能が次々と追加されていった。

東芝の本村裕史氏は「期待を上回る進化を続け、ブランドを確立した」と話す(写真:宮原 一郎)

 ネットで商品の評価を書き込むのはマニアの人たちだ。彼らは「すごい」と驚かなければ書き込みはしない。だから、彼らが期待するより一段高い進化を目指した。ネット上の書き込みを常に把握するのはもちろん、影響力の強いライターを開発者が直接訪問して、話を聞くこともあった。マニアの期待値を超えた製品に対する評価は高まり、商品をネットなどで調べてから買う顧客は、店頭でレグザを指名買いするようになった。

 負の連鎖が正の連鎖に変わる。すると企画、営業、広告、設計開発、デザインといった各部署が互いに意見を出し合い、レグザというブランドを育てるチームが出来上がった。ネットや販売店から集めた顧客からの評価は今でも本村氏が直接、担当者に届けているが、最近は「次はこれを何とかしよう」と前向きの反応がくる。「全員が当事者意識を持って参画する組織になった」と本村氏は話す。

 9月27日、東芝は10月に発売するレグザの新製品と、来春発売する「4Kテレビ」3機種を発表した。4Kテレビとはフルハイビジョンの4倍の解像度を備える次世代機だ。会場の一角では本村氏ら開発チームが、自分たちが育てた製品の晴れやかな舞台を、やや緊張した面持ちで眺めていた。「東芝は機能と画質の両輪で、テレビのトレンドをリードしてきました」という深串方彦・執行役専務の言葉は、撤退寸前の状況から鮮やかな逆転劇を成し遂げた彼らに向けられた言葉かもしれない。


 日立製作所は今年7月、英運輸省から高速鉄道車両596両と、27年超に及ぶ保守業務を受注した。総額5500億円とされる受注額は、英国鉄道史上で過去最大の規模となる。

 7月25日に開いた緊急記者会見の席上で、鈴木学・技監は「これを契機に海外で鉄道ビジネスを幅広く展開していきたい」と緊張気味に意気込みを語った。だが、会見が終わると表情を緩め、「ダメかと思ってやけ酒を飲んだこともある。ほっとしたよ」と本音を覗かせた。派手な受注劇の陰には、実に13年にわたる苦労の歴史がある。

 1999年、日立は海外で鉄道事業に参入しようと英国に狙いを定めた。日本で培った鉄道の技術と品質には自信がある。適正な価格で提案すれば受注できるのではないか。今振り返れば気軽な考えで、英国に駐在員を派遣した。最初は1人からのスタートだ。

 700両の通勤車両、次に150両の通勤車両の入札に参加した。提案内容は高く評価され、称賛の言葉をもらったが、どちらも受注には至らない。「どうも様子が違う」。海外鉄道事業を統括していた植田千秋シニアアドバイザー(前日立レールヨーロッパ会長)は、受注できない原因を聞いて回った。

 植田氏はそこで、「ペーパートレイン」という単語を耳にした。経験が乏しく信頼性が欠けるといった意味だ。英国で日立の車両は走ったことがない。そんな会社に鉄道という重要なインフラを任せるわけにはいかない。本音と建前が使い分けられる英国の社会は、まるで会員制のクラブ。内側に入り込まなければ戦えない。受注への高いハードルを、この時に思い知った。

工場建設予定地に集う日立のチームと当時の英運輸大臣ら(上)。受注した車両のイメージ(下)

試験車両まで作り信頼獲得

 そこで、英国人を積極採用する。表舞台はすべて英国人に任せ、日本人は日本との調整や技術のサポートに回る。総勢40人のうち英国人が14人という新体制で、市場開拓へ動き始めた。

 効果はてきめんだ。日本人ではとても分からない情報を探り出してくる。最も大きな課題は、信頼性の担保。日立の電車が英国の線路できちんと走ることを証明しなければならない。

 そこで、現地の車両に日立の駆動装置を搭載した試験車両を製造。実際に英国で走らせて信頼性を証明した。この車両が転機となり、持ち前の技術力や納期通りに納入するという日本企業の生真面目さが英国で評価されるようになる。初めて受注に成功したのが「クラス395」と呼ばれる高速鉄道174両だ。2009年12月の納入予定だったが、予定より半年も早く完成させたことで、日立の技術に懐疑的だったライバルメーカーからも驚きの声が上がった。

 395の成功が高速鉄道の大規模受注につながる。優先交渉権を獲得しながら、英国の政権交代で交渉が見直しになるなど3年超にわたり揺れ動いたが、この7月に正式受注にこぎ着けた。

 「知名度のない日立に入ってくれた英国人は、チャレンジ精神に溢れていた。日英混成のフラットな組織で仕事をし、酒も酌み交わす関係を築いた」と植田氏は話す。彼らが達成したのは鉄道発祥の地である英国での受注。初めて鉄道が走ったダーリントンの近隣に、車両工場を建設する計画だ。


 400万個売れれば成功とされるガムの市場で今年3月、700万個の初回出荷を記録した新商品が生まれた。ロッテの新ブランド「ゼウス」。縮小が続くガム市場で奇跡的とも言えるヒットを飛ばした要因は、縦割りだった商品開発、営業、宣伝などの部署間の壁を初めて取り払った点にあった。

 同社はこれまで新商品を開発する場合、まず開発部隊だけでコンセプトを固め、それに沿って商品自体やパッケージデザインなどを完成させるのが一般的だった。その後、社内のプレゼンテーションで営業や宣伝の担当部署に商品の説明をし、戦略を練ってもらう。

 「今から考えると、バトンリレーのようだった」。ロッテの販売部門でガムを担当する山下幸治課長は、従来の流れをこう表現する。

 開発部門は製品を完成させれば知らぬふり。営業や宣伝は、製品が売れないのは受けない製品を作る開発のせいだと不満を募らせる。部署ごとの縦割りで進めていた商品化には、少なからず課題があった。

 だが、ゼウスでは違った。新ブランドの立ち上げに関わる10人弱の担当者らの机は、本社の同じフロアに集められた。「20~30代の顧客を開拓できる新機軸のものを」「感覚的にカッコいい、おしゃれと思えるような、感性に訴えかける製品がいい」。販売現場などからの意見は直接、開発の中心部に届けられた。

店頭の専用陳列棚のデザインにも、開発や宣伝の担当者が意見をぶつけ合う(写真:的野 弘路)

開発、販売、宣伝が“かみ合う”

 ゼウスブランドの第1弾となった「サンダースパーク」は、口に放り込むとすぐに、舌の表面がビリビリと痺れるような極めて強い刺激に襲われる。この強い刺激こそ、ロッテがゼウスブランドの最大の特徴に据えたものだ。この刺激感を分かりやすく表現するために、パッケージのデザインには稲妻を採用し、店頭に並べる専用の陳列棚も稲妻を想起させるギザギザの形状にした。

 商品開発部の宮下慎氏は「商品コンセプトに対する営業・宣伝担当者の理解が深く、効果的な施策が打てた」と振り返る。

 消費者の感性や感覚に訴える商品は、「虫歯予防」「眠気防止」といった明確な機能をうたうものに比べ、需要が読みにくい。そのため、開発部門からすれば自信のある製品でも、現場の営業部隊や費用対効果を気にする宣伝部隊などとはなかなか意見が一致せず、発売当初から小売店で大展開するのは難しいケースが多い。ゼウスのヒットは、各部門の担当者が一枚岩となったことがもたらしたと言える。

 ゼウスで初めて本格的に採用したこの商品化プロセスは、同社が過去のヒット商品で一部、実験的に採用した手法。開発から販売、宣伝までがっちりとかみ合い始めた同社のガム部門は今、業界に旋風を巻き起こしつつある。

日経ビジネス2012年10月22日号 22~28ページより

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