隣国の中国、インド、タイにとって、ミャンマーは地政学的に重要な位置を占める。自国の安全保障や経済発展への思惑から、各国政府が支援に乗り出した。長きにわたる経済制裁から解かれた6242万人市場は、大国の狭間で成長を模索する。

 9月上旬、米飲料大手コカ・コーラがミャンマーで炭酸飲料「コカ・コーラ」の販売を始めた。以前から密輸品は出回っていたが、「正規品」が売られるのは約半世紀ぶり。200以上の国・地域に進出するコカ・コーラも、この間はミャンマーから撤退していた。それは同国が国際社会から隔絶されていた時期と重なる。

【1】ミャンマーと中国を結ぶパイプラインの建設が進む 【2】ヤンゴン市内の売店店員と米コカ・コーラのムーター・ケントCEO 【3】絶大な支持を集める民主化運動家アウン・サン・スー・チー氏(写真【1】:ロイター/アフロ、【3】:Getty Images)

コーラが町に戻ってきた

 発端は1962年のクーデターだ。軍事政権が成立すると、鎖国に近い独自の社会主義経済体制が敷かれ、国力はそがれた。88年に市場経済に復帰するも、政府が民主化運動を弾圧したため、欧米諸国が経済制裁を科した。

 欧米諸国との膠着状態が解け始めたのは昨年3月、テイン・セイン大統領が就任してからだ。政権は民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー氏との対話や政治犯の釈放を進め、各国が制裁解除に動き出した。その結果、ミャンマーの人々が密輸品でないコーラをようやく口にできるようになった。「やっぱり、おいしい」。ミャンマー最大の都市ヤンゴンでは、人々が久しぶりに自由を味わっていた。

 「民主化を後戻りさせないためにも、経済支援に乗り出す必要がある」と話すのは、経済産業省でインフラ輸出を推進する村﨑勉・戦略輸出交渉官だ。日本だけではない。ミャンマーと国境を接するタイ、中国、インドもそれぞれの思惑を胸に、手を差し伸べる。

 ヤンゴンから南に約20kmの距離にあるティラワ――。ここは日本による開発が内定している経済特区だ。山手線内の半分近い面積の土地に、三菱商事と住友商事、丸紅を中核とする日系企業連合が工業団地を整備する。

 円借款の供与など、日本政府はプロジェクトを全面的に支援する。現在は経産省が建設コンサルティング会社などに依頼して事業性を調査している。経産省の村﨑氏は、「2015年の団地開業に間に合わせるために、来年には着工したい」と話す。ミャンマーでは次期総選挙が2015年に控える。テイン・セイン政権はそれまでに工業団地を開き、自身の成果として国民に示したい考えだ。

主な業種の進出適性度を◎ ○ △ × の4段階で評価(注:各種情報を基に本誌が独自評価)

 一方、日本側は日系進出企業の受け皿となる広大な工業団地を手にする。現地の工員の賃金は東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の中で最低水準だ。ヤンゴンでは月額基本給の相場が隣国タイ・バンコクの4分の1にすぎない。タイ国三井物産ロジスティックス部の水澤純部長は、「タイでは労働力不足と人件費高騰が深刻だ。労働集約型産業の移転先としてミャンマーに期待が集まっている」と言う。

 人口6242万人のミャンマーは消費市場としても大きな潜在力を秘める。その中でもティラワ地区は後背地に人口600万人のヤンゴンを擁する好立地にある。食品や日用品など内需向けの製造業や、自動車のワイヤハーネスといった労働集約型の部品製造業などがティラワ工業団地に入居することになりそうだ。

 次期総選挙を有利に戦いたいテイン・セイン政権と、ミャンマー市場を開拓したい日本側の思惑が一致し、プロジェクトが急ピッチで進む。

インド洋への「近道」

中印泰が囲む交通の要衝
ミャンマーの主要インフラと開発案件

 ミャンマーは、取り囲むように位置するタイ、中国、インドにとっても、地政学的に重要な位置を占める。

 タイから見れば、ミャンマーはインド洋に抜けるための「近道」だ。首都バンコクから西方へミャンマーを突っ切れば約320kmでインド洋沿岸に到着する。海路ならマラッカ海峡を回り込み約4日かかるが、陸路なら1日程度に短縮できる。さらにインド洋沿岸に港湾を整備すれば、そこからインド南部の都市チェンナイまで海路で数日以内に物資を運べる。

 この輸送ルートを開拓するために、タイ政府はバンコクからミャンマーのインド洋沿岸までを道路や鉄道でつなぐ、「南部経済回廊」の建設を計画する。事業環境が整ってきたことを受け、日本通運・海外企画部の相澤卓哉次長は「ASEANで唯一展開していなかったミャンマーに参入する」と言う。日本貿易振興機構(JETRO)アジア大洋州課の小島英太郎・課長代理は、「陸路が整備されれば、ミャンマーで部品を製造して、タイのメーカーに納めるなどの分業が可能だ」と言う。

 タイ政府は南部経済回廊の整備と併せて、その終着点としてミャンマーのインド洋沿岸にダウェー港を整備し、チェンナイなどへ開かれた玄関口とする。10年単位の長期プロジェクトだ。

 経産省の春日原大樹アジア大洋州課長は「ミャンマーを中継しタイとインドがつながれば、両国に進出する日系メーカーが部品を融通し合うなど連携が生まれる」と言う。

 ダウェー港の開発はタイの建設大手が2年前に受注した。資金不足で現在、工事は滞っているが、新しい開発の枠組みを模索し、建設を再開する。タイ工業省のポンサワット・サワディワット大臣は、「インドやミャンマーからの物資を南部経済回廊でタイに運び、そこから海路で極東まで輸送すれば、船舶で混雑するマラッカ海峡を通らずに済む」(ポンサワット大臣)という。現在、インド周辺から極東へ抜けるには、インド洋と太平洋をつなぐマラッカ海峡を通らねばならない。その中継港としてシンガポールが繁栄した。タイ政府はマラッカ海峡を回避する近道を用意し、物流と繁栄を自国に呼び込む国家戦略を描く。タイ運輸省のチャッドチャート・シティパン副大臣は、「タイをASEAN地域のハブにする」と意気込む。

中印と等距離外交

 ミャンマー政府は南部のダウェー港の開発をタイに任せる一方、西部のチャオピュー港は中国国有の中国石油天然気集団(CNPC)に開発を発注した。

 CNPCはチャオピュー港と中国雲南省をつなぐパイプラインも建設中だ。中国は中東からタンカーで運んできた石油をこのパイプラインで輸入する。現在、南シナ海を経由してタンカーで中国沿岸部まで運んでいる。だが南シナ海はベトナムやフィリピンと領有権を争う海域。紛争が起きれば石油の輸入がストップしかねない。そこで迂回路としてミャンマーにパイプラインを建設する。早ければ来年にも完成する。石油天然ガス・金属鉱物資源機構の竹原美佳・主任研究員は、「ミャンマーに限らず、中国はロシアやカザフスタンから石油を輸入するなど、調達ルートの多様化を急いでいる」と言う。

 一方ミャンマー政府はチャオピュー港から北に約100kmのシットウェー港をインド財閥のタタ・グループに開発させている。インド政府には、「インド本土」からチャオピュー港を経由してインド北東部に至る輸送ルートを確保する狙いがある。北東部は陸路のアクセスが悪く、経済停滞の一因になっていた。そこは中央政府からの独立心が強い土地柄。アジア経済研究所の工藤年博・主任調査研究員は「インド政府としては、中央との経済的な結びつきを強め、つなぎ留めを図らねばならない」と言う。

 次期総選挙まで残り3年。テイン・セイン政権は日本、タイ、中国、インドそれぞれ国益を利用してインフラ開発を推し進める。

(吉野 次郎)

日経ビジネス2012年10月22日号 92~95ページより目次