マレーシア市場はイスラム市場への登竜門である。多くの外国人観光客が訪れるため「ショーウインドー」効果も発揮する。発達したインフラと英語人材の豊富さは、外国企業にとって魅力だ。

 マレーシアの首都クアラルンプール郊外にある商業施設「ミッドバレーメガモール」は、有名ブランド店を400以上も抱える、東南アジア諸国連合(ASEAN)最大級のショッピングモールだ。近隣にある複数の高級ホテルに泊まる外国人観光客がなだれ込む。買い物に疲れた彼らが列をなすのは、寿司屋だ。

 その列には、イスラム教徒の姿も交じる。彼らは、戒律に従った食材や調理方法で作られた「ハラルフード」しか口にしない。魚を生で食べる行為は戒律に触れない。醤油にアルコール分が入っていなければ宗教上問題ない、と考える人が多いという。

 海外からマレーシアを訪れるイスラム教徒も、寿司なら、安心して手がつけられる。それゆえ、外国人観光客が多い巨大な商業施設では、寿司店の数が中華料理店のそれを上回る。マレーシア国民の25%は中国系で、市街地には中国料理店が目立つにもかかわらずだ。

 寿司がイスラム教徒に受け入れられたのは偶然にすぎない。しかし、マレーシアには、日本製の商品・サービスを“第2、第3の寿司”にするチャンスが広がっている。

【1】トクヤマによる社員研修【2】イスラムの預言者を冒涜したとされる映画への抗議【3】格安航空会社のエアアジアは観光客増加に貢献【4】現地に根づく日本製品【5】イスラムの戒律は化粧品にも及ぶ【6】人工の川が流れる巨大モール(写真(1と4除く):AFP=時事)

ネスレは50カ国への輸出拠点に

 マレーシアは、インドネシアやタイと同様に経済成長政策を進めてきた。その結果、1人当たり名目GDP(国内総生産)はASEAN平均の2.7倍に当たる9700ドル(約76万円)に達し、世界平均(1万34ドル)に肉薄している。

 粗末な木造家屋、やせた家畜の世話をする裸足の子供たち、舗装が進まず土煙が舞う国道…。クアラルンプールではそんな新興国の面影は消えつつある。

 その中でマレーシアに特徴的なのは、イスラム教を連邦の宗教と定め、同教を国の成長戦略の根幹に据えてきたことだ。マレーシアは「グローバル・ハラル・ハブ」のポジションを狙っている。16億~18億人に及ぶと言われる巨大なイスラム圏市場の入り口を目指す。

 これを実現すべくマレーシア政府は、ハラル商品に関する認証制度を構築してきた。イスラム教の戒律に従って加工、保管、流通させた食品、医薬品を認証するものだ。この認証を得た商品なら、イスラム教徒は安心して口にすることができる。

 ほかのイスラム国にも認証制度はある。しかし、国を挙げてその信頼性を高めているのはマレーシアだけだ。政府は、ハラル商品の生産に必要な資源を集めた専用工業団地「ハラル・パーク」を全国200カ所に設置している。

 グローバル・ハラル・ハブを目指す方針に沿って売り上げを伸ばした代表格は、食品の世界的大手ネスレの現地法人だ。イスラム圏を中心とする50カ国へ商品を供給する輸出基地の役割を担う。昨年の売上高は前年比16.8%増の47億リンギ(約1206億円)に達した。

 味の素やキユーピーなどの日本企業も、マレーシアの拠点で周辺のイスラム国への輸出分を製造している。

銀行や保険も相次ぎ進出

 ハラル認証が求められるのは、主に食品や医薬品、化粧品。口にしたり、肌に塗ったりするものだ。近年はこれらに加えて、戒律にのっとった金融商品も注目を集めている。「イスラム金融」「イスラム保険」と呼ばれるものだ。

 世界のイスラム金融市場の規模は、1兆ドル(約78兆円)以上と言われている。大きくはないが、国際協力銀行によると毎年15~25%成長している。

 三菱東京UFJ銀行やみずほコーポレート銀行などの大手都市銀行はマレーシアを拠点に、昨年から、東南アジアに住むイスラム教徒を対象にした営業体制を強化している。昨年3月、三井住友海上火災保険は現地企業に出資して、イスラム保険事業に参入した。

 こうした背景には、政府が誘致に力を入れていることがある。金融分野において、外国企業に対する出資規制を緩和するなどしている。

 生産拠点としてのマレーシアは大きな優位性を持つ。インフラの充実ぶりはASEAN随一。一部の大手メーカーには魅力的である。

バランスが取れたASEANの優等生
マレーシアの主要インフラと開発計画

豊富な英語人材

巨大市場へのショールームになり得る
主な業種の進出適性度を◎ ○ △ × の4段階で評価

食品、医薬、化粧品 
イスラム教徒は基本的に、戒律に従った商品(ハラル)しか口にしない。戒律に合致しているか厳しい認証制度を設けるマレーシアは、イスラム市場への登竜門
IT 
国家主導で首都近郊に生まれた「マルチメディア・スーパー回廊」にはIT企業1000社が集まる
小売り、外食 
中間層のふくらみは魅力的。まずは首都クアラルンプールでのテストマーケティングで様子を見る手も
金融 
政府は、イスラム金融の中心地になることを目指している。日本の銀行、生命保険の進出が相次ぐ
製造業 
来年1月に初めて導入される最低法定賃金は人件費高騰を生む。工業団地のインフラは充実。英語人材が豊富

(各種情報を基に本誌が独自評価)

 化学メーカーのトクヤマは、太陽光パネル向けの多結晶シリコンの工場をサラワク州の工業団地内に建設中だ。総工費は1800億円。2012年3月期の連結売上高、2823億円の6割以上に相当する金額を注ぎ込む。社運を賭けるほどの工場建設は、社内で「マレーシア計画」と呼ばれている。

 前職も含めてマレーシアに16年滞在する、同社の西村修二・クアラルンプール事務所所長は「インフラの安い使用料と品質の高さは、マレーシアの大きな競争力だ。うちのように、生産工程で工業用水や電気を大量に消費する業種には最高の場所」と語る。

 マレーシアの年間の瞬間停電総時間は、東京など先進国の都市に引けを取らないという。ただし、人件費は高騰しており、労働集約型の場合、進出のメリットは小さい。

 人材面で他国にない強みは、英語を話せる人材が豊富な点だ。多民族国家であるがゆえに、ビジネスの現場では英語を用いることが多い。

 また、中国系やインド系の学生はオーストラリアなど海外の大学を目指すことが少なくない。幼少時から家庭で英語を使わせる場合もある。ブミプトラ政策の影響で、国立大学はマレー系の学生が大勢を占めるからだ。“新興国慣れ”していない企業の進出には心強い。

 問題は、こうした人材も奪い合いになってきていることだ。ページ上部の地図にあるような大型開発が進む地域では、管理職を中心に“人”取り合戦が厳しくなっている。日本流の硬直した人事制度を敷いていては、せっかく育てた人材を競合に奪われかねない。

 消費市場としての可能性も注目に値する。日本貿易振興機構(JETRO)の池下譲治・クアラルンプール事務所長は「様々な民族に向けてテストマーケティングすることができる。さらに、ショーウインドーの効果も持つ」と指摘する。

テストマーケティングの場に

 同国にはマレー系以外に、中国系、インド系など多くの民族が共生する。市場に受け入れられる商品を開発するには、様々な文化に対応することが求められる。この地で経験を積めば、ほかのアジア市場へ切り込むためのノウハウを身につけることができる。

 池下所長が「ショーウインドー効果」と呼ぶのは外国人観光客にアピールする力だ。マレーシアは、訪れる外国人観光客の数がASEAN諸国の中で最も多い。2011年は同国の人口に近い2471万人に上った。彼らは平均で1週間滞在する。マレーシア市場で存在感を示せば、海外から来た富裕層を通じて認知が世界に及ぶ。

(上木 貴博)

日経ビジネス2012年10月15日号 82~85ページより目次