今と同じく、石油ショックや公害問題など、様々な社会問題で日本が重い閉塞感に包まれていた1970年代前半、一大ベストセラーとなった書籍があった。『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)だ。

 著者で作家・ルポライターの五島勉氏は本書で、16世紀のフランスの医師が書き残した詩集が後世の出来事を的確に予言していると紹介。「1999年、空から恐怖の大王が降ってくる」という詩の一節を「人類滅亡」と解釈し、日本全国にセンセーションを巻き起こした。その際、五島氏が「恐怖の大王」の候補の1つとして挙げたのが、放射線の一種である中性子線を活用した「中性子爆弾」だった。

 だが、当時、地球崩壊の引き金として恐れられた中性子線には今、“人類の敵”、ガンを撲滅する切り札としての期待が高まっている。その担い手が、2012年内にも設立予定の筑波大学発ベンチャー、アートロン(茨城県つくば市、松村明社長)だ。

ガンを死滅させる中性子ビームを作るために不可欠な小型陽子線加速器と、アートロンの共同創業者である松村明氏(左)と熊田博明氏(右)(写真:的野 弘路)

ガン細胞だけを集中攻撃

 同社が確立を急ぐのは、中性子を使ってガン細胞を死滅させる「ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)」。ガン細胞に集まる性質を持ったホウ素化合物を患者に投与した後、中性子を患部に照射する。中性子ビームは、ホウ素を取り込んだガン細胞だけをピンポイントで攻撃するため、正常な細胞にはほとんど影響を与えずに済む。悪性脳腫瘍や肺ガン、多発性肝ガン、再発したガンなど、これまで治療が難しかったガンの多くを治療できるという。

 共同創業者は、脳神経外科医で筑波大学附属病院の松村明・副病院長と、筑波大学陽子線医学利用研究センターの熊田博明准教授だ。既に今年9月、中性子を作るために必要な新型の陽子線加速器を、三菱重工業や高エネルギー加速器研究機構、日本原子力研究開発機構などの協力を得て開発した。

 従来、中性子を作るには原子炉が必要だったが、それを不要にする画期的装置だ。全長約7mと、一般病院に設置できるサイズにまで小型化することにも成功した。

 「BNCTによる中性子ビームの照射時間は約30分。X線治療などとは異なり、1回の照射で治療は終わる」と松村副病院長は説明する。

 BNCTは50年以上前に米国で提唱された。が、米国ではそれほど大きな成果を出せず、研究が次第に下火になったという。これに対し日本では、悪性脳腫瘍や頭頸(とうけい)部ガン、皮膚悪性黒色腫の臨床実験などで着実に成果が積み重ねられてきた。「今やBNCTは日本が世界をリードしている」と熊田准教授は強調する。

 2014年度から新システムを使った動物実験を始め、2015年度に臨床試験や治療を開始し、先進医療の承認を目指す。早ければ今から3年後には、先進医療としてアートロンが開発した新たな治療を受けられるかもしれない。

3大病だけで年間67万人が死去

 「日本を救う次世代ベンチャー100」の筆頭は、日本人の「病への不安」に挑む医療ベンチャーだ。

 厚生労働省によれば、2011年の平均寿命は男性が79.44歳で、女性は85.90歳。東日本大震災の影響により男性で0.11年、女性で0.40年の前年比減となったものの、依然、世界トップクラスの長寿国なのは間違いない。

 だが一方で、病により40~50代の若さで命を落とす人も多い。厚労省「平成22年人口動態統計」によると、日本人の死因の1位はガン、2位が心臓病、3位が脳血管疾患(脳梗塞、脳疾患など)。3つの病だけで年間約67万人が命を落とした。

 そうした状況を背景に、次世代技術を武器にした医療ベンチャーは、ガンに限らず様々な分野で生まれている。アミンファーマ研究所(千葉市、五十嵐一衛社長)はその1つ。同社は血液検査でかくれ脳梗塞を検出する「脳梗塞リスク評価サービス」を手がける。


MRI(磁気共鳴画像装置)による脳の診断風景(写真:dpa/PANA)

 脳梗塞で重要なのは早期発見だ。「無症候性脳梗塞(かくれ脳梗塞)」と呼ばれる小さな脳梗塞は自覚症状がなく、将来、脳血管疾患を発病する危険因子とされる。同社は、千葉大学名誉教授でもある五十嵐社長の研究成果を基に、脳の細胞障害を引き起こす毒性物質「アクロレイン」と炎症マーカー2種の血中量を測定。かくれ脳梗塞の段階で、脳梗塞の危険性を明らかにする。

 もちろん、日本人を苦しめている病はガンや脳梗塞だけではない。必ずしも死に至るわけではないが、患者の人生を破壊しかねない難病も数多い。アルツハイマー病、鬱病、糖尿病などだ。2011年11月に設立された京都大学発ベンチャー、TAOヘルスライフファーマ(京都市、星精二社長)は、アルツハイマー病の根治を目指している。

脳を萎縮させる物質を特定

 神経細胞が破壊され脳が萎縮していくアルツハイマー病。その根本的原因は不明で、進行を遅らせる薬はあるものの、現時点では治療法は存在しないとされる。

 ところが、京都大学大学院医学研究科で脳神経細胞の研究に取り組んでいた同社の技術顧問、星美奈子・特定准教授は約10年前、「アミロスフェロイド(ASPD)」なる物質を発見。その後の研究により、ASPDこそが脳の神経細胞死をもたらす毒性物質であることを突き止めた。

 ASPDが脳内で機能しないようにすれば、アルツハイマー病の発症そのものを食い止められる。そう考えた星・特定准教授はその後、ASPDの働きを抑制する化合物の究明に注力。今年3月からは第一三共の子会社アスビオファーマと提携し、本格的な治療薬の開発に着手している。「最初の(ASPDの)発見から10年かかって、ようやく出口の可能性が見えてきた」と星・特定准教授は話す。

 厚労省によれば、日本国内の認知症患者の数は2002年の149万人から2012年には300万人を突破する。そのうち約6割を占めるとされるのがアルツハイマー病だ。TAOの技術が磨かれることは、200万人近い患者とその家族にとって大きな福音となる。

糖尿病が原因で視力を失うことも。写真は視力検査の風景(写真:PANA通信社)

 最新医療ベンチャーの中には、糖尿病による失明者をなくすことを目的に設立された企業もある。2012年3月に誕生したアクア セラピューティクス(福岡市、吉川寿徳社長)だ。

 糖尿病の最も深刻な合併症の1つとして知られる網膜症。それが原因で視力が弱まったり、失明したりする人は年間3000人に上ると言われる。

 アルツハイマー病同様、糖尿病網膜症もまた根本的な原因は長年不明とされてきた。しかし2011年、九州大学大学院医学研究院眼科学分野の石橋達朗教授(同社役員)らが、網膜上に「ペリオスチン」というたんぱく質が増殖すると網膜症を引き起こす可能性が高いことを解明した。

 この研究成果を基に、ペリオスチンの生成を阻む医薬品を開発することを目的に設立されたのがアクア セラピューティクスだ。

 「網膜症を治すのではなく元から絶つのが目的。九州大学や製薬会社などとの連携で2015年には臨床実験に着手し、10年以内に創薬までたどり着きたい」と吉川社長は抱負を語る。

ほかにもある 難病治療ベンチャー
心筋梗塞に直結する高LDL(悪玉コレステロール)血症向けに独自の治療装置などを開発中。現在、ルネッサンス・エナジー・インベストメントの一事業部として活動

室伏きみ子・医学博士が発見した「環状ホスファチジン酸(cPA)」などで、末期ガンの痛みや膝関節痛などを抑える薬の開発を目指す。お茶の水女子大学発ベンチャー

 医療分野では、ガンからアルツハイマー病まで様々な難病治療ベンチャーが出現する一方、細胞再生研究でもブレークスルーの兆しが出てきている。

 病気や事故で失われた身体や臓器を蘇らせる細胞再生の研究が世界的に本格化したのは1997年、米ベンチャー、Genzyme(ジェンザイム)が軟骨の培養で製造承認を得たことなどがきっかけ。日本でも2000年前後に多くの細胞再生ベンチャーが立ち上がった。しかしその後、多くは破綻。当局による規制緩和の遅れなどで事業化の見通しが立たなかったことなどが原因だ。

 2010年8月、そうした業界の閉塞を打ち破る可能性を持つ企業が設立された。東京都千代田区に本社を置くサイフューズ(口石幸治社長)だ。

 同社は既存の細胞再生ベンチャーとは異なるアプローチで、身体や臓器の再生に挑む。例えば、現在主流の再生方式の1つは、コラーゲンなどの足場材料を活用し細胞を培養していくやり方だが、サイフューズは「生きた細胞のみを使って立体組織を作る」(口石社長)。いわゆるつなぎ材などを使わないため再生細胞の定着率が高く、血管など、既存の細胞医療ベンチャーが十分にカバーしていない体や臓器の再生への道も開けるという。

 独自の細胞再生技術を確立したのは、創業メンバーで佐賀大学大学院工学系研究科の中山功一教授。「同じ再生法を研究しているベンチャーは米国に1社あるが、その会社とて細胞再生を立体化させる過程で一時的にジェルを使う。そうした材料を全く使わないのは世界で当社だけ」と口石社長。後発の強みを生かし、この10年間で進んだ再生医療研究の成果も応用しながら、5年後の実用化を目指す。

サイフューズの技術で作った再生医療の構造体

純国産の補助人工心臓も登場

 さらに、工学的アプローチによる再生医療と言える人工臓器分野でも、ある大学発ベンチャーの挑戦が始まった。東京医科歯科大学副学長を務めていた補助人工心臓の研究者、高谷節雄社長が昨年8月に設立した医療機器メーカー、メドテックハートがそれだ。

メドテックハートの補助人工心臓装置(写真:dpa/PANA)

 補助人工心臓とは、心臓移植を待つ患者の生命を維持する人工臓器。大手医療機器メーカーも手がけているが、メドテックハートの製品は小型・安価なうえ、使いやすさに独自性がある。

 従来技術による体外式の補助人工心臓は、血液を押し出す羽根車を動かす際に発生する熱で血栓ができかねないため、24~48時間でポンプの交換が必要だった。それに対し、同社製品は、磁気により羽根車を浮かせて非接触で回すことなどで熱による血栓発生を阻止。ポンプを交換せずに60日間の連続運転を実現できる。

 人工心臓の開発では、日本は米国に後れを取り続けてきた。産学連携や国策の違いに加え、足を引っ張ったのは医療機器への承認速度の差だ。資金回収が長期化するため、歴史的にも国内でベンチャーが単独で人工心臓に挑むケースはほとんどない。後にテルモ社長を務め「人工心臓の父」と呼ばれた阿久津哲造氏のような第一人者もいたが、研究開発の本場はあくまで米国だった。

 「だからこそ、世界に通用する純国産の補助人工心臓を作りたかった」。東京医科歯科大を定年後、様々な機関からの就職の誘いをすべて断り、起業に踏み切った高谷社長はこう話す。

 既に英独仏などの企業からは提携の打診も来ており、まずは欧州への進出を狙う考えだ。無論、メドテックハートのような企業が増え、日本の人工心臓の開発レベルが上昇すれば、ドナー不足で移植を待つ多くの国内患者に希望をもたらすことになる。

 次世代医療技術が日本社会に与えるインパクトは大きい。

 ガン、心臓病、脳血管疾患の治療が可能になれば年間67万人の患者が救われ、アルツハイマーの根治は約200万人の社会生活復帰を可能にする。再生治療が進化すれば、臓器移植を待つ人たちはもちろん、全国に10万人以上いる脊椎損傷者をはじめ多くの身体障害者が健康な体を取り戻せる。

 最新医療ベンチャーは、日本社会の未来を明るく照らす。

ほかにもある 再生医療ベンチャー
iPS細胞から分化誘導した網膜色素上皮(RPE)細胞移植によって、失明の原因となり得る「加齢黄斑変性」の治療法の開発を目指す
日の丸ベンチャー最新事情【1】
“老舗バイオベンチャー”も依然有望

 本特集では、創業間もないベンチャー企業にスポットを当てており、原則として、10年以上前に設立された会社は取り上げていない。だが、医療・バイオ分野の場合、2000年前後に設立されたベンチャーの中にも有望企業が数多く存在している。

 日米欧などの国際チームによるヒトゲノム(全遺伝情報)の解読成功に沸いたのが2000年。これを機に、欧米やアジアでバイオベンチャーブームが巻き起こったからだ。日本も例外ではない。

 だがその後、資金不足から経営破綻に追い込まれる企業が相次いだ。2004年のライブドア事件によって、投資家の多くが“ベンチャー不信”に陥り、IT(情報技術)だけでなくバイオ系へのカネ回りも悪化。2008年のリーマンショックも追い打ちをかけた。

 ただ、すべてのバイオベンチャーが勢いをなくしたわけではない。ピーク時600社近くあった国内のバイオベンチャーは確かに激減したものの、それでも今も200社程度が研究を続けているという。

 下の表は、バイオ関連分野に特化した独立系ベンチャーキャピタル、バイオフロンティア パートナーズの大滝義博社長の監修の下で作成した、設立から約10年経過した有望医療ベンチャーの一覧だ。

[注:()内は本社所在地と会社設立時期。説明は開発している医薬品の分野 出所:ベンチャーキャピタル「バイオフロンティア パートナーズ」の資料を基に作成]

 研究分野を問わず、実用化まで10年以上の長い年月が必要な医療系ベンチャー。「新鋭企業のみならず、“老舗”にも、様々な難病を治療する画期的技術の誕生が期待できる。例えば、鬱病新薬のヒューマン・メタボローム・テクノロジーズは現在、来年の上場に向けて準備中で、その動向は注目に値する」と大滝社長は指摘する。

日経ビジネス2012年10月8日号 26~30ページより

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