「さすがに、この冬はつき合い切れない。我々は我々の商売をする」。大手百貨店の幹部はこう打ち明ける。

 今夏、百貨店業界で大きな波紋を呼んだバーゲンの「後ろ倒し」。三越伊勢丹ホールディングスの大西洋社長が口火を切り、夏のバーゲン開始時期を遅らせる取り組みが始まった。

 大西社長の狙いは、百貨店業界とアパレル業界の正常化にあった。苦戦が続く百貨店業界では、目先の利益を求めるあまり、夏のバーゲン時期を年々、前倒ししてきた。半面、消費者の多くは季節の変化を感じて初めて夏物を買う。その結果、夏物衣料品を正規価格で売れる期間は短くなっていった。

 本格的な夏を迎える前にバーゲンが始まれば、百貨店とそこに入るアパレルメーカーは、十分な利益を確保できない。セール中は色柄やサイズの欠品が出るため消費者にも不満が残る。

 業界と来店客のため――。

 そんな大義を掲げて、三越伊勢丹はバーゲンの後ろ倒しを提唱した。これに主要百貨店も興味を示し、今夏、バーゲンは例年よりも約2週間遅れの7月13日から本格的にスタートした。

百貨店業界がまとまることはない

7月13日、伊勢丹新宿本店の前には4000人を超える行列ができた(写真:日本経済新聞社)

 7月13日、午前10時。伊勢丹新宿本店には、4000人を超える来店客が列をなした。開店と同時に目当ての売り場へと駆ける買い物客たち。売り場は例年以上の熱気に包まれた。

 だが、伊勢丹新宿本店の勢いがほかの百貨店に波及することはなかった。スタート時期が例年と違ったことで混乱が生じ、百貨店業界全体の売上高は7月が前年同月比3.3%減、8月も1%減を記録した。

 「短期的に数字が落ちることは織り込み済み」と大西社長は説明する。たとえ一時的な売り上げ減になっても、不毛な値引き合戦を断ち切ることが先決というわけだ。初志を貫徹するため、三越伊勢丹は夏のバーゲンが始まる前から、今冬のバーゲンも例年より約2週間遅らせることを発表した。

 しかし、思うように売上高を伸ばせなかった百貨店各社の視線は冷たい。夏のバーゲンも終わらぬ8月下旬には、各社が次々にバーゲン後ろ倒しから距離を置き始めた。

 冬のバーゲンについて、いち早く例年通りの1月2日から始める態度を固めたのは高島屋だ。同社の鈴木弘治社長は、「売り手の都合でバーゲンを先送りにするのは顧客第一主義ではない」と切って捨てる。「バーゲン時期は、お客様との見えざる契約。この約束を守ることこそ顧客サービス」と同社の山口裕・営業本部長も念を押す。

 「コンビニエンスストアやGMS(総合スーパー)は元日から営業するのに、百貨店だけ元日に休むのは不自然」と、セブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武は、2013年以降、元日から初売りを始めることを発表した。百貨店としてではなく、グループ全体の営業方針を尊重した決断だ。

 一方、「新百貨店モデル」という独自目標を掲げてファッションビルなどのノウハウを取り入れるJ・フロントリテイリング傘下の大丸松坂屋百貨店も例年通りの姿勢を貫く。「我々の競合はあらゆる商業施設。百貨店だけで後ろ倒し策を論じてもナンセンス」と大丸松坂屋百貨店営業本部の竹原幹人・ショップ運営第1統括部長は話す。

 事情はそれぞれ異なる。ただ三越伊勢丹以外の各社は、冬のバーゲンの時期は変えない見通しだ。

 百貨店業界にとって、冬のバーゲンが夏以上に大きな意味を持つことも反対派が多勢を占める要因だ。正月には福袋を求める客が行列をなし、バーゲン会場にも足を運ぶ。初売りの週は1年で最も高い売上高を叩き出す。ここでバーゲンを遅らせれば、業績に大きな影響を与えることは目に見えている。そんな危険は犯せないというのが、後ろ倒しを選ばなかった本音だろう。

 「バーゲンはあくまで商売の1つ」と百貨店各社は口を揃える。だが図らずも、バーゲンに対する姿勢を明確にしたことで、各社の目指す百貨店像の違いが鮮明になった。「今後、百貨店業界が1つにまとまることはない」。足並みの揃わぬ状況を、大西社長は冷静に受け止めている。

 バーゲン後ろ倒しによってあらわになった「百貨店業界」の崩壊。それは単に、百貨店各社が別々の道を歩み始めたことを意味するだけではない。アパレルメーカーなどを巻き込んで、衣料品に携わる企業のあり方を、根底から揺さぶろうとしている。

(注:9月28日時点)

問われるアパレルの“忠誠心”

 「百貨店は、我々に踏み絵を迫る気なのか」。大手アパレルの幹部は、冬に向けて足並みが揃わない百貨店業界に苛立ちを募らせる。

 夏のバーゲン後ろ倒しが始まるまで、アパレル各社はこれを好意的に受け止めていた。「まともに正価で販売できる期間もないのに値下げを始める今までの流れが異常だった」とオンワードホールディングスの田中英信・常務執行役員は振り返る。バーゲン時期があまりに早まった結果、最近では盛夏向けの衣料品をほとんど生産しないメーカーも増えている。すぐに値引きされるなら商品を作らない方がマシ、という論理だ。

 だがバーゲン時期が遅くなり、正価で販売できる期間が長引けば、アパレル側は利益を確保できる。旬の盛夏物を生産し、消費者の満足度を高めることも可能だ。後ろ倒しは、アパレル各社にとっても魅力的な取り組みに映っていた。

 今夏にはオンワード樫山や三陽商会、レナウン、フランドルなどが後ろ倒しに賛同した。その結果、オンワード樫山では7月、バーゲン品の売上高が前年同月より1割落ちたものの、正価品は2割も増えた。三陽商会も6~8月の売上高は前年同期比1%増、利益率は1.1ポイント改善した。「後ろ倒しが定着すれば、メーカーのモノ作りは好循環に転じるはず」と三陽商会経営統括本部の岩田功・経営企画室長は期待を寄せる。

 だが業界内には、必ずしも後ろ倒しに賛同する声ばかりではない。「最終的な消化率を見るまで、後ろ倒しが成功とは言い難い」と、慎重な姿勢を貫く企業も多い。百貨店業界では、商品を納入するアパレル各社との間で、「消化仕入れ」という独特の取引制度を取り入れている。これは、百貨店の店頭にある商品が売れた時点で仕入れを計上する取引形態のことだ。店頭に並ぶ商品の所有権はアパレル側にあり、在庫リスクもメーカーが負う。

 バーゲンを遅らせることは、アパレル側にとっては、年2回の限られた在庫処分の機会が短くなることも意味する。例年よりも短いバーゲン期間で、在庫を処分し切れたか否かはまだ分からない。後ろ倒しによって、バーゲン自体の勢いが落ちれば、消化率も悪化する。つまりアパレルにとって、後ろ倒しは両刃の剣にもなり得るわけだ。

 実際に都心の大手百貨店では、9月に入っても、夏に処分し切れなかった値引き品を売り場の片隅に並べていた。「我々が在庫リスクを負っていることを、百貨店はどこまで真剣に考えているのか」とアパレル大手の幹部は、不信感を募らせる。

 さらに、冬のバーゲンを巡っては百貨店ごとの路線の違いが鮮明になった。後ろ倒しがアパレルにとって魅力的なのは、あくまで百貨店各社の足並みが揃ってこそ。アパレル側は、同じ商品を店によって違う価格で売る「1物2価」をタブーとしているからだ。

 バーゲンの時期が百貨店ごとに違えば、アパレル各社は必然的に、どこの百貨店に合わせるのかを決めざるを得なくなる。業界トップの三越伊勢丹についていくのか、それとも従来通りのやり方を続けるほかの百貨店に合わせるのか――。

 アパレル各社は、それぞれの立場の百貨店から、陰に陽にプレッシャーを受けている。「事態はもう、バーゲンだけの話ではない。売り場の確保をはじめとした、今後のつき合い方全般に関わる問題になった」と大手アパレル首脳は頭を抱える。9月末の段階でも、神経戦は続き、冬の方針は固まらない。バーゲン問題は今や、アパレル各社に忠誠を問う「踏み絵」のような存在になったのだ。

 百貨店側は「商売の1つ」と言うバーゲン後ろ倒し。だがそれは、百貨店とアパレルが長年つむぎ上げてきたビジネスモデルのあり方や、両社の関係を改めて問い直している。

日経ビジネス2012年10月8日号 92~95ページより

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