1995年9月、御手洗冨士夫はキヤノンの社長に就任した。前任の社長が急逝したのに伴う予想外の人事だ。当時のキヤノンは収益の伸びが鈍化し、借入金も多かった。ここからの4カ月を転機として、御手洗はキヤノンを国内屈指の高収益企業へと変えていく。米国の超一流企業という目標を掲げ、財務体質の改善、生産革新など、抵抗に遭いながらも次々と改革を断行していった。

御手洗 冨士夫(みたらい・ふじお)
大分県出身、77歳。1961年中央大学法学部卒、キヤノンカメラ(現キヤノン)入社、66年キヤノンUSA出向。81年取締役、95年社長。2006年会長、2012年3月から現職。2006年から2010年まで日本経済団体連合会会長(写真:清水 健)

 突然の社長拝命でした。だから、キヤノンを、どのような会社にしようかと年末まで一生懸命、それこそ命懸けで考え続けました。脳裏に浮かんだのが、若い時に米国で見ていた一流企業の姿でした。経理を担当していた私は、勉強のためデュポンやP&G、IBMなどの財務諸表を取り寄せて経営を分析したのですが、米国で本当に一流の企業は分厚い自己資本を持ち、潤沢な手元資金で開発投資をして新しいものを生んでいました。当時、キヤノンはもちろん、日本の企業は、本当に借金経営。全くの別物でした。あの驚きと憧れは今でも記憶に残っています。よし、こうした一流企業を目標にしよう、と強く思いました。これが社長としての原点です。

 会社で最も資金を使うのが工場です。ここを合理化すれば損益が改善し、キャッシュフローも楽になる。そう考え、調査の末に出合ったのが、セル生産でした。

 ベルトコンベヤーを使うライン生産と違い、十数人のチームが製品を組み立てます。ライン方式ではコンベヤーのスピードを上げない限り生産性は上がりませんが、セル方式なら創意工夫の余地が生まれ、作業者が習熟することで生産性が上がります。ラインで滞留する在庫が減り、資金繰りも楽になる。これだ、と確信しました。

 抵抗は激しかったですね。40年以上続いていた生産方式を根本から変えるわけですから。事務屋に何が分かると悪口を言われました。生産のプロと議論してもかないませんが、時間をかけるわけにもいきません。頼むから信じてくれ、責任はすべて取る、と説得しました。代表取締役を私一人にして、全責任を負うという覚悟を形で表しました。正直、孤独で怖かったですが、なにしろ無我夢中でした。

 もう1つ変えたのは、縦割りの組織です。キヤノンは多角化を標榜し、事業部制を敷いていました。その体制が長くなり、制度疲労が起きていた。だから、全体最適という方針を打ち出しました。事業部の壁を破るため、全社に横串を通す委員会を作り、事業部門長に兼任させました。事業部間の壁が低くなり、次第に取り払われました。これで、中央集権で全体最適を目指す効率的な組織に生まれ変わりました。

 効率的な組織の典型は、軍隊でしょう。ボトムアップでバラバラに動く軍隊なんてありません。全滅してしまいます。やはり基本はトップダウンです。トップが調査や議論をして、自分の責任で目標や戦略の基本を作るべきです。これは独裁とは違います。トップが考えを述べて、部下と話し、調整して手直しをする。社長に限らず、事業部長でも課長でも、集団のトップは自分の意見をはっきりと示し、そのうえで部下と交流していくべきです。

世界で新たな価値を生み出す

 債務危機で欧州の景気が下向いています。強がるつもりはありませんが、慌てていません。連結決算で見たキヤノンの売り上げは、9割近くが海外です。世界の市場で毎年、7~8%の成長が目標で、今年1~6月に欧州は7%、米国は10%と、現地通貨ベースでは目標通りに成長しました。ただ、円高のために円換算すると売り上げも利益も目減りします。円ベースの業績予想は下方修正を余儀なくされますが、これをもって、成長力が落ちたという指摘は当たらないでしょう。海外で稼いだ外貨は現地で再投資し、資本を増やしながら成長を続けています。

 社長になってから、ずっと考えてきたのは人材の育成です。米ゼネラル・エレクトリック(GE)の役員養成システムを見習おうと、ジャック・ウエルチ氏(GEの元会長兼CEO)に手紙を書き、研修させてもらいました。こうしてできたのがキヤノン経営塾です。そこで猛訓練を受けた人材が、役員や執行役員として活躍し始めました。これからキヤノンの経営は変わりますよ。

 彼らが強力なチームとなり、国際的な多角化を強力に進めます。日本で新しい製品や産業を生み、世界に広げてきたのがキヤノンです。これからは世界で新たな価値を生み出していきます。日本でやっていないことを、米国や欧州で始めます。既に高速印刷機は欧州、医療関係は米国が本拠になりつつあります。本格的なグローバルカンパニーが次の目標ですね。

 経営者の役割は「夢」です。将来のあるべき姿を描き、そこに向けた戦略を決め、実行部隊と議論しながら実現する。それが経営者の仕事です。会社が繁栄すれば社員の生活が向上し、社会貢献もきちんとできる。社会に親しまれ、尊敬される会社を目指します。

 私が尊敬するデュポンなどは、200年にもわたって繁栄し、何世代も働いている人が珍しくありません。米国企業を指して、よく言われる無機質な労使関係ではなく、家族的な社風です。まさに敬愛される企業でしょう。目標は、まだまだ遠いというのが実感です。

日経ビジネス2012年10月1日号 92~93ページより

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