1980年代末、米鉄鋼大手USスチールとの合弁事業の交渉に、神戸製鋼所側のサブリーダーとして参加しました。当時、自社の技術力や設備に絶対の自信を持っていたUSスチールとの交渉は難航し、席を蹴ってみようかと思ったこともありました。