タブレット型デジタル機器の目玉コンテンツとして、期待を集める電子書籍。専用端末や電子書店が次々に登場する一方で、国内市場は思うように拡大していない。端末メーカーと出版社の思惑は微妙にすれ違い、時間だけが過ぎていく。

 「アマゾンはいつ来るのか」

 電子書籍に関わる日本企業の担当者は今、挨拶のようにこの言葉を口にする。話題にしているのはもちろん、米アマゾン・ドット・コムの電子書籍専用端末、「Kindle」だ。

 同社のジェフ・ベゾスCEO(最高経営責任者)は今年4月、本誌の取材に対して「今年後半のニュースにご注目ください」と語った。それから5カ月。日本投入に関する正式な発表は、9月半ば時点でまだない。

 上陸時期については、様々な報道機関による度重なる報道があり、見方は一致しない。ある出版関係者は「アマゾンと契約を終えた大手出版社は9月末と言い、終えていない大手出版社は年内は難しいと言う」と話す。

 今年も残り少ない。アマゾンの動向を固唾をのんで見守る関係者の緊張感は、最高潮に達している。

端末会社は格安機で攻勢

国内勢は新端末の投入でアマゾンを迎え撃つ

 ソニーの電子書籍事業担当ビジネスプロデューサーの野村秀樹氏は、「動画や音楽配信では、海外勢にことごとくやられてきたが、電子書籍では日本市場で勝つ自信がある」と意気込みを語る。

 同社は9月21日に「Reader(リーダー)」の新機種「PRS-T2」を発売したばかりだ。8年前の2004年4月に、世界で初めての電子書籍端末「LIBRIé(リブリエ)」を発売したプライドにかけ、アマゾンを迎え撃つ。

 ソニー以外の国内勢も、「黒船アマゾン」の襲来に備え着々と包囲網を築いている。楽天は今年7月に電子書籍専用端末の「kobo Touch(コボタッチ)」を発売。凸版印刷グループで、電子書籍の配信ストアを運営するBookLive(ブックライブ、東京都台東区)も、11月に専用端末を発売する予定だ。

 ブックライブの端末は、NECが開発を担当している。これまで同社は、iPhone、Android端末などマルチデバイス対応を進めてきたが、独自端末の投入で、一気に市場の主役に躍り出る算段だ。

 新たにお目見えするこれらの端末に共通するのは、最安モデルの価格が1万円を切り、従来に比べ格段に安く抑えられているということ。端末の普及を優先し、その後のコンテンツ配信で収益化しようとするアマゾンの戦略に倣い、最後に残された巨大コンテンツ市場での覇を競おうとしている。

 今年は“電子書籍元年”になる――。電子書籍の閲覧に向くとされるタブレット型機器が発売されるたびに、この言葉は出版業界やマスコミを賑わせてきた。

 前回は米アップルのiPadが日本上陸した2010年。だが、既に電子書籍が出版市場の2割超を占めるとされる米国と比べ、日本では電子書籍が花開いたとは言い難い。

電子書籍の専用端末が豊富に出揃ってきた
各社の専用端末と、対応する電子書店

及び腰の出版社

実際の書店でも、電子書籍専用端末の売り込みが増えた(写真:的野 弘路)

 調査会社のインプレスR&Dが今年7月に発表した調査によると、2011年度の国内電子書籍市場は629億円だった。拡大どころか、650億円だった2010年度と比べると縮小している。

 日本の電子書籍市場は、全体の4分の3以上を従来型携帯電話向けコンテンツが占める。主なコンテンツは、コマ単位での閲覧を可能にした若年層向けコミックや、いわゆる「ケータイ小説」など。これが、2011年度に480億円と2010年度比で16%縮小した。

 一方、足元で電子書籍の推進役に位置づけられているのは、冒頭に挙げたような数多くの専用端末やタブレットなどだ。だが、これらの機器向けの電子書籍の市場規模は2011年度に112億円にとどまる。

 前年度から4倍以上に拡大しているとはいえ、その規模はいまだに従来型携帯電話向けの4分の1に満たない。活用はまだこれからといった状況だ。

 楽天はコボタッチを発売1カ月で10万台以上販売した。三木谷浩史会長兼社長は「好調な滑り出し」とするが、同様の専用端末の国内普及台数はソニーなどライバル他社の製品を含めても、いまだに数十万台規模。「1人1台」の携帯電話に比べれば、電子書籍が育つべき新たな土壌はまだ肥沃とは言いがたい。

 電子書籍の市場が停滞している理由として、最も多く挙げられるのがコンテンツの少なさだ。数ある電子書店でも取り扱う純粋な書籍としての和書の数は、多いところでも10万点に届かない。書店に流通する新刊書籍の約90万点と比べ、格段に少ない数字だ。

 学術書や文芸のハードカバー、文庫、新書、過去の人気コミックなど、書籍全般が電子化されれば、市場は一気に拡大するとの期待は強い。それにもかかわらず、「笛吹けど踊らず」といった状況が続くのはなぜなのか。

 「正直言って、もっとタイトルを増やそうと思えばできる。だが、マーケティングのことを考えれば、一気に大量の作品を出しても埋もれてしまう」

 集英社でコミックの電子化に携わるデジタル事業部の鈴木基課長はこう語る。換言すれば、意図的に電子化する作品数を絞っているというわけだ。

 出版関係者らは、ウェブサイト上の電子書籍販売店は「棚が狭い」と評す。アクセスが集中するトップページに掲載されれば売れ行きはいいが、そうでないとなかなか売れない。こんな電子書店の状況を表現する言葉だ。

 実際の店舗では、同じ出版社の新書や文庫、コミックを同じ棚にまとめて陳列することが多い。売り場を訪れた消費者には自然と多くの新刊本が目に入る。だが、ウェブの配信サイトではそうはいかない。

 通常は出版社もジャンルもバラバラな書籍が1冊ずつ表示されるため、一気に多くの電子書籍を投入しても売れるのは一部に限られてしまう。「苦労して作家から電子化の許諾を得るのだから、十分な販売機会を作りたい」(同、関谷博副課長)という。

 別の大手出版社の幹部は「既刊本の電子化に大きな力を投入しようとは思わない」と明言する。1996年をピークに縮小が続いているとはいえ、紙の出版市場の規模は約1兆8000億円に上る。

 現在の電子書籍は紙の3%にすぎない。「急いで電子化しても、収益への貢献は小さい。5年くらいかけてコツコツ、コンテンツを蓄える」(同幹部)。

 電子書籍が紙よりも低価格で販売できることに対する警戒感も強い。電子書籍ストアの「eBook Japan」を運営するイーブックイニシアティブジャパンの小出斉社長は、「今の電子書籍市場は紙にぶら下がっている。紙の市場を壊せば紙の新刊が生まれなくなる。今は出版社の考えを尊重する。価格を下げられなくても、ある程度までは仕方ない」と話す。

 楽天の三木谷社長は、コボタッチの投入時に3万点だった配信ストアの品揃えを、年内にも20万点に拡大する目標を掲げる。「出版社はやる気満々で、コンテンツ数はどんどん増える」と鼻息は荒いが、紙の出版市場への影響にも配慮する出版社が、人気作品をどれだけ電子化するかは現実には見通せない。

 出版業界で、電子書籍推進の旗振り役である講談社の関係者も「『出版業界』という言葉でくくるのに違和感を覚えるほど、歩調は一致しない」と内幕を吐露する。

 今年4月、官民ファンドの産業革新機構から150億円の出資を得て発足した「出版デジタル機構」。5年以内に国内の電子書籍の点数を100万点に拡大することを目指す。

 賛同する出版社は300社を超え、遅々として進まない電子化作業に対する期待を一身に背負うが、同社の野副正行社長でさえも「出版社によって電子化に対する姿勢には温度差がある」と認めざるを得ないのが現状だ。

 ある出版社の幹部はこうも語る。「書籍の中身がデータで残っているのは1990年代以降。それ以前の本を電子化するなら一から打ち込むことになる。採算に合わない」。

侵食する「自炊」マーケット

(写真:的野 弘路)

 欲しい本が電子化されていないなら、自分でやってしまえばいい。大手出版社などの取り組みの遅れを尻目に、消費者は自ら動き出している。

 東京・上馬にオフィスを構えるスキャン代行サービス最大手のブックスキャン。社内に入ると、高く積まれた段ボールがいやが上にも目に入ってくる。

 「これは裁断された書籍を保管する場所。期限を過ぎるとすべて廃棄する」と語るのは藤田剛士副社長だ。

 同社はスキャン代行サービスを2010年4月に始めた。既に米国や韓国に関連会社を設立し、海外でもスキャン代行サービスを開始している。

 同社では利用者にあらかじめ著作権者から許諾を取った書籍のみ送付するよう明示している。また、複製を認めない著者や出版社のリストと照合するためにiPhoneアプリを独自開発。ISBNのバーコードを読み取り、リストと照合された場合には利用者に返送する。その後、書籍を裁断し、大型スキャナーで電子化。裁断した書籍はミスがあった場合に備えるため、2週間ほど保管してから廃棄する。

 同社のビジネスは著作権法のグレーゾーンにある。著作権法第30条1項では「著作権の目的となっている著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる」と私的複製について認めている。

 ブックスキャンは、複製の代行業者に当たるため、「使用する者が複製することができる」という部分の解釈で法律に抵触する可能性がある。

 だがここにきて、水面下でこうした著作権問題をクリアにする動きが業界内で出始めているのも事実だ。ある出版社は「(「ブックオフ」などの)2次流通事業者に流れると著作権料を徴収できない。電子化の過程で著作権料を徴収できる仕組みが整えられるのであればそちらの方がいい」と語る。

 自炊関連のサービスが、今後どこまで拡大するかは現時点では不透明だ。だが、消費者が出版社などから提供されている電子書籍の品揃えに不満を感じているのだけは間違いない。

 関係者全員が合意し、消費者の望む「正規」のコンテンツを供給できるようになれば、市場が急拡大する可能性もある。

中途半端さが強さに

 誤解を恐れずに言うならば、タブレットは“中途半端な”代物だ。

 パソコンのように入力インターフェースを持つわけでも、スマホのようにポケットに入れて持ち運べるわけでもない。テレビのように画面サイズが大きく、迫力ある映像を楽しめるわけでもない。

 だが、世界は今、“第4のスクリーン”であるタブレット市場を見る。人にやさしいタブレットの可能性を評価する。市場が拡大し、一家に1台、そして1人1台に普及する時代を迎えた時、タブレット覇権を握った勝者の元にはコンテンツやサービスの利用に伴う多額の収益が舞い込むことになる。

 この戦線に立つ日本企業がほとんどいないという現状。これはネット時代の変革についていけなかった日本企業の姿を映し出している。

日経ビジネス2012年9月24日号 40~43ページより

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