ITや金融界を渡り歩くも政治の腐敗を目撃し、リーダー教育に目覚めた。日本初となる全寮制インターナショナル校の建設に奔走する。2014年9月の開校に向けて、ブルドーザーのごとく一直線に突き進む。

写真:的野 弘路

 東京都内の公立中学に通う2年生の上野冬美(仮名)には、進学を強く希望する高校が意中にある。2014年9月に開校する、日本で初めての全寮制インターナショナルスクール「ISAK(アイザック)」だ。

 キャンパスを設ける長野・軽井沢では、2010年から毎年夏季に中学生を対象としたサマースクールを開催しており、今年初めて参加した上野は、「日本の(一般的な)学校より断然面白い。正式に開校したら絶対に入学する。将来は外交官になって国際舞台で活躍したい」と声を弾ませる。

 プロジェクトを推進するのは、ISAK設立準備財団の代表理事、小林りん(37歳)だ。東京大学経済学部を卒業後、米金融大手モルガン・スタンレーの日本法人を振り出しに、IT(情報技術)ベンチャー、国際協力銀行(現・国際協力機構)、ユニセフ(国際児童基金)を渡り歩いた。

 ユニセフでは貧困層教育に取り組むも、限界を感じ、ついに自身の手で理想の学校作りに乗り出した。ISAK設立準備財団の理事としてプロジェクトをバックアップする、投資会社あすかアセットマネジメント社長の谷家衛は、小林を「あらゆる障害をものともせずに突き進むダンプカーか、ブルドーザーのような人物」と評する。大学の同窓生であるライフネット生命保険副社長の岩瀬大輔にとっては、「猪突猛進型の人」だ。

 小林は学校建設に向けて、脇目も振らずに突き進む。

原体験はメキシコでのホームステイ

 小林自身、高校生時代にカナダの全寮制インターナショナルスクールに通っていた。もともとは東京都内の進学校で学んでいたが、入学して間もない頃、教師から3者面談でいきなり「理科系科目を強化しないと、東大合格は難しい」と言われた。充実した高校生活に期待していた矢先だっただけに、違和感を覚えた。受験対策に偏重した教育指導を嫌気し、1年余りで自主退学する。そして経済団体連合会(現・日本経済団体連合会)の奨学金制度を利用してカナダ・バンクーバーのUWCに単身飛び込んだ。

 英会話が上達するに従って友達も増えた。スペイン語の勉強にも励み、夏休みになると語学の習得を兼ねてメキシコに旅立った。

 ここから、学校建設プロジェクトに至る旅路が始まる。

 現地では、UWCの同級生であるメキシコ人女性の実家にホームステイした。そこで目の当たりにしたのは、発展途上国の厳しい教育事情だった。

 友人の実家では、狭い家に親子8人が身を寄せ合うように暮らしていた。子供たちの何人かと話すと、友人に負けず劣らず頭脳明晰であることがすぐに分かった。しかし、経済的理由から高等教育を受ける機会を得られず、全員中学を卒業すると、すぐに自動車の整備工などとして働き、家計を助けていた。子供たちの中で高校に進学できたのは、友人だけだった。

 それでも友人は「うちは中流家庭だよ。家もあれば、みんな職に就いている」と事もなげに言う。

 小林はメキシコでの体験以降、発展途上国を支援する仕事を志すようになる。支援活動の拠点を日本の外務省や政府系金融機関と定め、UWCを卒業すると、東大に進学した。

 集中的に受験勉強すれば合格する自信はあったし、実家の経済状況からしても入学は可能だった。小林は「自分のキャリアを自分の手で切り開ける境遇に生まれたことが、いかにラッキーかを、メキシコで思い知った」と言う。かつて東大進学に最大の価値を見いだす日本の高校教育に反発したものの、国際援助の分野で自分が望むキャリアを切り開くには、やはり東大進学が一番の近道と認めざるを得なかった。

 ところが卒業後、小林が選んだ就職先は国際貢献とは縁遠い、モルガン・スタンレー証券の投資銀行部(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)だった。「卒業後の進路ですごく悩んだけど、実力があれば若くして活躍できる職場環境に強く惹かれた。国際援助の道を諦めたわけではなかったが、一度、実力主義の外資系金融機関で自分の価値をどこまで最大化できるのかを試したかった」と言う。就職して間もなく、大学時代の先輩で、会社の同僚でもある人と結婚。その後、小林は次々と職を変えていく。

 モルガン・スタンレー証券はわずか2年で退社し、投資銀行業務を通じてつき合いのあった無名のITベンチャーの経営に参画した。会社の肩書が通用しない環境で勝負し、3年後に黒字転換したのを機に退社する。

 ここでビジネス界でのキャリアに終止符を打ち、初心に戻る。

 国際援助としての最初の仕事は、国際協力銀行のスタッフとして、フィリピンで手がけた電力や鉄道などのインフラ開発だった。そこで自分の知識不足を思い知り、1年後には米スタンフォード大学大学院に留学する。

 国際教育政策学の修士号を取得すると、ユニセフのフィリピン事務所で職を得る。地元の政府機関やNGO(非政府組織)などと協力して、ストリートチルドレンたちに教育を施した。

 路上生活者の多くは初等教育すら受けておらず、真っ当な仕事に就けぬまま、麻薬の運び役や児童買春、臓器売買の対象に身を落としていく。小林は、教育を通じて路上の子供たちを救う使命に燃えた。

 ところが程なくして悩み始める。

フィリピンの貧富格差に虚無感

 フィリピンには都市部を中心に25万人のストリートチルドレンがいる。小林の携わったプログラムで教育を受けられる人数は、年間でそのうちの8000~9000人にとどまる。教育プログラムをきっかけに、飲食のウエーターや整備工などの仕事に就いて、境遇を改善させた子供たちも確かにいた。ユニセフのフィリピン事務所で児童保護に取り組むジェス・ファーは、「大学を卒業し、企業に就職した者もいる」と話す。とはいえ、個人レベルでは救われる者はいたが、全体からすると「焼け石に水だ」(小林)と感じた。

 貧困の撲滅には地元の政府機関や政治家が大きな役割を果たせるはずなのだが、フィリピンでは汚職が蔓延していた。選挙の時期になると、候補者や支援者が当たり前のように殺されるような、「すさまじい世界」(小林)も垣間見た。

 私生活では政治家や実業家など、富裕層とのつき合いも多かった。私的なつき合いは楽しかったが、一向に縮まらぬ貧富の格差に虚しさも感じた。

 不公正な選挙は、かつて高校生の時に訪問したメキシコでも目撃した。スラム街で政党名の横断幕を掲げた人々が、地元住民の髪を切っていた。友人によると、メキシコではお金でなく、散髪で貧困層の票が買収できるのだという。

 やがて社会の底辺にいる人々の暮らしを改善するには、上層部から変えていかねばならないという思いに駆られるようになる。そしてリーダーシップ教育こそが重要だという結論にたどり着く。

 フィリピンから一時帰国した時、東大の同窓生である岩瀬が、小林をあすかアセットマネジメントの谷家と引き合わせる。谷家は投資家として活躍する傍ら、以前から学校建設の構想を温めていた。岩瀬には小林がプロジェクトの推進役として適任に思えた。

 小林には、「全力疾走したい」という生来の衝動がある。目まぐるしく動く金融界やIT業界で得られていた疾走感は、残念ながらユニセフでは感じられていなかった。

 谷家から、ゼロから学校を立ち上げる構想を知らされた日の夜、エネルギーを持て余していた小林は、「これこそが自分が全力で打ち込めるプロジェクトだ」と確信し、眠れなかった。

 フィリピンでの勤務を2年間で切り上げ帰国。2009年4月にISAK設立準備財団を立ち上げ、自ら代表理事に就いた。

 理想の学校作りに向けて、ブルドーザーが始動した。

 かつて小林の上司で、今も交友関係が続く三菱UFJモルガン・スタンレー証券・投資銀行本部長の中村春雄は、「いずれは世界銀行などの公的機関で国際貢献したいという希望があることは知っていたが、まさか学校設立に乗り出すとは。とにかく話す内容のスケールが大きくなった」と驚く。

 校舎の建設などに必要な億単位の資金は、寄付してくれそうな篤志家の間を奔走して集めた。武田薬品工業やLIXILなどの企業も寄付金の提供者に名を連ねる。

 今年6月には、学校の用地を軽井沢に確保し、現在キャンパスの整備が進む。

 初代校長は1年間の選考過程を経て、今年5月に決定した。白羽の矢を立てたのは、米サンディエゴにある、幼稚園から高校までの一貫校ラホヤカントリーデイスクールで、高校の校長を務めているロデリック・ジェミソンだ。「世の中に変革を起こすリーダーを育てるというISAKの理念に共感した。この学校なら世界規模で変革を起こせる」と言うジェミソンは、来年夏には日本に移り住み、開校に備える。

 現在、小林は教員の採用活動に取り組む。「日米欧、アジアから優秀な人材を招くつもりだ」と言う。授業はすべて英語で行い、英語によるコミュニケーションを図れるリーダーを育成する。「多様な意見が渦巻く中で、合意形成できる人」というのが小林の思い描くリーダー像だ。「問題を解決するだけでなく、そもそも何が問題であるかを発見することができる能力や、新しいことに挑戦するリスクを負うことができる能力が求められる」と言う。ISAKではこれらの力を日々の鍛錬によって、培っていく。

ISAKのサマーキャンプには日本やアジアなどの中学生が参加する

米英のモノマネにあらず

 今年のサマースクールで、リーダーシップの授業を受け持ったデーブ・モーケルは普段、米カリフォルニア州南部にある全寮制の名門高校ケイトスクールで、生徒たちの人格形成に取り組む。「リーダーは、自分の内面や周囲で何が起きているかをしっかり把握し、物事を前進させるために最善の判断を下さねばならない。これらの能力は訓練で獲得できる」というのが持論だ。

 灘高等学校や甲南女子大学などで教えた経験を持ち、教育に関する著書もある金井文宏は、「サマースクールを見学したが、寮生活を通じて人格形成する米英の名門全寮制高校の雰囲気が漂っていた」と言う。

 もっとも小林は、米英の名門全寮制高校をそのままコピーするつもりはない。日本で開校する最初の全寮制インターナショナルスクールとしての意義を打ち出すために、アジア史の授業に力を入れるなど、アジアの価値観を重視した教育内容にする。

 「アジアで活躍するリーダーが、西洋的な教育を受けた人ばかりという状況になったら困る」(小林)という問題意識が根底にある。

 生徒もアジアから多くを迎え入れる予定だ。1学年は50人の少人数制とし、そのうち半数はアジア太平洋地域を中心とした留学生で構成する。奨学金制度も設けて、経済的に恵まれない発展途上国などの子供たちも迎え入れることで、バックグラウンドが多彩なコミュニティーを形成する。

 これまでサマースクールには、日本のほか、中国、インド、ネパール、バングラデシュ、フィリピン、タイ、マレーシア、ミャンマー、フィジー、ミクロネシア、スイス、スペイン、米国、英国などの子供たちが参加した。神戸女学院中学部に通う江川可那子は、「同年代の外国人と交流したくて今年初めて参加した。チベットからの参加者からは、中国当局の統治に抗議して焼身自殺する人がいることを教えてもらった。海外にたくさんの友達ができ、世界が広がった」と話す。

 開校まで残された時間は2年。

 小林の前には、やるべきことが山積している。学校法人の認可取得、来日した外国人教師の教員免許書き換え、奨学金制度への寄付集め、入学試験などだ。開校にこぎ着け、1期生を迎え入れたら、さらに忙しくなりそうだ。

 アドバイザーの立場でISAKのプロジェクトに関わるオムロン副会長の立石文雄は、「理想の学校を作ることがゴールではない。本人も分かってはいると思うが、社会を変革するリーダーを次々に世に送り出すためにも、学校を永続させねばならない」と言う。

 高校生の時、メキシコから始まった小林の旅路は延々と続く。

 本人曰く、「終わりの見えない課題を前にして、次々と打つ手を考えている時間が、大好き。眠れなくなるほどワクワクするの」。ブルドーザーの燃料は、常に満タンだ。

=敬称略(吉野 次郎)

小林 りん(こばやし・りん)
1974年   東京都に生まれる
93年   カナダのインターナショナルスクールを卒業し、国際バカロレア資格を取得
98年   東京大学経済学部を卒業し、モルガン・スタンレー証券に入社
2000年   IT(情報技術)ベンチャーのラクーンに入社
03年   国際協力銀行に入社
05年   米スタンフォード大学大学院国際教育政策学修士号を取得
06年   ユニセフ(国際児童基金)のフィリピン事務所で貧困層教育に携わる
09年   インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)設立準備財団を設立し、代表理事に就任
日経ビジネス2012年9月10日号 108~111ページより目次