東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市雄勝町。縁もないこの地で、漁業の再生と町の復興のキーマンとして奔走する。「雄勝の未来が日本の未来に」。その志が大きなうねりを起こしつつある。

写真:野口 勝宏

 仙台市内から車で1時間半ほど揺られると、自然の猛威の爪痕が今なお色濃く残る集落が目に入ってくる。

 宮城県石巻市雄勝町――。美しいリアス式海岸に面する雄勝湾は、カキやホタテ、ホヤなどの日本屈指の養殖地として知られていた。だが、昨年3月の東日本大震災に伴う津波はこの町を廃墟に変えた。震災前に約4300人だった町の人口は1000人弱に急減している。

 そんな荒涼としたこの地域に光を差し込む様々なプロジェクトを手がけ、共感のうねりを全国に広げつつある1人の“見習い漁師”の存在が注目を集めている。

 立花貴、43歳。昨年8月に立花が雄勝の漁師と立ち上げた漁師による会社「オーガッツ(OH! GUTS!)」は、旧態依然とした漁業のあり方を見直し、生産から加工、販売までの「6次産業化」を自分らで担う取り組みとして注目されている。ニューズウィーク日本版が選定する「日本を救う中小企業100」にも名を連ねた。

 同社はインターネットを使って全国から1口1万円でオーナーを募る「そだての住人」という養殖オーナー制度を考案。収穫物はオーナーにも還元し、希望者を雄勝に招き、実際に養殖作業などを体験してもらう。こうした「顔の見える支援」の新しさもあり、賛同する人々の輪は全国に広がりつつある。これまでに約4500万円が集まり、これらを元手にオーガッツは昨年秋から養殖業の再開にこぎ着けた。

 漁師としての顔だけではない。主に教育支援が目的の一般社団法人「Sweet Treat 311」の代表として、昨年春以降、津波で甚大な被害を受けた石巻市立雄勝中学校、同小学校などを対象に支援事業を展開中だ。震災後に関係を深めた東京都杉並区立和田中学校元校長の藤原和博や、作家の林真理子など錚々たるメンバーによる出前授業などを開催。さらに、東日本の食の復興とブランド化を目指す一般社団法人「東の食の会」の理事にも名を連ねるなど、立花はその活動領域を急速に広げている。

 全国各地から講演依頼も相次ぎ、今や新しい漁業の試みや被災地支援活動のキーマンとして存在感を増す立花。被災地支援関係者の間では「第2、第3の立花を作れ」が合言葉になりつつあるほどだ。だが、昨年3月までは誰一人として今の立花の姿を想像すらしていなかった。

 仙台市内で生まれ育った立花は東北大学卒業後、上京して伊藤忠商事に入社した。採用面接で「5年で辞めます」と公言するなど、当初から起業を思い描いていた立花。「ヒト、モノ、カネ、情報を短期間で学ぶには商社がいいと思った」と振り返る。

 入社6年目で退社し、個人飲食店向けの業務用食材などを販売する会社「エバービジョン」を立ち上げた。経営は滑り出しから順調に推移。一時は取引関係がある飲食店は2万店舗を超え、売り上げは20億円近くに達した。売り上げや利益を出すのに汲々とする自分の姿に次第に嫌気を感じながらも、経営者としてもがき続けた。

創業10年目の社長解任劇

 起業してちょうど10年目の2010年1月5日。立花を絶望の淵に追いやる出来事が待ち受けていた。朝のミーティングの冒頭、取締役の1人が口にしたのは、思いがけない言葉だった。

 「今日は臨時の取締役会にさせていただきます。立花さん、申し訳ありませんが、社長を辞めてほしい」

 増資を繰り返した結果、同社の立花以外の取締役は株式総数の3分の2を保有するファンド出身者になっていた。将来の売却を念頭に置いた動きだったが、立花は突然、手塩にかけて育ててきた会社を追われてしまう。

 収入源を断たれ、人生を全否定されたかのような事態に、普段は弱音を吐くことのない立花もさすがに動揺を隠せなかったという。それでも、その日の夜のうちに「自分でも驚くほど『ありがたい』という気持ちになっていった」と立花は振り返る。明日からは目の前の業務に追われ失いつつあったチャレンジする勇気を取り戻せる。これは、ビジネスの神様が自分に与えてくれたチャンスだ――。そう割り切ることができたからだという。

 立花の最大の理解者である妻の満美子の存在も大きかった。「また、デリバリーから始めればいいじゃない」。ハンバーガーチェーン店に勤務経験がある満美子は、10年前、立花が起業計画が固まらないまま伊藤忠を退社した日と全く同じセリフを口にし、夫を励ました。「おかげで、いつでもゼロから始められる。そう肝が据わりました」。

 ポジティブで、おおらかな妻の対応がいい流れを呼び込んだのだろうか。解任から1カ月後には、知人から奈良・薬師寺の敷地内にある空き家の再生事業への参画構想が舞い込む。立花がチームに加わってから程なく、レストランとギャラリーを併設した複合施設「薬師寺門前AMRIT」のオープンにこぎ着けた。目指すは日本の食文化と伝統文化の発信。それまでの効率性、利益追求一辺倒とは異なる事業コンセプトへとウイングを広げ、次の展開に思いを巡らせていた矢先、あの震災が起きた。

 昨年の3月11日。都内にいた立花は仙台市内に住む母の君子、妹の恵の安否を確認するため同市に向かった。無事に対面できた立花は2人を都内の自宅に連れて帰るや、登山用リュックに大量の支援物資を詰め、車で再び仙台に向かった。

 「見てしまったんです。食事もろくに取れない避難所の人たちの惨状を。後先のことは何も考えず、体が動いていた」。実家に泊まりながら避難所を回り、炊き出しや物資の配給などを手伝う。物資が足りなくなれば東京に戻りまた仙台へ。旧知の仲間も次第にそんな立花の活動に加わり出した。

 やがて縁もゆかりもない雄勝と立花を結びつけることになる2人の人物との出会いが待ち受けていた。その1人が昨年4月、知人の紹介で仙台市内のホテルで初めて会った雄勝中校長(当時)の佐藤淳一だった。

 「子供たちに腹いっぱい食べさせてあげたい」。佐藤はこう訴えた。

 震災で雄勝中は3階建ての校舎を超える津波に遭った。大半が自宅を失い、家族を亡くした子もいた。十数km離れた高校の一部を間借りし、学校給食は再開されたものの、パンと牛乳だけ。復旧が遅れたこの地域では、家に帰っても十分な食事ができない生徒が大半だった。

 佐藤は各方面に給食を充実させるよう掛け合っていたが、「1校だけ特別扱いはできない」と断られ、藁をもつかむ思いで立花との面会に臨んでいたのだ。後から批判されるリスクを恐れず、切々と訴える佐藤に突き動かされた立花は即答する。

 「分かりました。給食のおかずを作って学校まで届けます」

 頼る先は総菜店を切り盛りしていた君子と恵しかいなかったが、2人とも快諾。翌日から仙台市の実家のマンションで雄勝中の生徒や職員など100食分の給食作りが始まった。喜ぶ生徒らの笑顔を励みに、毎日片道2時間かけて雄勝まで手製の給食を運ぶ。そんな作業を繰り返すうちに、眼前の業務に追われ、経営や、働くことの本質的な目的を見失っていた立花は急激な心境の変化を感じるようになる。

 「目の前の人の喜ぶ姿のために感じたままにまず動く。それこそが自分の心の喜ぶ働き方ではないかと気づいた。いい行動ができれば、後から数字や結果はきっとついてくるはず。そう思うと、肩の力が抜けていきました」

 スイッチが入った立花をさらに雄勝にのめり込ませる契機となったのが、オーガッツ代表(株式会社化に伴い現社長)の伊藤浩光との出会いだ。

 伊藤は43歳で勤めていた運送会社を退社し、親から雄勝での養殖業を引き継いだ。しかし、主体的に流通に関与できず、漁業者の手元に小売価格の4分の1程度の金額しか渡らない実態に直面し、一念発起。ホヤなど水産物の加工に進出し、年間の売り上げを4000万円近くまで伸ばしていた。だがあの津波がすべてを流し去ってしまう。

 立花が憔悴しきった表情の伊藤と初めて会ったのは、昨年3月末、仙台市でのNPO(非営利組織)団体の連絡会議でのことだ。

 「俺は雄勝で漁師をやっている。家も船も、全部流された。でも俺は、雄勝のため、日本の漁業のために全く新しい漁業をやる」。食料すら不足する状況でもそう未来を語る伊藤に立花は引き込まれていく。

目指すは「儲かる漁業」

 「漁師の会社を作りたいと思っている。協力してほしい」。佐藤との縁で雄勝中などへの支援活動を続行していた立花に昨年6月、伊藤がこんな相談を持ちかけた。

 雄勝の漁業と自分の食品流通や食のビジネスのノウハウ・人脈が融合すれば新たな可能性が見えてくる。そう確信した立花に迷いはなかった。昨年8月にオーガッツを設立。10月には妻子を東京に残し、雄勝に住民票を移した。よそ者を簡単には受け入れない地方の港町の壁を実感する場面も増えていた。この地に根を張り、漁業の再生と町の復興に本腰を入れるとの覚悟の表れだった。

 オーガッツが目指すのは「儲かる漁業・消費者が関わる漁業」だ。6次産業化の推進に向け、漁協を通さず消費者と直接結びつく流通の仕組みを作り、雄勝の水産物のブランド化と出荷価格の底上げにつなげるのが狙いだ。

 文字通りゼロからのスタート。養殖の再開にこぎ着けたとはいえ、これまでのところ、出荷実績はワカメや銀鮭など一部にとどまっている。それでも、立花が中心となり、将来をにらんだ「出口戦略」の布石を矢継ぎ早に打っている。今年3月には「漁業とIT(情報技術)企業がコラボ」と銘打ち、日本マイクロソフトなど都内の大手IT企業の本社社員食堂で、ワカメの直売と、しゃぶしゃぶを実演するイベントを開催した。

 「持ち込んだワカメは昨年秋、今回賛同してくれた企業の社員が雄勝を訪れた際に種づけしたもの。東京の大手社員が漁業を身近なものに感じる。それは販路や交流人口拡大への一歩だと思う」。立花はこう強調する。

 今秋には東京・築地で雄勝産の魚介類を扱うイタリアン・バールの出店も計画中。雄勝の子供たちなどの職業体験の場とする構想もあり、民間主導の「開かれた復興」の1つの形として政府関係者なども注目している。

全国から講演の依頼が相次ぐ。藤原和博(左)とコラボする機会も増えた(写真:都築 雅人)

雄勝の未来は日本の未来

 震災後、見えない力に引き込まれるように雄勝の地にのめり込んだ立花。「どうして雄勝のためにそこまでやるのか?」と聞かれるたびに、立花はこう答えている。

 「雄勝のためだけでなく、日本の未来のためだから」

 少子化・高齢化や過疎化が進む地方はどう生きていくのか。全国的に直面するこの問題に対する1つの答えとなるモデルやノウハウを、すべてを失ったこの町で積み上げ、全国に伝えていきたい――。そんな思いが、立花を駆り立てている。

 そのためには、漁業や豊かな自然を生かした教育などこの町ならではの特色に磨きをかける。そして、町民と外から呼び込んでくる様々な人材とがタッグを組み、いい意味での“化学反応”を起こしていくことがカギになる。その一環として、立花は震災後、週2回のペースで雄勝と東京間を車で往復するたびに、若手官僚やサラリーマンなどの希望者を車に乗せ、雄勝へと案内している。現在までその数は延べ900人を超えた。

 参加者は養殖や雄勝中の行事などを手伝い、被災地の置かれる問題点を体感しながら、住民と触れ合う。夜はオーガッツの根城となる古民家で車座になり、この町のために何ができるのかを語り合う。そんなことを繰り返す中で、立花の思いに共鳴し、ともに行動する人の輪は加速度的に広がっている。人事院は今年入省したてのキャリア官僚の研修先として、雄勝での立花の活動に白羽の矢を立てた。立花の実家に寝泊まりし、住人と協議しながら、新たな地域再生プロジェクトを練り上げた。政策作りを担う官僚にとっても、立花が関わる雄勝での試みが貴重な現場体験の場になると評価してのことだ。

 「覚悟と可能性が見えているからこそ、俺も、いろんな人も、彼の活動を本気で支えていく気になる」。全国から多様な人材を雄勝でのプロジェクトに投入する一助を担う藤原は、立花の応援団の声をこう代弁する。

 もちろん、目の前には厳しい現実もある。会社経営時の借金を抱え現在の収入源はほぼ講演頼み。オーガッツの今後を左右する海産物については、安定的な販路の開拓など課題が山積している。妻子と過ごす時間も大幅に減り、立花をよく知る人間ほど陰で取り組みの持続性に懸念の声を漏らす。

 それでも、今の立花には、前に進むしかないと決めた人間の強さがにじむ。7月のある講演会で、立花は詰めかけた聴衆にこう投げかけ、万雷の拍手を浴びた。

 「私は後ろの扉を閉じたら、前の扉が開きました。被災地に象徴される日本の根本問題に今、取り組まないでどうするんでしょうか。どんな形でもいい。1人でも多くの仲間を増やしたい」

 無謀と紙一重の道をあえて進む。そんな人物が時代の変革のエネルギーになってきたことは歴史が示す通りだ。一度は地獄を見た男の挑戦が地域と日本の未来を切り開く。そんなことがあってもいい。

=敬称略(安藤 毅)

立花 貴(たちばな・たかし)
1969年   仙台市生まれ
94年   東北大学法学部卒業、伊藤忠商事へ入社
2000年   食品関連の「エバービジョン」を設立、社長に就任
10年   エバービジョン社長を解任され退社
11年   宮城県石巻市雄勝町を中心に支援活動を開始
漁師の合同会社「オーガッツ」発起人に
震災地で食と教育を支援する一般社団法人「Sweet Treat 311」代表に
ニューズウィーク日本版「日本を救う中小企業100」にオーガッツが選出される
日経ビジネス2012年9月3日号 116~119ページより目次