多くの企業が既存事業で行き詰まり、新たな成長事業の育成という課題に直面している。専門商社の内田洋行はいち早く同じ課題を抱え、2001年に第2の創業に乗り出した。そのために打った手は新人だけの研究開発部隊に委ねるという荒技。果たして成果は。

村 浩二(むら・こうじ)氏
内田洋行 事業開発センター センター長
村 浩二(むら・こうじ)氏 1964年生まれ。88年内田洋行入社、IT技術者として働く。2001年に新入社員だけを集めた「次世代ソリューション開発センター」のセンター長に就任。2011年から事業開発センター長を務める。

 「事態は深刻だぞ」

 こうした思いを抱いたのは今から14年前の1998年のことだった。同年7月期の決算で当初の黒字予想から一転して4期ぶりの経常赤字に陥ることが確実となり、久田仁社長(当時)が辞任し、向井眞一専務(同、現在は名誉会長)が社長に昇格した。創業家以外では初めての社長の誕生だった。

 赤字に転落した主因は、現在も当社の主力事業の1つであるオフィス家具の販売が落ち込んだこと。膨大な不良債権を抱えて業績不振に陥った金融機関など、多くの企業が机やいすを買い控えたことが大きく響いた。

 だが、私が懸念したのは、これらの表面的な影響ではなかった。水面下で当社の事業基盤を揺るがす大きな構造変化が起きていたからだ。

90年代末に構造変化の荒波

 当時の事業の柱は今と同じく、先に言及したオフィス家具を販売する「オフィス関連」、学校向けに実験器具などの設備を販売する「教育関連」、企業向け業務用ソフトや自社製パソコンを扱う「情報関連」の3つだった。

 このうちオフィス関連と教育関連では、商品の価格下落が進むと同時に、単に家具や設備を販売するだけでは大口取引の獲得が難しくなっていた。

 さらに情報関連でも、顧客である企業のニーズが、業務用ソフトや情報システムからインターネットを介したオープンな情報ネットワークの構築へと急速にシフトしていた。

 現在、日本の電機メーカーがデジタル化という大きな構造変化に対応しきれず、巨額の赤字を計上する事態に至っているが、このデジタル化と同様の構造変化に当社は90年代末の時点で向き合うことになったわけだ。

 いずれの事業でも、従来の事業モデルを改めて構造変化に対応することが必要だった。そのカギとなったのは、IT(情報技術)である。ネットを介した情報ネットワークの構築に需要がシフトした情報関連はもとより、オフィス関連や教育関連でも、ネットを組み込んだ商品を開発して、従来にはない新たな価値を顧客に訴求することが求められたからだ。

 ただし、こうした転換を実現するには大きな障害があった。情報関連事業に携わるエンジニアたちは、それまでの主軸である業務用ソフトが専門。ネットワーク対応のプログラミング言語「Java」や、拡張可能なマーク付き言語「XML」、無償OS(基本ソフト)の「Linux」など、ネットを活用した情報ネットワークに必要な技術やソフトに精通した者はほとんどいなかった。

 当時、中堅・中小企業向けの業務用ソフトを開発する責任者の立場だった私は、こうした実情を向井社長に直訴し、社員の育成に力を入れて新たに必要な技術やソフトについての知識を習得させるよう主張した。向井社長は私の言うことを聞き入れ、「第2の内田洋行を創れ」とハッパをかけられた。

 新たなITの技術や知識を身につけて、第2の創業に挑む。その実行部隊として私が立ち上げたのは、メンバー全員が新入社員という異例の研究開発部署だった。

 全員が新人と聞くと、「何と大胆なことをしたのか」と思われるだろう。実際、当時の社内でも疑問の声が大勢を占めた。自分の部署に新人が配属されないことに対する不満も随分と耳にした。これらの反応は事前に予期してもいた。にもかかわらず、新人だけにしたのは、次のような事情からだ。

メンバーを新人だけにした狙い

 情報関連事業を手がけているSE(システムエンジニア)などの既存の技術者たちは、新たな技術に精通していないだけでなく、変化する技術を習得する時間も事実上なかった。

 無理はない。当時は全社を挙げて業務用ソフトを大々的に販売していたからだ。さらに、業務ソフトの専門家としての自負がある彼らにオープンシステムの重要性を理解してもらうことは難しい面もあった。

 それなら、まだ白紙のキャンバス状態で何色にも染まっていない新人たちに託した方がいい。若いだけに新しい知識の吸収も速い。それに第2の創業を目指すのは、新たにベンチャー企業を立ち上げるようなもの。そのメンバーとしても若くて意欲に満ちあふれた新人たちがふさわしいと思った。

 向井社長からは全面的な支持を得て、2001年7月に新人だけで構成する「次世代ソリューション開発センター(以下、次世代センター)」を発足。まずは同年4月に入社した新卒の全員に当たる35人と2年目の社員を配属し、私は総勢48人のセンター長に就いた。

 次世代センターのメンバーには、社内よりも社外に目を向け、自社にはない技術を習得し、新しい事業の芽をつかんでもらわなくてはならない。それを徹底させるため、ほかの部署の社員との接触を禁じた。食事や会議も別。会話を交わしてもならないという徹底ぶりから、社内では「鎖国教育」と呼ばれた。こうした環境の下で次世代センターに配属された新人たちは、とにかく顧客企業や大学などに足を運んで、新しい知識の習得や新規事業のシーズ(種)探しに力を注いだ。

 もっとも、メンバーの全員がそうした姿勢を貫いてくれたわけではない。センター長の私を除けば、ほぼ新人しかいない部署だ。メンバーにはもともとITへの適性が高い新人を配属していたものの、新しい技術などへの関心や習得意欲だけではモチベーションを維持するのは難しい。もともと畑違いとなる教育関連事業に関心が高い新人も少なくなかった。いつ成果が出るか分からない部署での仕事に不安を募らせて耐えきれなくなる者も出た。その場合には無理に引き留めず、社内のほかの部署に異動させた。

 新しい技術の習得がある程度進んだ段階で、商品やオフィスの室内空間のデザインを手がける社内デザイナーとだけは協働を促した。これは、次世代センターのメンバーたちが新技術の習得などを通して考えたアイデアを実際の商品の形に試作するためである。

 さらに、向井社長直轄の組織として、ほかの部署の干渉を完全に防ぎ、研究開発のスピードアップを図った。

 次世代センターとデザイナーの協働の第1号となったのが、2003年に試作した「スマートパオ」という名の室内空間の可変システムである。

 基本的な仕組みは、次世代センターのメンバーが慶応義塾大学との共同研究を通して考案した。モンゴルの「パオ」と呼ばれる移動式住居にヒントを得て、アルミのパイプで枠を組み、既存の部屋の内部に、枠で仕切られた思い通りの大きさの空間を作り出す。デザイナーの力も借りて試作したシステムを、試しに企業や大学に売り込んでみると、思いのほか売れてその年の売り上げは3億円に達した。

鎖国を解いて商品化を加速

従来はオフィスに机やいすといった家具を単に売るだけのビジネスを展開。新しい組織の設立を機に、部屋の空間を新しく使う発想や、自分の資料をパソコンから好きな場所に投影できる技術を次々と開発した。空間内の照明やプロジェクターなどは「codemari」というアプリを入れた端末で自在に制御できる(写真右下:村田 和聡)

 このように社内でも秘密裏に新商品の研究開発を進めてきたが、2005年の年末についに鎖国が解かれる。スマートパオを発展させた新たな空間可変システムや無線を利用したプロジェクター投影システム、照明制御技術を社内外に発表したのだ。

 このタイミングで「開国」した背景は、新商品の種が揃ってきたことに加え、業績の低迷から新規事業の立ち上げが急がれたという事情もあった。初めて姿を現した新人部隊の成果に対して、社内には「こんな研究をしていたのか」と感嘆する人たちがいる一方、「ビジネスになるのか」と疑問を呈する向きも少なくなかった。

 だが、次世代センターはそうした懸念を押しのけ、ほかの部署と手を組んで新商品の開発を進める。そうした中から商品化され、主力商品の1つとなっているのが、スマートパオの進化形である「スマートインフィル」だ。これまで約420件の納入実績がある。

 スマートインフィルは「賢い内装」という意味。具体的には、アルミのパーツで柱と梁を組み、パネルをはめ込んで、既存の部屋の内部に新たな部屋を作る。パーツやパネルには情報通信機器や照明器具を自在に取りつけられるようになっており、新たな室内に無線を飛ばして、無線LAN(構内情報通信網)を使うこともできる(上の写真)。今年2月から利用している顧客の三井情報からは「社員の活性化につながった」と評価されている。

 無線LANを利用して、室内のパソコンやスクリーン、照明、スピーカーといった機器をスマートフォン(高機能携帯電話)やタブレット(多機能携帯端末)で操作する制御アプリケーションソフトが「codemari(コデマリ)」だ。スマホやタブレット上でこのアプリを起動させて、機器を操作する。これも次世代センターが開発した。学校にも販売。導入先の1つである甲南大学では、「従来型の一方的な授業が変わり、先生と学生の議論が活発になった」と聞く。

「codemari」の活用例。甲南大学ではこのアプリを使って双方向授業を行っている(写真:山田 哲也)

 新人だけを配属した次世代センターには、最も多い時には74人が勤務していた。今では新人の配属も1ケタに絞って、昨年には「事業開発センター」に名称を変更した。有望な新商品を出してきたとはいえ、まだ「第2の創業」と呼べる強固な事業の柱を作るまでには至っていない。

 一方で、次世代センターでの試みを通して、新しい商品や事業を生み出す条件が鮮明になった。例えば、もし新人だけの部隊にしなかったら、スマートインフィルのような商品を開発できなかっただろう。

 何も必ず新人でなければならないわけではない。重要なのは、既存の事業にしがらみがなく、さらに固定観念にとらわれない人に任せることだ。そうでなければ、大学との共同研究でモンゴルの「パオ」にヒントを得るなどということも起きなかったはずだ。

 さらに、既存の部署の干渉をできるだけ排除することもカギの1つだと言えるだろう。それができたのは経営トップが強力にサポートしたから。これらの経験をさらに生かして、新商品や新事業の開発につなげていきたい。

 次世代センターでは、商品化に長けた大資本メーカーと競合せず、彼らも味方につけるようにした。そしていろいろな製品をうまく束ねて、顧客の使いやすい「場」を作るのが、当社が目指している姿だ。

自ら試して新商品開発につなげる

 投影システムを例に取ると、プロジェクターなどの機器やcodemariをダウンロードするスマホやタブレットは、複数のメーカーに対応している。どんなに優れた商品でも、変化が速い今の時代にはすぐに陳腐化する恐れがある。そこで、あえてかっちりと作り込まず、変化に柔軟に対応できるようにしているのだ。

 今年1月に完成した新しいオフィスでは、新たな室内環境の利用法や働き方を社員が自ら試している。全館に無線LANやLED(発光ダイオード)照明を取りつけ、空間を自動制御。人がいないと、それを感知して照明が消える。営業の社員は固定の席を持たず、自分の仕事の内容に応じて働く部屋を選び、その室内に組み込まれた機能を有効活用する。こうした経験を通して得られた知見を新たな商品やサービスの開発につなげるのが狙いだ。

 日々複雑さを増す情報と空間、システムをつなぎ、顧客の成長に貢献するのが当社の存在意義だ。このことを肝に銘じて、これからも単にモノやシステムの販売に終わらず、社会に新たな価値を提供していきたい。

革新を追求する姿勢は定着したか

 内田洋行が堅実な中堅商社から脱却するには、社内外に明確なメッセージを発信する必要があった。ITとデザインに詳しい新人を集め、会社を変えようとした。

 もっとも当初は、新人たちが新しいモノを本当に創り出せるかというと、そう簡単にはいかないと思っていた。それでも彼らは、大学の先生やほかの会社の研究者と交流しながら、独自のモノを生み出そうとした。その影響を受けて、既存の事業部門も変わっていくという副次的な効果も得られた。次世代センターの新人たちは成長し、現在は変革のドライバーになっている。

 情報事業では社内SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)や図書館の貸し出し・返却システム。環境事業も生まれた。教育事業には「未来の授業」を導入。オフィス事業にも情報を自由に取り出せる「ユビキタスプレース」ができたが、もっと人の活性化や組織の成長につながる場を顧客に提供する。業績は苦しいが、新規オフィスの増加を受けて反転攻勢に出たい。 (談)


 2001年に入社し、配属されたのが次世代センターだった。学生のような若いノリがあり、良い意味で頑張ろうという勢いがあった。相談できる相手はいない。試行錯誤の毎日だった。しがらみのない面白い試みだったが、成果を出すのは難しかった。一方で新組織がなければ挑戦する気質に欠ける会社になったかもしれない。今は社内SNSの事業をしており、近く売り込みを始める。(談)


 私も2001年に入社し、次世代センターに配属された。先輩は少なく、組織の中で上下関係はなかった。仕事の自由度が高い一方、いつでも自分で考える必要があり、社外のネットワークを積極的に作った。旧来の事業部で育ったらモノの見方が変わったかもしれない。新しく発足したECO事業部で働いており、エネルギーを効率的に制御するシステムを広めたいと思っている。 (談)

(構成:馬場 燃)
日経ビジネス2012年7月2日号 90~93ページより目次