ミャンマーのテイン・セイン大統領(左)とインドのマンモハン・シン首相(写真:AP/アフロ)

 私は2001年から2年間、外務省でアジア地域との関係を担当する局長であった。それから10年経って、劇的に変化したのはインド及びミャンマーとの関係である。インドもミャンマーも親日的感情を持った国であり、当時から何とか関係を発展させたいという思いは強かった。近年の両国との関係の飛躍的な発展は、両国を取り巻く戦略的環境の変化がもたらした側面が強い。

 10年前、日本とインドの関係前進のきっかけとなったのは、2001年の「米同時多発テロ」であった。「テロとの闘い」で重要と考えられたのはパキスタンとの関係であり、タリバン排除に同国の協力を確保することが必須であった。このため米国や日本は1998年の核実験で凍結していた援助を再開することとした。ところが、対パキスタン制裁解除は、同時期のインドの核実験により導入した対インド制裁の同時解除につながった。

 インドは円借款停止解除後、2003年には円借款の最大の受け取り国となった。その後、日印関係は目覚ましく進展し、2011年の貿易額は2003年の3倍、日本の対印直接投資も2003年水準の10倍である。

 この背景にはインドが過去5年間で平均約9%の成長を遂げてきたことがあるが、地政学的要因も大きく寄与している。2000年代の最初の10年は中国の著しい台頭に象徴される。その中国と向き合っていく中で米国や日本にとって民主主義国インドとのパートナーシップ強化は重点施策となった。

 しかし、それでも中国との関係のレベルにははるかに及ばない。日印間の貿易額や訪問者は日中間の20分の1の水準である。関係が発展する余地は十分あるということだろうが、留意しなければならない阻害要因も多い。

 1つには、インドが最大の人口大国となっていく過程で、インフラの整備や膨大な所得格差などの深刻な国内課題に有効に対処できるかという問題だ。さらに、米軍撤退後のアフガニスタン情勢及びパキスタン情勢が悪化すれば、カシミール問題などインドとパキスタンの関係も緊張度を高める結果となりかねない。

ミャンマーの発展を頓挫させるな

 ミャンマーについては関係改善の大きなうねりが始まったばかりである。これまでは軍事政権が民主化を妨げてきた。その結果、西側諸国との関係は停滞する一方、エネルギーを求める中国の進出は顕著であった。

 日本もミャンマーの民主化実現に努力してきた。私は何度もミャンマーを訪問し、民主化のロードマップの必要性や国際社会からの支援について当時のキン・ニュン首相やアウン・サン・スー・チー氏と長時間話し、展望が開けたかと思った時期もあった。

 しかし、その後軍事政権の巻き返しがあり、民主化は頓挫した。それから10年経ってテイン・セイン政権の下でのスーチー氏の国政の舞台への復帰など、民主化の流れやこれに応えた国際社会の制裁解除の動き、さらには国内制度改革が各国企業のミャンマー進出ブームを生んでいる。

 とはいえ、発展の阻害要因が解消されたわけではない。民主化がさらに進むのか、軍の経営する企業などの既得権益を排除して市場の開放を進めることができるかは大きな課題であろう。さらに、多数の武装少数民族との停戦合意は存在するにしても、恒久的な平和を構築できるかという問題もある。東南アジア諸国連合(ASEAN)の一員であり、日本との伝統的関係も強いミャンマーの民主的発展を今度こそは頓挫させてはならない。

田中 均(たなか・ひとし)氏
田中 均(たなか・ひとし)氏 1969年外務省入省。アジア大洋州局長、外務審議官などを務めた。2005年退官後、財団法人日本国際交流センターのシニア・フェロー、2010年10月から現職。


(写真:都築 雅人)

日経ビジネス2012年7月2日号 122ページより目次