2011年10月、「日本産業界の裏庭」とも言われるタイを大洪水が襲った。被害は現地の工場だけでなく、サプライチェーンを通じて世界に広がった。日本企業の復活には、既存の供給網の全面的な見直しが欠かせない。

水が引けた直後、タイ・アユタヤのホンダの工場敷地内

 広大な工場敷地内の一角で、スクラップマシンが鈍い音を立てて、自動車を1台、また1台と押しつぶしていく。

 「まるで自分の子供のようで見ていられない...」

 ホンダの4輪車生産子会社ホンダ・オートモーティブ・タイランドの伊東勲副社長は言葉を詰まらせた。水を吸ったシートからは、クルマを潰すたびにボタボタと汚水が流れ出てくる。ここで処理されるクルマは、わずか数十m離れた工場棟で生み出され、誰の手に渡ることもなく、廃棄処分されていく。自ら生んだ我が子を、自らの手にかける。そんな残酷な光景が現場には広がっていた。

 昨年10月8日夕刻、タイ・アユタヤ県のロジャナ工業団地に、未曾有の大洪水が押し寄せた。ホンダの工場の目の前を流れる小川の堤防を決壊させた水は、じわじわと水位を上げ、わずか1日で2mを超える高さに至った。水がその場にとどまり続けた1カ月超という期間は、工場の設備や出荷を待っていた1055台の完成車を廃棄に追い込むのに十分な時間だった。

 被害に遭った完成車の多くを占めたのが、ホンダが昨年春に発売したばかりの小型車「ブリオ」。出遅れた新興国の低価格市場で巻き返しを図るべく、社内で幾多の紆余曲折を経て開発された戦略小型車だ。難産の末、ようやく量産にこぎ着けた矢先、洪水によって泥まみれになり、スクラップの順番を待つ無数のブリオ。伊東副社長の表情には悲哀がにじむ。

水に浸かった小型車「ブリオ」は販売されることなく、スクラップの順番を待つ(写真:Vinai Dithajohn)
人の背丈を超える水位の水は工場設備に壊滅的な打撃を与えた(写真左)
水が抜けた後は、工場内に設備や資材が散乱していた(写真右)

 取材に訪れた今年1月末からちょうど1年前、記者はブリオの生産立ち上げに沸く同工場を取材した。その際の記憶とは全く異なる、にわかに信じがたい景色が工場内には広がっていた。

 「がらんどう」―― 。この言葉しか、工場内の光景を的確に言い表す言葉が見つからない。

かつて所狭しと設備が並んだ工場内はがらんどうに(写真:Vinai Dithajohn)

 本来、自動車工場であれば、所狭しと生産設備が配置され、部品トレーを載せた自動搬送車が通路をせわしなく行き来し、多くの従業員が目の前の作業に黙々と打ち込む。しかし、工場の中では、大型のプレス機や射出成型機など一部を除いた、大半の設備が洪水によって壊滅的な被害を受け、撤去されていた。

 メーカー独自の工夫が各所に凝らされた組み立てラインも、切削油のにおいが鼻を突く金属加工設備もない。ただ、洪水によって押し寄せたヘドロの残臭がわずかに漂うばかりだ。同じ工場敷地の片隅では、廃棄された生産設備の山が保険会社の査定を待ち、野ざらしにされている。

昨年10月当時、工場への唯一のアクセス手段はボートのみだった

 1カ月以上に及ぶ浸水は、機械のサビこそ発生させなかった。しかし、水によって設備の電気系統が甚大な打撃を受けたうえ、2m超の水位は床付近で数トンの水圧となってのしかかり、多くの設備を損壊させた。工場の周囲を見渡すと、どこからか漏れ出した重油や化学物質によって、枯れ果てた草木も目につく。

 ホンダでは排水が完了した昨年11月末以降、再稼働に向けた作業を順次始めた。床にこびりつくヘドロを洗い流し、廃棄する設備を搬出。敷地内の枯れた芝生も張り替えた。そして水に浸かったクルマは販売しないという姿勢を打ち出すため、1055台の完成車を自らの手でスクラップしている。

工場の敷地内では、廃棄車両のスクラップ作業が進む(写真:ロイター/アフロ)

 この間、工場の稼働は当然ゼロである。東南アジアの4輪車生産拠点の中枢であるタイの被災によって、部品供給を受けていた周辺地域の工場にまで影響は及んだ。現在は、タイ政府による被災企業への支援策として輸入車関税が免除されたこともあり、工場が正常に稼働する日本から「アコード」や「ジャズ(日本名フィット)」を輸入し、何とかディーラー網を維持している状況だ。

 ホンダは被災したタイの4輪工場をこの3月末にも再稼働する計画を掲げている。既に設備業者も含め、数百人規模の人員が工場復旧のために応援として現地入りした。「洪水を乗り越えてホンダは強くなる」と伊東副社長は強調する。

洪水の損失額は1100億円

 だが、前途は険路だ。

 全滅に近い状態の工作機械の類は他の競合企業との間で奪い合いの状態で、目標とする時期までに必要数が揃う保証はない。その中で、一から精緻な生産ラインを組み上げなくてはいけない。半年近く現場の作業を離れた従業員の訓練も同時並行で進めなければ、往時の生産性、コスト、品質は担保できない。

 ホンダは今回の洪水で2012年3月期に、営業利益ベースでおよそ1100億円分の損失を被った。設備や製品・部品在庫の直接被害に、工場稼働の停止による販売機会の逸失が重なる。東日本大震災の影響もあり、通期では前期比65%の営業減益となる見通しだ。「たぐいまれなる異常値」。池史彦・専務執行役員はこう表現する。

 東日本大震災がそうであったように、タイの洪水はいともたやすく、無慈悲に、産業の基盤を奪い去った。ホンダに限らず、現地に拠点を構える日本の代表的な製造業は、静かに押し寄せる洪水の前では無力そのものだった。ソニーもその試練を受けた1社だ。

 ホンダが入居するロジャナ工業団地と同じアユタヤ県のハイテク工業団地。ソニー生産本部の岸田光哉・副本部長は腰まで水が押し寄せる昨年10月半ば、覚悟を決めた。

 「会社の生命線を握るデジタル一眼カメラ事業を何としても救わなければならない」

 業績不振が深まるソニーのエレクトロニクス事業において、デジタル一眼カメラは数少ない高収益源だ。その工場がハイテク工業団地内にあり、岸田副本部長は洪水被害を受けて、急遽東京から駆けつけた。

 操業停止が長引けば、業績への打撃は計り知れない。岸田副本部長は惨状を目の当たりにしながら、その場で工場の移設を決断した。幸いデジカメの生産設備は、自動車用の設備と違ってさほど大きくない。浸水を免れた機材を運ぶこと自体は不可能ではない。

 タイ有数のリゾート地であるパタヤビーチなどからプレジャーボートを4隻チャーターして、工場内に残る機材や部品を運び出した。浸水していない土地に設置したコンテナを船着き場として工場との間を幾度となく往復した。

 ボートで救い出した装置や部品はバンコク東部のアマタ工業団地まで移送。アマタのビブーン・クロマディットCOO(最高執行責任者)が「洪水被害が及ばない土地に開設した」と言う団地内に、ソニーのカーオーディオ工場が無傷で残っていた。ここにデジタル一眼の製造ラインを急ごしらえで立ち上げ、11月7日に稼働した。パーソナル イメージング&サウンド事業本部の高木一郎・本部長は「奪われたシェアは奪い返す」と決意を新たにする。

 それでも、大洪水が残した傷は深い。11月11日に予定していた新型デジタル一眼4機種の発売は延期を余儀なくされ、需要が高まるクリスマス商戦を逸することになった。

 ソニーは東日本大震災の際、部品の調達先が被災し、ビデオカメラなどの生産に支障を来した。機種ごとにどのメーカーからどのような部品を調達しているか、リストを作って把握するだけで3週間かかり、調達先の被災状況の確認、代替メーカーの確保を経て、生産を再開するまで製品によっては約2カ月を要した。

 それに比べれば、今回は部品調達先のリストが既に手元にあった分、当時の半分の約1カ月で生産を再開できた。「震災の経験が生きた」(高木本部長)。という。とはいえ、熾烈を極める世界的な市場競争の中にあって、1カ月の空白期間は大きい。ソニーは洪水による損失を700億円と見積もる。

14社超が工業団地撤退

 タイ中央部のチャオプラヤ川流域は、南北100kmの間の起伏が十数mという平坦な地形で、規模の大小を問わなければ洪水は毎年の恒例行事。むしろ、川の氾濫によってもたらされる豊かな栄養分を糧に、人々はいにしえの昔から稲作を営んできた。

 この土地に工業団地が出現するようになったのは、1990年代以降、自動車産業を中心とした製造業の本格的な誘致を政府が進めてからだ。無論、政府も洪水の危険性を認識しており、整備された幹線道路に盛り土をするなどの対策を講じてきた。しかし、「50年に1度」「タイ近代史上最大」ともされる大洪水は、安全を売り物としていた工業団地の堤防を実にあっさりと切り崩してしまった。

 タイ中央部では最北に位置するサハラタナナコン工業団地。北部から寄せてきた洪水は、最初にここを直撃した。

 ホンダ系プレス部品メーカー、丸順のタイ工場には、実に3mを超える水が押し寄せた。同社の生産本部長、齊藤浩取締役は「打つ手がなかった」と振り返る。約2カ月にわたって1階部分が浸水。製品や在庫で8億円分、設備でも新規購入した場合、30億~40億円に相当する被害を生み出した。

 地元紙の調べでは、サハラタナナコン工業団地に入居する42の企業のうち、14社が移転、撤退を決めているという。齊藤取締役は「肌感覚としてはもっと多いのではないか」と見る。実際、工業団地を見渡すと保険会社の査定のために廃棄設備を屋外に出したまま、人の気配がなく、放置された工場も目立つ。団地内のある企業は、取引先の大手メーカーから「その場に残るのなら関係を見直す」と、取引停止をほのめかされ撤退を迫られたという。

 丸順は、被災していない現地の取引先から3カ所の工場の一角を間借りし、日本から輸送した設備を急仕立てで立ち上げた。主力の納入先であるホンダの工場は被災し、稼働を停止しているが、他の自動車メーカーとの取引もある。さらに、「世界でもタイでしか作れない部品が2、3ある」(齊藤取締役)ため、操業はストップできない。

 今後は、サハラタナナコンの工場の再稼働に向けた準備も進めつつ、18年間を過ごした同工業団地を離れ、別の場所へ工場を移転することも検討する。工業団地には属さず、高台に自らインフラを敷設し、洪水から自衛できる体制を整える考えだ。

 ただ、現地に進出しているすべての中小企業が丸順のような対策を打てるわけではない。大手メーカーであれば資本力や、今後の防災対策などについての政府への働きかけによって、その場に工場を残し続けることはできる。しかし、洪水を機に事業の継続性すら危ぶまれている中堅、中小規模の企業は少なくない。そうなれば、日本の製造業にとって極めて重要な戦略拠点、タイは根底から揺らぐことになる。

 「日本産業界の裏庭」。タイはしばしばこう言い表される。法人税や関税の恩典といった政府による戦略的な外資企業誘致、優秀で豊富かつ安価な労働力、日本人がなじみやすい国民性や文化を背景に、日本の製造業はこの20年ほどの間、急速にタイで生産拠点を増やしてきた。

 今回の洪水では半導体大手のロームの被災ばかりが注目を浴びたが、自動車産業では2次、3次の下請けも含めれば実に2000社超がタイに進出し、40万人ほどの雇用を抱える。電機でもHDD(ハードディスク駆動装置)やデジカメでタイは世界有数の生産地となっている。タイにとっても国内投資の過半を日本企業が占めており、両国は「切っても切り離せない産業連関がある」(日本貿易振興機構=JETRO=の井内摂男バンコク事務所長)。

洪水が北から工場をのむ
台風や豪雨などの異常気象で、洪水は北から南へと寄せた。チャオプラヤ川流域の工業団地が次々と被災し、水の量は琵琶湖1杯分とも

タイ大洪水の被災工業団地図

出所:日本貿易振興機構資料を基に作成
写真:AFP=時事
写真:AFP=時事
写真:AFP=時事

供給網寸断で被害が拡大

 そんなタイを襲った大洪水。タイ政府の公表では、被害総額は約1兆3000億バーツ(3兆4000億円強)に達し、第一生命経済研究所の試算では、2011年10~12月期における日本企業の連結業績において、経常利益を1兆円強押し下げたという。

 なぜ損害がここまで膨らんだのか。それは、直接被害のみならず、製品や部品、材料の供給の寸断、つまりサプライチェーン(供給網)がダメージを受けたことによる間接被害が極めて大きかったからだ。

 自動車では、タイからの部品供給が滞ったことで、現地での完成車生産だけでなく、日本や欧米の工場までその影響が及んだ。タイ日本通運の香山健一社長は、「部品などの輸送量は洪水以降、落ち込んだ状態が続いている」と言う。電機も同様で、タイが一大生産拠点となっているHDDの供給がストップしたことが、パソコンやサーバー生産の世界的な停滞につながった。

 曙ブレーキ工業も、今回の洪水により、自動車メーカーへの部品供給に支障が出た企業の1つだ。生産子会社を持つバンコク南東部のチョンブリ県は、アユタヤ周辺に比べ新しい工業団地で、地勢条件から洪水被害は免れた。にもかかわらず、同社は昨年10~11月におけるタイの売上高が当初計画から7割減った。自社工場に被害はなくとも、タイ国内の仕入れ先企業が洪水で被災したためだ。

 急遽、仕入れ先の日本拠点から部材を運ぶことで12月には稼働を再開したものの、現在もなお部品需給は逼迫し、「生産が追いつかない状況」(現地生産子会社の関根冬樹社長)が続いている。同社がタイで生産している自動車部品の約5割は輸出向け。世界に広がるタイ生産麻痺の余波を抑えるべく、完成車メーカーの間で部品の取り合いが続いているためだ。

 現地の部品倉庫の被災も混乱の波にのまれた。住友商事系の住商グローバル・ロジスティクス(SGL)では、バンコク北部のナワナコン工業団地内の本社倉庫が直接被災し、出荷するはずだった荷物の2割がダメージを受けた。世界的な部品不足が進むにつれ、何とか預けてある荷を取り出せないかという顧客からの要請が相次いだ」(SGLタイランドの田崎達郎社長)という。同社ではタイの本社機能をナワナコンからバンコク市内に移管。ナワナコンの拠点は残しつつも、バンコク南東のレムチャバン港近隣の倉庫の機能拡張を検討中だ。

それでもタイから出ていけない

 堅固な堤防を造ろうとも、自然災害を前になすすべはない。そしてその影響は、サプライチェーンという産業の連関を伝って世界中に広がる。昨年の大震災に続いたタイの大洪水は、日本企業にそんな教訓をもたらした。

 ここまで甚大な被害が出た以上、部品の調達にしろ、製品の組み立てにしろ、タイをサプライチェーンに組み込む多くの日本企業は、今後、現状の調達・供給網を見直さざるを得ない。

 世界的に異常気象が頻発する中で、いつまた同規模の洪水が発生するか分からない。加えて現地では、インラック政権の指導力への懸念や高齢のプミポン国王の健康問題など、政情不安も横たわる。洪水直後の政府の対応も後手に回った感があり、日本の政府、企業の支援や圧力によって危機をどうにか乗り越えた感は否めない。

 とはいえ、タイに取って代わる「代替地」をこれから探すという解は恐らく得策ではない。たとえ日本の中小企業の一部が洪水を機に撤退したとしても依然として「タイは新興国では突出した産業の裾野を持つ生産拠点」(丸紅泰国会社の伊佐範明社長)。それをたやすく手放すことは、経営への打撃となりかねない。

 ロジャナ工業団地に生産拠点を持つ、オムロンの車載部品事業会社、オムロンオートモーティブエレクトロニクス。昨年10月10日には2工場のそれぞれ1階に配置していた生産設備の大半が水に浸かり、設備の全面的な壊滅、生産停止という深刻な現実を突きつけられた。しかし、直後に全社で掲げた方針は明快だった。「タイから逃げ出さない」。浸水から5日後には、2階部分に保管していた自動車部品の部材の搬出を始めた。一度に運び出せる部材は輸送用パレットでわずか3~4個分。それでも水に浸かったままの工場へと通い、それらを日本へと送り続けた。

 日本側は限られた条件の中で代替生産の態勢を整えるため、設計変更や部品の認証を済ませ、長野県飯田市の拠点に生産ラインの設置を進めた。部品や材料、金型などを融通するため、日本のほか、中国や英国など、世界中の拠点や他の事業会社がこの間も絶えず会議を開き、協力体制を敷いた。

 この3月1日、同社は洪水時に建設途中だった新工場を操業し、そこで事業を本格的に再開した。現地法人の山戸雅貴社長は「ここが洪水からの復興のマイルストーン。今後10年で事業を3倍に拡大する」と断言する。

 JETROの井内氏も、「マクロ経済の状況はむしろ日本よりもいい。2015年の東南アジア諸国連合の経済統合に向け、周辺国の製造業を引っ張っていく存在になる」と、今後の世界経済におけるタイの重要性を強調する。

 実際、タイ国家経済社会開発委員会(NESDB)が発表した2011年の実質GDP(国内総生産)成長率は、前の年の7.8%から0.1%へと下落し、ほぼゼロ成長を記録したものの、2012年の成長率は復興需要を織り込み、5.5~6.5%を見込んでいる。

写真:AP/アフロ

 タイをサプライチェーンから外す選択が現実的でないとすれば、多くの日本企業が打つべき手は1つしかない。既存の調達・供給網をベースに、サプライチェーンのリスク許容度を上げることだ。「有事は10カ月に1度」からは、そのための具体的手法を展望する。

日経ビジネス2012年3月5日号 29~34ページより