2億3000万人の国民を抱えるインドネシアは有望な消費市場だ。1人当たりGDP(国内総生産)は3000ドル(約23万4000円)を突破した。早くに進出した日本企業は中間所得層の消費開拓のために戦略を練り直す。

 「正直言ってここまでうまくいくとは思わなかった。大きな賭けだった」。こう話すのは、楽器製造販売のヤマハの販売子会社、ヤマハ・ミュージック・インドネシア・ディストリビューター(YMID)の井ノ本泰章氏だ。同国で音楽教室の展開を担当する。ヤマハはインドネシアで約3万9000人の生徒を抱える。日本以外の国では最多である。 来年で教室開設から40周年。過去も現在も楽器販売、音楽教室のいずれでもインドネシア国内ではライバルは見当たらない。ただ生徒数は、2000年に入ってから2万人台を行ったり来たりする横ばい状態にあった。

店舗標準化プロジェクトできれいになったヤマハ音楽教室の様子。以前は富裕層に多い中国系の子女が生徒の大半を占めていたが、「プリブミ」と呼ばれる非中国系インドネシア人も増えてきた

 そこで2007年から3年がかりのてこ入れ策として導入に踏み切ったのが、「店舗標準化プロジェクト」だ。歴史の長さは、各地の教室の施設や機材の老朽化につながっていた。そこで生徒たちが使用する楽器や教室が入居する建物の外装なども含めた全面リニューアルを計画した。

 ただ、ここでヤマハは施設の運営に当たるディーラーの猛反対に遭う。必要な数百万円という設備投資がディーラー側の負担であったことに加えて、新装リニューアル後には授業料を値上げすると発表したからだ。

 約50社あるディーラーの大半は、少数派ながらインドネシア経済に強い影響力を持つ中国系インドネシア人がオーナーだ。彼らの協力なしには、教室ビジネスの将来はない。実は過去、ヤマハは何度もリニューアルに踏み切ろうとしてきたが、そのたびにディーラーの反発を受けて断念してきた。だが、今回は違った。ヤマハはディーラーの離脱を覚悟のうえで、リニューアルを強行したのだ。

「質」の向上が客を呼ぶ

 結果的に、ヤマハの見立ては正しかった。リニューアル後には生徒数は50%増え、さらに1人当たり授業料は平均1600円から4000円へと倍以上に伸びた。ディーラーは30社離脱したが、ヤマハの成功を見た35社が新たに加わった。

 2010年、インドネシアではついに1人当たり名目GDP(国内総生産)が3000ドル(約23万4000円)を超えた。3000ドルは耐久消費財の普及が加速する目安と言われる。つまり、中間所得層が生まれ始めたことを意味する。となれば、高価な楽器を手にする中流層も徐々に厚くなるはず。ヤマハはそう踏んだ。

 教室のリニューアルは、そのための布石だ。狙いは「質」の向上とブランドの再構築である。値上げした授業料は、教室の施設への再投資や講師へのレッスン料の引き上げに回した。ヤマハは標準化プロジェクトを機に単価を引き上げて、高価格のサービスとしてのブランド立て直しを図ったのだ。

 じわじわと拡大する中間所得層に対して、商品やサービスの単価を下げることで間口を広げるという選択肢もあったはずだが、ヤマハはあえて「高級化」路線を選んだ。それはなぜか。

 ヤマハグループのインドネシア地域代表を務める、鶴見照彦YMID社長は「まだ本当の意味での平均的な中流の消費層は現れていない。だから中途半端な値下げをしても顧客はつかまえられない」と説明する。

 確かに1人当たり名目GDP3000ドル突破という事実は、インドネシア経済の勢いを示すものだ。実際、近年、ジャカルタ市内には大型ショッピングモールが次々に建てられ、店内には海外の高級ブランド商品が並んでいる。そして、人口は東南アジア諸国連合(ASEAN)では最多にして、世界第4位の約2億4000万人に達する。

 それでもジャカルタとそれ以外の都市では収入に大きな格差がある。1人当たりGDPで見れば、ジャカルタは8000ドル(約62万4000円)以上、それ以外の都市は2000ドル(約15万6000円)に満たない。

 一般に中流層と言われるのは、年間の世帯年収が5000~3万5000ドルに相当する人たちだ。下のグラフにあるように確かにこの中流層は今後も伸びていくだろう。だが、市場が拡大するからといってそれに合わせて一気に商品やサービスの供給量を増やせば、兵站(へいたん)が混乱してしまう。

中流層は急拡大の見込み
インドネシアにおける所得別の世帯数推移
出所:ユーロモニター

 例えば、ヤマハの場合、教室の講師不足に陥りかねない。インドネシアには音楽大学がほとんどないので、ある程度自前で育てる必要がある。そこを怠ると40年培ってきたブランドに傷がつく恐れがある。だからこそ一定の技術を持つ講師の層を厚くしたい。授業料の値上げは、彼女たちの手取り分を増やして、希望者を募る目的もある。

 「需要を創造する種まきこそ大事」と鶴見社長は言う。この言葉には「インドネシアの消費拡大は特需ではない。だからこそ、長期的な視点が必要」という考えがある。

 インドネシアの場合、進出が早かった日本企業はヤマハに限らず多い。ただし、日本勢がシェアの9割を握る2輪車や自動車は別にして、いずれもこれまでターゲットにしてきたのは、一部の富裕層だ。ヤマハの場合は、中間所得層台頭の先にある本当の意味の中流層の拡大に焦点を当てて戦略転換を果たしたが、多くの日本企業にとって重要なのは、現在進行形で進む中間所得層の消費需要拡大をいち早く取り込むことだ。

パナソニックの反攻

 パナソニックはそんな日本企業の典型だろう。同社は今、中間所得層の獲得に向けて様々な施策を続けざまに打っている。

 実は同社はインドネシアで過去10年以上にわたって苦戦を強いられていた。1990年代後半から始まった韓国LG電子やサムスン電子の攻勢に押されたこともあるが、戦略の転換が遅れたことも大きい。

 パナソニックのかつてのブランド「ナショナル」は、どこの国よりもインドネシアで浸透していた。60年という比較的に早い時期に合弁会社を設立してこの地に進出したのに加え、ブランド名がインドネシア語(nasional)でも英語と同じ発音と意味を持っていたのだ。自国メーカーの製品と勘違いしている消費者も随分いたという。

 ところが2003年にナショナルブランドの商品を「パナソニック」ブランドに統一したところ、同国での家電シェアは一気に2~3%も下落した。

 中間所得層を意識した商品戦略の構築でも出遅れてしまった。

 「うちは長年、ここで数百万人の富裕層を相手にハイエンド商品を売ってきた。だが、今売るべきなのは1億数千万人まで増えてきた新しい顧客だ。それは分かっていたんだが…」と製造会社のパナソニック・マニュファクチャリング・インドネシアと販売会社のパナソニック・ゴーベル・インドネシア(PGI)の両社を率いる菅沼一郎社長は悔しさをにじませる。

パナソニック・マニュファクチャリング・インドネシア菅沼一郎社長(左)とダニエル・スハルディマン氏(右)

 早くに進出していた分、いわゆる「パパママショップ」と呼ばれるような零細小売店向けの流通は握っていた。知名度も群を抜いていた。

 だが、韓国勢らが普及帯価格の商品を投入し始めてからも、人感センサーを搭載した空気清浄機など高付加価値商品にこだわり、中間所得層への対応は後手に回った。そのため、かつて家電市場で4~5割を握っていたパナソニックのシェアは、現在20%弱まで落ち込んでいる。

 出遅れを生んだもう1つの理由は、グローバル企業として進めてきた商品企画や設計の標準化である。先進国の消費者層と新興国の富裕層であれば、各商品に求める機能に大差はないかもしれない。しかし、新興国でも一般庶民の生活実態は先進国のそれとは大きく異なる。

 例えば、先進国の消費者が家電の省エネ性能を重視するのは、省エネによる光熱費の削減や環境負荷の軽減を好むからだ。だが、国土の65%に電気が供給されていなかったり、1家庭当たり一度に出力できる電圧に限界があったりするのがインドネシア。世界標準の商品がこうした市場で通用するとは言いがたい。

 ではインドネシアで通用する商品とはどんなものなのか。パナソニックはまず、冷蔵庫で反攻の狼煙を上げた。

パナソニック・マニュファクチャリング・インドネシアが開発した冷蔵庫

 菅沼社長が冷蔵庫の開発で白羽の矢を立てたのは、商品企画グループのマネジャーを務める、ダニエル・スハルディマン氏だった。入社20年近いベテランだが、キャリアの大半は情報システム部門で過ごしており、モノ作りの経験は乏しかった。いわば素人だ。しかしそれだけに、綿密な市場調査という基本から始めた。

 スハルディマン氏はまず、世帯年収ごとに消費者を年収1万5000ドル(約117万円)以上の「リッチ層」、5000ドル(約39万円)以上の「ネクストリッチ層」、そして2500ドル(約19万5000円)以上の「ネクストビリオン層」に分けた。それぞれの家庭数十軒に上がり込み、長時間かけてインタビューや写真撮影といった調査に取り組んだ。

 「同じインドネシア人でも知らないことはたくさんあった」。スハルディマン氏はこう振り返る。

 例えば最下層のネクストビリオン層に近づくほど冷蔵庫には食品が少なくなっていく。近所の商店で毎日、生鮮食品を買うからだ。ジュース類は買わない代わりに大型ペットボトルに水を入れて横並びにして冷やしていた。ネクストリッチ層では常時、日本の夏場並みの気温なので化粧品を冷蔵庫にしまう女性が少なからずいた。新鮮な発見はいくつもあった。

 こんなことも分かった。「インドネシアでは収入によって生活様式は大きく異なるが、地域間での違いは小さい」。国土が東西に広がるインドネシアで地域間で差があれば、商品開発面での対応は大変だ。インドネシア市場攻略の際の基本となり得る情報でもあった。

 結果できた冷蔵庫は、扉の裏側の上部に化粧品用のケースを常備し、下側には収納スペースがないという独特なもの。その分、本体の冷蔵スペースを広げて、大量の大型ペットボトルを収納できるようにしたわけだ。

 では肝心の成果はどうだったのかと言えば、この冷蔵庫の発売以来、2年間でワンドアタイプの冷蔵庫の販売台数は2倍になった。社内的には、後継機種が2002年度から優れた商品に与える「V商品」にも選ばれた。市場においてトップシェアを握り、高い収益率で経営に貢献した商品にだけ与えてきた称号だ。海外子会社としては初の栄誉。菅沼社長は「インドネシア人は創造性が高く、発想が柔軟だ。日本人が中心になっていたらこのV商品は生まれなかった」と話す。

インフラ整備を突破口に

 日本企業にとってのビジネスチャンスは、拡大する中間所得層の消費獲得だけにとどまらない。ベトナムと同様、インフラ市場もまた大きな魅力だ。

 そもそも6%台にとどまるインドネシアのGDP成長率は、人口増加を背景とする潜在性を考慮すれば物足りない。

 日本貿易振興機構(JETRO)ジャカルタ事務所の塚田学シニアディレクターは「政情が安定していて人口も所得も着実に増えている。成長率は10%近くでもおかしくない」と語る。

 2009年にスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領が再選を果たしたことで、任期が続く2014年10月までをインドネシア国民は「黄金の5年」と呼ぶ。改革に前向きな大統領の下でさらなる成長が見込めるからだ。

 前出の菅沼PGI社長は、インドネシア大学に留学した経験を持ち、滞在歴は合計11年に及ぶ。その菅沼社長も「ASEANの中では輸出に依存せず伸びてきた。だからリーマンショックによる影響も小さかった。出張も含めて90カ国以上見てきたが、最も躍動感がある。もっとこの国の成長に期待してもらっていい」と太鼓判を押す。

渋滞緩和のノウハウを提供

 そんなインドネシア通の彼らが同国の成長を阻害している要因として揃って挙げるのは、脆弱な公共インフラである。電力、水道、ガス、交通、空港、港湾――。いずれも人口や所得の増加に見合った水準には届いていない。しかし、こうしたインフラの未整備は裏を返せば、膨らむ中間所得層以上に日本企業にとってのビジネスチャンスになり得る。

交差点や迂回路が少ないため、ジャカルタの幹線道路では渋滞が日常茶飯事になっている

 「2012年末にジャカルタのオートバイ、自動車の占有面積が、道路の総面積を超えて、交通が麻痺する」――。

 昨年夏、ジャカルタ首都特別州政府は驚くべき見通しを発表した。毎日2輪と自動車が合わせて数百台ずつ売れている以上、絵空事ではない。場所によっては混雑する時間帯だけ、3人以上乗っていない自動車の進入を禁止する「スリーインワン」政策を打ち出しているが、2~3人目として同乗する仕事が繁盛するなど効果は怪しい。

 ジャカルタに住む人は交通渋滞を当然のこととして生活に織り込んでいる。外資系企業の会議でも開始が30分遅れることは珍しくないし、記者会見は開始予定時刻から1時間近く経って記者たちが集まる。のんびりした国民性と相まって深刻視されていないが、政府は抜本的な解決に取り組んでいる。

 日本とインドネシアは昨年12月、「首都圏投資促進特別地域(MPA)」構想に関する協力を締結した。これは両国政府がジャカルタ周辺のインフラ整備のために民間企業の参入を促すPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)方式などを活用していくというものだ。入札などで、日本企業が公共インフラの運営や事業化の権利を手にできる可能性がある。

 今年6月、首都高速道路(東京都千代田区)はジャカルタに駐在員事務所を設立した。そこで初代所長を務める佐藤弥氏がインドネシアを初めて訪れた時に驚いたのは、空港とジャカルタの間に路線バスしか公共交通機関がなかったことだ。空港への有料道路の料金は日本円で数十円程度のためマイカーを使う人が多く、かなり高い確率で渋滞に巻き込まれる。

 佐藤所長は「我々は東京の渋滞と50年向き合ってきた。長年培ってきたノウハウや、トンネル、高架といった特殊構造物に関する技術はこの国でも十分に生かせる」と自信を深めた。

 課題は中国や韓国勢といったコスト面で強みを持つ競合との差別化だ。インドネシア人は中長期的なランニングコストより初期投資を重視する傾向が強い。「単純な建設コストを前面に押し出されると厳しい。中長期的な保守・管理を含めたライフサイクルコストでアピールしていく」(首都高速の田沢誠也・国際企画グループ課長)。

 同社は今年9月、国内の高速道路運営会社4社とともに、海外事業に特化した日本高速道路インターナショナルを設立した。今後は商社やITS(高度道路交通システム)関連のメーカーらとともに有料道路建設・運営を目指す。

インドネシアの地熱発電所。日本同様に頻繁に起きる地震は豊かな地熱資源の証しだ

 インフラ整備の面でのチャンスはまだまだある。例えば地熱発電所。インドネシアは現在、国土の6割以上に電力が供給できていない。

 そのため世界有数の資源量を持つ地熱エネルギーを有効活用して国内の電力を賄おうとしている。地熱は天然ガスや石油と違って輸出できず国内でしか利用できないエネルギー資源。石炭や天然ガスは輸出に回して外貨を獲得したいという思惑もある。

異業種連携がカギ

 地熱発電に対するインドネシア政府や地元自治体の支援も手厚い。同国で地熱発電プロジェクトに携わる丸紅の小林亮太・海外電力プロジェクト第二部課長は、「外資である我々に対して地方政府が事業許可をすぐに認めてくれるなど、規制を乗り越えても発電所を造ろうという意欲を感じる」と話す。

 日本国内では10年以上、地熱発電所が建築されていないものの、地熱発電に欠かせない蒸気タービンは三菱重工業、東芝、富士重工業など日本メーカー合計で世界シェアの7割を握る。日本政府は円借款を供与する形でこれまでもインドネシアの発電所建設を後押ししてきた。

 ただし、厳しい財政状況から考えると、円借款がこのまま続くとは限らない。省エネルギーセンター国際協力本部の工藤博之・国際ビジネス協力部長は「電力会社やメーカー、商社、銀行など様々な業種から情熱のある会社同士が集まり、チームを組んで新しいビジネスモデルを作っていかねばならない」と指摘する。

 既に日本の大手企業は2008年10月、「世界省エネルギー等ビジネス推進協議会」という組織を立ち上げ、業種を越えた連携を模索している。参画企業は現在74社に上っている。

 勃興する中間所得層と貧弱なインフラ…。このアンバランスが実は、イドネシア最大の魅力だ。それをどう取り込んでいくか。日本には確実にアドバンテージがある。

日経ビジネス2011年11月14日号 36~41ページより

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